「百に一つも成功せぬ。
必ず獄門首になる。君はわかっているのか」
「わかっている」
松陰は明るすぎるほどの顔色で言った。
「私はむしろ、鈴ヶ森の獄門台に首をさらされることを望んでいる」
……
「武士の本願は、獄門首ではあるまいか」
…………………………………………………………………
ペリー艦隊に乗り込み密航を企てた松陰がその決行前夜、
長州藩や熊本藩の同志らに集まってもらい、
これから彼が行おうとしている暴挙を打ち明けて意見を求める場面。
これはドラマには出てこない。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」に出て来る場面である。
松陰は本気でそのように考えていたらしい。
己の死を通して強烈にメッセージを世に発信しようとしていた。
同志の一人であった宮部鼎蔵は彼の話を聞きながらたまりかねて大声を発し、
「狂ったのか」
と反論している。
が、松陰の人柄とその決行計画に変更がないことを知るようになると
呆れ果てるほかなくなる。
「君には、そういうところがある。
自分の死をもって詩を作ろうとしているところが」
…吉田松陰は、時代の生んだ狂人である。
密航が失敗したからといって何も番所に自ら自首せずとも良いのに。。
未だ20代の前半。
今なら大卒で社会人入り口に差し掛かったばかりの年齢だった。
再起を図って異国を知るという志を後日に遂げれば良いではないか。
死んだら、何もかもが終わりではないか!
常識人ならそう考えるはず。
松陰してそうは考えらせなかったのは、
当時の時代が煮詰まるため触媒を必要としていたことと関係するらしい。
その実直さ、真摯さに惹かれた若者らがやがて囚人の松陰の元に馳せ参じて松下村塾を形成し
維新の原動力になっていく。
使徒パウロの晩年がオーバーラップしてくる。
パウロもまた地中海伝道の志半ばで幽囚の身となり、
暴君ネロによって処刑されてしまう。
その幽閉中に著した各教会への書簡が新約聖書の内の数巻を形成している。
彼の幽閉と死は、より大きな影響と遺産をキリスト教会に遺すことになる。
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