NHKの大河ドラマ「官兵衛」〜
キリシタン大名としての官兵衛をどの程度描くかを注視している。
先回の「八重の桜」ではあり得ないほどの忠実さで
夫の新島襄をキリスト信者の模範のように描写した。
守部喜雅氏の書かれた「天を想う生涯」によると、
日本には官兵衛のキリシタンとしての足跡がほとんど残されていないのだそうです。
それは1614年の徳川家康によるキリシタン禁制により
歴史的資料が消滅したためとされている。
よって資料としては、
ポルトガルに残されていたルイス・フロイスによる「日本史」にすがる他はない。
そこに官兵衛についての次のような記録が残っている。
「彼(官兵衛)はわずか2年前に、ジェスト右近殿とその父ダリオ、
および他の殿たちの説得によって大阪でキリシタンとなった。
だが天下の君(秀吉)の重大な用務に携わる身であったので、
キリシタンになった時にもデウスの話を聞く時間はほとんどなかった。
そのようにキリシタンとしての基礎に欠けていたので、
彼にはまだ救霊のことについて真の喜びと感覚が身についていない。
とはいえ、彼は大いに期待が持てる人物であり、稀有の才能の持ち主であるから、
教えを聴聞する機会が与えられれば、その信仰はより強固となり、
デウスへの奉仕に役立つ道具となることであろう。」
(フロイス日本史11巻)
やがて彼はその「教えを聴聞する機会」を得て熱心なキリシタンへと変貌を遂げて行く。
四国征伐を終えて九州遠征を控えていた時、
下関に司祭を定住させることに奔走し、
教会堂の敷地を家来の兵士を動員して整備している。
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