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私生児でない本当の「子」であるなら

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マサダ要塞に至るロープウエイ マサダ要塞に至るロープウエイ

ホサナキリスト教会聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/412083-1

「大艱難時代後半の3年半①」
マタイ24章22~27節
~マタイ福音書連続講解説教84~

マタイ福音書に見る大艱難時代後半の3年半

1)後半3年半の開始(マタイ24:15):反キリストの神性宣言と像の至聖所設置

「15それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、
聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。) 」

反キリストがエルサレム神殿に自らの偶像を設置して、イスラエルとの契約を破棄してその抹殺を図る様になる。それが後半への転換点。

2)緊急避難(16~20):その場所はボツラ(へ)、ぺトラ(ギ)

「16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
19 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。」

津波のような迅速さでジェノサイト・ユダヤ人抹殺運動が押し寄せてくるので、
時を置くことなく東のヨルダンにある山地・ペトラに逃げなくてはならない。

3)甚大苦難(21):史上最悪・最大のユダヤ人抹殺運動

「21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、
またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。 」

ある著名な聖書学者はここでのイエスの教えが、
AD70年のローマによるエルサレム陥落を預言したものだという。

しかし、この21節はその推論を論駁している。
艱難期にユダヤ人を襲う迫害こそ、60万人が抹殺されたナチの
ホロコーストにも勝る史上それまでにない「ひどい苦難」であるから。

4)神聖統制(22):3年半という日数に限られている

「22 もし、その日数が少なくされなかったら、
ひとりとして救われる者はないでしょう。

しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。 」

ここでの「選ばれた者」とは、選民イスラエルのことで
彼らが全て抹殺される前に神の介入があり救われることを教える。

エルサレムの神殿が汚されてから3年半に艱難期は限られている。

5)悪魔暗躍(23~24):復活した反キリストと偽預言者~黙示録13章

「23 そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
24 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。 」

かつて出エジプトの際、モーセの奇跡やしるしを真似て同様のことをして見せた
エジプトの魔術師のように、

このときにはサタンの力を得た偽預言者が驚く奇跡をして見せて人々を惑わす。

6)シャカイナ・グローリーの出現(25~27):大艱難はメシアの再臨まで続く

「26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、
ちょうどそのように来るのです。

偽メシアのうわさが流布されるが、真のメシアはいなずまのような明瞭なしるしを伴って再臨される

7)選民殲滅運動(28):死体とはユダヤ人、はげたかとは反キリストの軍勢

「28 死体のある所には、はげたかが集まります。」

反キリストの招集する世界連合の軍勢はハルマゲドンの戦において、
いまやユダヤ人殲滅寸前まで追い込む。

すでにペトラにて逃亡生活をしているユダヤ人を
むさぼるはげたかのような勢いが教えられている。


結論  苦難の意義について:へブル12:7~11

「7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、
私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、
しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、
私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに
私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、後になると、
これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。 」

1)「子」としての扱いゆえに(7)

•イスラエルは神の長子ゆえに、苦難も特権も倍のものを受ける
他の民族に比べたら遥かに多くの特権を持っている。
それに比例して責任も重いがゆえに大艱難時代を通過せねばならない。

•大艱難時代を通じて真の信仰に目覚める
その苦難の中で、イエスがメシアであることに目覚めるようになる。

2)苦難の目的について考えてみよう(9~10)

•「生きる」~父なる神との楽しい交友ゆえの豊かな生涯があるのを教えている。

•「ご自分の聖さに預からせるため」
~千年王国に至る相応しさを見に付けさせるために

3)苦難の結果(11)

•「訓練」を通った人には「平安な義の実を結ばせる」
父なる神は私たちに訓練や凝らしめを時に与える。

それは子供となったこと、
すなわちイエスを長子とする神の家族に加えられたことを意味している。

もし罪を犯して後にそれらの懲らしめがないとするなら、
それは「私生児」(8)であることになる。

ユダヤの法律ではその私生児のことをMAMZERと呼んで、
次の3つのことを意味した。

①相続財産を得られない
②ユダヤ人とは結婚できない
③ユダヤ人の墓に葬られない

全ての信者は「子」として時に受ける訓練を耐え忍ばねばならないのである。
#救済

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大艱難時代の中間期③

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イスラエル・ヤッホの海岸 イスラエル・ヤッホの海岸
ホサナキリスト教会聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/412083

大艱難時代の中間期③
マタイ24章15~28節 黙示録14章1~20節
~マタイ福音書連続講解説教83~

詩篇 46 指揮者のために。コラの子たちによる。アラモテに合わせて。歌
 
 1 神はわれらの避け所、また力。 苦しむとき、そこにある助け。
2 それゆえ、われらは恐れない。
  たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
  その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ
4 川がある。その流れは、 いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。
  神は夜明け前にこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。
  神が御声を発せられると、地は溶けた。
7 万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
8 来て、主のみわざを見よ。 主は地に荒廃をもたらされた。
9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、
  弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
10 「やめよ。 わたしこそ神であることを知れ。
  わたしは国々の間であがめられ、 地の上であがめられる。」
11 万軍の主はわれらとともにおられる。
  ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

