オレゴンへ旅行へ行っていたりして、見れなかった「八重の桜」を久方ぶりで見た。
新島襄が八重さんにプロポーズする場面を楽しみにしていたが、何とも拍子抜けである。
米国で教育を受けたからといって、あそこまで女性の権威を持ち上げることは当時あったとは思えない。
米国ですらその当時、フェミニズムは今日ほど盛んでないはずだ。
譲さんは、命を懸けて密航した侍である。
途上、言葉の不自由さゆえに無礼を働いた外国人を切り捨てようとまで激昂したこともある。
ドラマが描いている草食男子ぶりは、実際とは大きく異なるだろう。
八重さんの肉食ぶりを引き立たせるためか、現代的男性を演出して受けを良くするためだろうか?
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