ナバホ族と日本
Apr
16
さて、モニュメントバレー一帯に広がるナバホ族についてである。
その特異な文化や言語は合衆国以外の世界に知られることなく温存されて来た。
第二次大戦前、
過去20年間に渡り欧州からの留学生もその部族研究を専攻する学生がいないことが判明。
米国政府はその難解な言語を利用して
諜報・通信要員として戦時に徴用することを思いつく。
英語の通信文をナバホ部族語に訳し、
それを他のナバホ族が英語に訳した。
このテスト結果は満足のいくものだった。
そこで徴用したナバホ族をブートキャンプに参加させる。
戦闘員としても、肉体的・精神的に耐え得ることが判明。
彼らは欧州戦線、太平洋戦線で暗号・諜報活動に従事することになった。
Kayentaというモニュメントバレー近隣にある町のバーガーキング。
その店の内部には、そんなナバホ族の博物館・展示コーナーがある。
かつて店のオーナーが日本軍と戦い、
戦利品として収集したものが陳列されている。ー
ペリリュー島、硫黄島、沖縄戦を推し進めるに当たり、
日本軍には決して解読できないナバホ族言語が米国進軍の作戦暗号として役立った。
そんな折、天皇皇后陛下のペリリュー島初訪問が
戦後70年を記念して実現したとの報に接する。
70年の時を経ているものの
モニュメントバレー、ペリリュー島、
そして日本とが、同一の罫線上に繋がった感覚を持った。