聖書の記述には神の裁きや復讐、飢餓や洪水、殺戮や疫病の蔓延、
さらにそれらからの保護や救出、安全と平安などが多く見受けられる。

それらはほとんど象徴的描写に過ぎないと私は今まで考えて来た。

試練や困難の状況の中でも信仰による平安と祝福が
心霊的に信者に与えられる恵みがここに教えられているのであると。。

ところが聖書的世界観を黙示録・終末論まで拡大するなら、
それら比ゆ的な叙述であると思われていた章節が、

たちどころに具体的・字義通りの意味を持つものと納得させられるのである。

たとえば有名な詩篇46篇を取り上げてみよう。

「1 神はわれらの避け所、また力。 苦しむとき、そこにある助け。
2 それゆえ、われらは恐れない。
  たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
  その水かさが増して山々が揺れ動いても。」

地球的規模の地理的な大変貌(2~3)が描写されているが、
それは主イエスの再臨時に起こる大地震・大地殻変動の預言と一致する。

千年王国ではエルサレムが
近隣諸国のどの山よりも高く聳え立つ高山となると預言されている。

「4 川がある。その流れは、 いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。」

神の都(エルサレム)にはメシアが王座を据えるので神の臨在がある。

またその神殿の敷居からは東西に分かれ出る川があり、
東に流れる川は死海に注いでそこを漁場とするようになるとのエゼキエルの預言と一致する。

「5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。
  神は夜明け前にこれを助けられる。
6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。
  神が御声を発せられると、地は溶けた。
7 万軍の主はわれらとともにおられる。
  ヤコブの神はわれらのとりでである。」

神に反抗する全世界の国々が戦いを仕掛けてくるという(6)。

これは反キリストが率いてイスラエル抹殺を企ててイスラエルに侵入してくる
ハルマゲドンの戦いとして文字とおり成就すると解釈するなら、

ここに描写されていることは現実味を帯びて迫ってくる。

彼ら反キリスト世界連合がユダヤ人壊滅を目前にしたとき、
ユダヤ人は信仰の悔い改めに導かれ、イエスをメシアとして崇め、
イエスの助けを求めるようになる。

そしてメシアが再臨されて、彼らを滅びから救い出す。

「8 来て、主のみわざを見よ。 主は地に荒廃をもたらされた。」

メシアはユダヤ人の求めに応じて地上に再臨される。
そして反キリストの世界連合軍勢をすべて打ち砕かれるのである。

「9主は地の果てまでも戦いをやめさせ、
 弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。」

戦いに勝利されたメシアはエルサレムの神殿でダビデの王座に座して、
そこから世界を統治される。

ここに至って恒久的で完全な平和世界が実現する(9)。
それは国連機能を強化したりキリスト教会が発展して実現する平和を
比ゆ的に描写したものではない。

この地上に物理的に完成するメシア王国である。

10 「やめよ。 わたしこそ神であることを知れ。
  わたしは国々の間であがめられ、 地の上であがめられる。
11 万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらのとりでである。」

千年王国では世界中の諸国がイエスを崇めるようになり、
仮庵の祭りには世界中から代表団がエルサレムに派遣されるようになる。

そのとき、地上の全ての人が真の神を知るに至るであろう。
 
「万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらのとりでである。」(7,11)

これは恐ろしい人類最終戦乱の中にあって神の守りが
選民に与えられると約束した預言であり、文字通りに成就するものである。

そして一方、今日の私たちにも適用可能な聖句でもある。

なぜなら、「わたしは世の終わりまであなたがたとともにいます」(マタイ28:20)
とメシアご自身が私たち信者に約束してくださった。

それは内に住まわれる聖霊様によって現に成就している事実である。
「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」
(ヤコブ 4:5 )
#救済

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大艱難時代の中間期②

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イスラエルでは昨日から新学期が... イスラエルでは昨日から新学期が始まり、
約210万人の生徒たちが元気に登校しました。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/412082

「大艱難時代の中間期②」
マタイ24章15~28節 黙示録13章1~18節
~マタイ福音書連続講解説教82~

7年間の大艱難時代の中間は、一大変革期である。

オリーブ山での主イエスの預言には、
ダニエル9:27が成就したときを合図として
ユダヤ人に「山」に逃げるように勧めている。

「預言者ダニエルによって語られた
あの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たのならば、

そのときには、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」
(マタイ24:15)

