セイイチさんは現在90歳です。 1941年、太平洋戦争が勃発した時は15歳でした。 翌年、16歳で日系人収容所に家族とともに強制収容されます。 フレズノやアリゾナへの収容所を転々と移動させられたそうです。 アリゾナの収容所内には高校が設立され 白人女性の教師がキャンプ内に教えに来られました。 その翌年、日本へ強制送還されます。 米国に忠誠を誓うかどうかの思想調査の結果を受けてのことでした。 世に言う "No No Boy" の一人で 米国滞在は認められずに郷里の九州に返されました。 その後、日本女性と結婚して米国に戻ります。 強制送還されても米国市民権までは剥奪されなかったのです。 彼のような場合の日系人を「帰米二世」と言います。 高校を卒業する機会の与えられなかったセイイチさんには昨年11月、 高校卒業証書がカリフォルニア州から贈られました。 今晩、ご自宅の手料理をご馳走になりながら そんな貴重な半生を伺うことができました。 米国の、日本との戦争の関わりあいを振り返りながら 感心する点のある事に気付きました。 ❶誤りを認め、誠実に謝罪する 対戦国出身と言うだけで自国市民を強制収容したのは 自由を尊重する米国の最大国是に反することであり、憲法違反です。 かつてレーガン政権はこれを公式に認め、謝罪し、 日系人一人に2万ドルの補償金を支払いました。 ❷過去が精算され、建設的な友好関係を築く 一度謝罪し、補償がなされたら精算は終了しました。 日系人強制収容は米国の負の遺産として子供たちは学校でも学ぶ機会が与えられていますが、 罪悪感を植え付けるものや、被害者・加害者意識を培養するものではありません。 過去からは教訓を汲み取り、 将来の互いの成長のために生かそうとする姿勢が読み取れます。 現在の日米関係ほどの強固な友好関係は他に無いのではないでしょうか。 ❸国としての謝罪や補償金を蒸し返すことは無くとも、 これにより被害を受けた個人の名誉や特典回復には寛容であり、積極的に尽力する。 卒業証書の授与はその日セイイチさんお一人だけだったそうなのですが、 州の教育員会の会場では委員長始めほとんどの職員が臨席されたそうです。 もちろんセイイチさんの奥様と3人の娘さんも出席されています。 ❹このような将来志向型の関係回復をたどる合衆国への帰属意識と愛国心を醸成。 「この国は美しい」「この国を誇りとして尊重せよ」 ……そんなスローガンや押し付けで人の気持ちは動きようがない。 ❶〜❸のステップが、 自然と国を誇る気持ちや愛国心を育てていると言えそうです。 セイイチさんにその日贈られたのは卒業証書だけではありません。 布製の星条旗が贈られました。 これは州都のサクラメントにある州議事堂の空に翻っていた実際の星条旗だそうです。 誇らしげにそれを私に見せて下さるセイイチさんのご様子から伺われるものがありました。 過去の傷はスッカリと精算され癒された上に、 自国を誇りとしていることを。 この関係修復へ至るコミュニケーションのステップは国同士のものだけでなく そのまま個人間においてもそっくり適用出来そうです。 ………………………………………………………………… 「主は、人の行いを喜ぶ時、 その人の敵をも、その人と和らがせる。」 箴言16章7節 ………………………………………………………………… 誤りをみとめ、謝罪し償い、将来の互いの発展を志すという、 神の喜ばれるコミュニケーション・プロセスは、 敵であったものでさえも友人に変えてしまうことがある。