日曜午後、同じ合同礼拝にて ハーベスト再臨待望聖会が開かれました。 先日の高校同窓会でご一緒した アトランタからのMさんも同席できて感謝。 現代の日本では 「再臨」をテーマに挙げた集会は見られなくなった。 それは終末論において無視や混乱が多いゆえ。 あまりにも意見が多くあるため、牧師が確信を持って語れなくなっている。 その原因は聖書解釈の原則を理解していないことから来る、 私的な読み方にある。 確認しておきたい大原則。 ❶聖書は字義通りに読む。 ただし、聖書の文学書としての側面に留意。比喩として記されているなら比喩として読まねばならない。 ❷イスラエルと教会とを区別する。 聖書の人類区分は3つである。イスラエル人、異邦人、そしてキリスト教会。 これら3者は明確に区別されている。 ❸聖書の神は契約の神であられる。 ここの理解が不十分だと、救われているかどうかの確信が持てない。 主観的フィーリングで救われ度が上下してしまう。 アブラハム契約は現在も有効である。 ❹聖書の書かれた目的は神の栄光である。 往々にして多くの人はこれが人類の救いであると考えている。 だがそれは神の栄光の一部にしか過ぎない。 神はイスラエルに対して 教会に対して 天使たちに対して サタンや悪霊達に対して 不信者に対して それぞれ計画をお持ちであり、 その永遠の運命についての啓示が聖書にある。 人類の救いは その広大な宇宙的規模の贖いの一部にしか過ぎない。 罪によって神の栄光が取り去られた記事で創世記は始まるが 新しい世界にその栄光が満ちるところで黙示録は終わっている。 神の栄光とは、神が語られたことは全て100%成就するものであり、 結局はご自身の約束を曲げられない神のご性質に関わることである。