秀吉の無理難題をどう受け止めるか、苦悩する官兵衛
今週の大河ドラマ・官兵衛は、
秀吉による九州平定後に受け継いだ豊後の地侍どもの反抗をどう抑えるかという話題だった。
特に宇都宮氏をだまし討ちにするという
いわば黒田家の暗部が描かれていた。
秀吉の二枚舌、そして「殺せ」との専制君主の独断であるとはいえ、
宇都宮氏との首領安堵の約束を反故にした直接責任者は官兵衛である。
戦国時代の大名として殿下・秀吉の名には絶対に逆らえないゆえに。
そこではキリシタンとしてデウスの教えにあくまで忠誠を尽くすのは不可能であったのか。
先週の伴天連追放令の際、
官兵衛は秀吉を恐れて信仰上の妥協をしてしまった。
以後はデウスの教えと秀吉の命令との狭間の中で葛藤と妥協の生き方が続く。
ところで、秀吉や家康によるキリシタン迫害と禁教とは
日本にとって正しい判断だったと結論づける論考にしばしば出くわす。
キリスト教世界の中からさえも。
宣教師らを先に派遣し現地人民を懐柔した後に軍隊を派遣、
征服して植民地化するのが南蛮国の戦略であり、
それは南米諸国を見れば明らかだという論理。
日本を欧州列強の植民地化から阻止するためには、
その時代のキリシタン禁制も止む無しだった、と言うもの。
高校までの世界史教科書を表面的になぞるだけなら、
誰もがその結論に至って当然であろう。
確かに当時の欧州は所謂大航海時代であり、
アメリカを始め新大陸が「発見」されていた時代。
そこにいる何十万という原住民らを懐柔して交易に利用、
あるいは殺戮して広大な土地を征服していたのは事実。
……………長くなりそうなので来週に続きます…………
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account