マンハッタンの32番街は韓国人街となっています。 ここにも私の古くからの友人がいまして、行って来ました。 日韓関係が激しく揺れていた数年前、ここへ行くのを当初はビビッていたことがありました。 行ってみると、これまでと変わらずに私を大歓迎してくれて何ら変わらない様子に安心しました。 それ以来、韓国人街へ行くのがさらに楽しみとなりました。 ここでランチを食べるのも楽しみです。 韓国料理には欠かせないキムチや BBQなどの肉料理をはじめ、本格的なものが楽しめます。 ………………………………………………………………… ある日イエス様がヤコブの井戸の傍らでサマリヤの女性に話しかけられた記事が ヨハネ福音書 4章にあります。 女性は驚き、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に飲み水をお求めになるのですか」と尋ねます。 「ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしなかったからである」と聖書記者の説明が続きます。 時に隣人・隣国関係ほどギクシャクし、疎遠や敵対関係に発展することがあります。 イスラエルのユダヤとサマリヤは隣国同士です 宗教的にも民族的にも親戚関係なのですが、両者は激しく反目し合っていました。 サマリヤの北方に位置しているガリラヤのユダヤ人がエルサレム参りをする際には、 わざわざサマリヤを避けて、遠回りのヨルダン川沿いに南下したのです。 ところがこの時、イエス様一行はあえてサマリヤを縦断します。 「サマリヤを通って行かなければならなかった」( 4)とありますが、 その理由はこの女性に会うためでした。 両民族の間を隔てている幾十の壁を、主は突き破っています。 ➊民族間の壁~ユダヤ人とサマリヤ人 ❷男女間の壁~公の場で男女は会話しません ❸階層の壁~ラビ(宗教指導者)が女性に話しかけることはさらにタブーでした その突き破り方として、主のほうから彼女に接近している点に注目です。 「わたしに水をのませてください」 主は、確かにのどが渇いていたことでしょう。 しかし、どうしてそこまで謙遜になられなくてはならなかったのでしょうか。 ユダヤ人男性が、女子供に物乞いをするなんてこと、あり得ない話です! そのあり得ないことをして、両者の間にわだかまる壁を突破されたのです。 この突破力によって事態は進展していき、 この女性の暗い過去が暴かれ、さらに神を礼拝することに話が及び、 ついには彼女の運命を決定づける主との出会いにまで発展していきます。 ………………………………………………………………… 私たちはいつもレッテルを人に張り付けて判断してしまいやすいものです。 あの人は~人だから。 あの人は~という職だから。 あの人は~、、、、 相手の肌の色、国籍、年齢、職業、民族、言語などによって、 あらかじめ我が身を身構え、その対応を決めてかかってしまう。 主はここで女性だから、サマリヤ人だから、という前提ありきではなく その女性の真の必要を知り、渇きを知って応答されています。 主との人格的な応答が彼女の人生を変革させることに繋がっていきます。 今の日韓関係にも壁がある。 領土問題がある。 歴史認識に相違がある。 これらの壁を突き破るには、認識を変えろ、妥協しろ、といくら声高に叫んでも、双方の壁はさらに厚く高くなるばかりでしょう。 カギは私たち市井の一人ひとりが握っているように思えます。 韓国人の友人がいて、その友人との人格的な触れ合いが出来た時、 その時に壁を乗り越える最初の一歩が踏み出せるように感じます。