先週のこととなりますが日本滞在の最終二日間、奈良で過ごしたことを記したいと思います。
有名な世界遺産の神社仏閣を見て回った他に、平城宮跡を自転車で回りました。
再建されている朱雀門を抜けて大通りを北上すると大極殿に至ります。
その間の広大な広野はかつ田畑だったそうですが数十年前に国が買取、現在も発掘調査が行われています。
710から70年余、都であった平城京の奈良。
そこの天皇の住居と政務の中心地に立ったのです。
大極殿にも、広大な宮の跡地にも観光客をほとんど見かけません。
おかげでゆっくりと1300年ほど前の都に思い馳せながら地元観光ガイドの方の説明を伺うことができました。
説明の中であった藤原京•平城京•長岡京•平安京と都が遷都していった1つの理由に大きく納得しました。
その要因とは「水」
平城京では平城宮を北にして南へ流れる下水道が各街路をめぐらしその総延長は710キロを越えたそうです。
ところが時に干ばつで水の流れが悪くなると都にはたちまち流れない下水道に取り残された汚物が蔓延します。
その悪臭たるや、、、おお、人々は耐えられず水はけの良い京都北西にある長岡京に移ったとか。
その長岡京は水はけが良すぎて川の氾濫も頻発する土地柄ゆえに再び遷都。
水の多く流すぎない塩梅の良い平安京で一千年以上も都が続くことになったという話。
水をキーワードにこうもすっきり整理された話を聞くと強烈すぎて消して忘れません。
奈良訪問での最大の収穫となりました。
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