その山とは、東のヨルダンにあるぺトラという断崖の続く岩山である。

反キリストがいよいよ本性をむき出しにしてユダヤ人抹殺を計り、
激しい迫害が始まる。

迫害がそのまま続けば一人として生き残るユダヤ人はいないのであるが、
そこにも神の統制があって、反キリスト軍勢のままにはことは進んでいかない。

その神による統制の一つは、
「二つの翼」(黙示録12:14)によってぺトラまで逃げ延びること。

さらにもう一つは、「選ばれた者のためにその日数は少なくされる」(マタイ24:22)
と主は言われたが、それは具体的には

「一時と二時と半時の間」(黙示録12:14)
すなわち3年半の間という制限されたときであること。

『荒らす憎むべき者』がエルサレムの神殿に据えられる事が、
反キリストがイスラエルと交わした安全保障条約の破棄であり、

これをもって艱難期の後半が始まるのである。

反キリストがそのような行動に至った理由がある。

天においてある異変が起こり(黙示録12章)、
それゆえに反キリストの暗躍が始まると教えるのである。

その異変とは、
天使長ミカエルの軍勢とサタンの軍勢とが天において戦いを交え、

敗北したサタンは天から追い出されて、地上に投げ落とされる。
そのとき、地に落ちたサタンは自らのいのちが短いことを知るに至る。

つまり、主イエスの地上再臨が間近であるのを悟り、
これを阻止するために躍起とならざるを得ないのである。

そこで主の再臨の前提条件を破壊しようとする。
前提条件とは、ユダヤ人の民族的な救いのことである。

彼らが長年拒否してきた主イエスこそがメシアであることを信じて、
主の名を求めるときが主の再臨の時となる。

これを阻止するために、ユダヤ人への福音宣教への妨害と攻撃、
さらにはユダヤ人抹殺のためのあらゆる迫害が起こるのである。

史上ユダヤ人撲滅運動は繰り返されてきた。
そこにはサタン的な意図が働いていることを
霊の目で我々は見抜かなくてはならないであろう。

ぺトラという自然の要害で守られるユダヤ人であるが、
サタンは攻撃の手を緩めようとしない。

そこで次の黙示録13章に入ると、
どのように迫害がエスカレートしていくのかが記されることになる。

  1.海からの獣による攻撃~反キリスト(13:1~10)
  2.地からの獣による攻撃~偽預言者(13:11~18)

悪魔・サタンとその手下どもの悪霊は、実在の霊的な存在である。
信者を惑わして神から遠ざけ、神の人類救済明確を打ち壊そうと躍起になる。

だが、その攻撃自体でさえも神の許容される範囲があり、
神の守りがあるのである。

私たちはいたずらに悪の存在やその攻撃を恐れる必要はない。

主イエスはすでに勝利してくださった。
そして私たちの勝利を約束してくださっているのだから。

「9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、
世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって
その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、

あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、
堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。
アーメン。」

(1ペテロ 5:9-11)
#救済

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「大艱難時代の中間期」その1

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テルアビブのビーチ テルアビブのビーチ
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/491480

「大艱難時代の中間期」
マタイ24章15~22節 黙示録12章1~17節
~マタイ福音書連続講解説教81~

大艱難時代は7年間続きます。
その開始のしるしは、反キリストがイスラエルと安全保障条約を締結することです。

7年間の中間期には大きな変化が天でも、地でも勃発します。

主イエスはオリーブ山での説話でその中間期を次の言葉で話されています。

「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、
聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。) (マタイ24:15)」

黙示録にはこの中間期のことを10章から14章まで
多くの章節を割いて詳しく描写しています。

その中から12章を詳しく取り上げましょう。

ここはイスラエルの歴史が天地創造の前から掘り起こされ、
やがてのメシア的王国に至るまでの概略が明らかとされている箇所です。


*大艱難時代のイスラエル:黙示録12章1~17節

1) イスラエルの歴史的背景(1~5節)

「黙示録 12:1 また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、
月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
3 また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。
七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。
また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。
彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
5 女は男の子を産んだ。
この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。
その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。」

①「女」(1節)とは教会ではなく、イスラエルである。太陽、月、星はヨセフの見た夢と関連している。創世記37:9~10.
②陣痛(2節):これはイスラエル(女)がメシア誕生を待望している歴史的な希求の激しさを表すものである。
③「赤い竜」(3)とは「悪魔」「サタン」「全世界を惑わす」「古い蛇」(9)のことであり、5つの表記にそれぞれの邪悪な性質が表されてある。ダニエル2章、7章の異邦人の第4帝国の最終段階が反キリストによる世界帝国の様態「7つの頭と10本の角」のことである。
④「星」とは天使であり、サタンに同調する勢力が3分の1あった。こられが反乱を企て、天から追い出されて堕天使となった。それは創世記1章1節と2節の間に起こったことであろう。
⑤メシアの預言成就と誕生、その昇天
「鉄の杖」のより世界中を統治されるお方とはメシアのこと。詩篇2:9.
イスラエルの歴史からメシアが誕生し、十字架で死を遂げられて後に天に昇天された。それが教会誕生の前提条件である。
教会がメシアを生み出した「女」とは成り得ないのである。

2) イスラエルの逃避(6節)

「6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、
神によって備えられた場所があった。」

①イスラエルがサタン勢力から逃避する。その「場所」とはペトラである。
同地名がOTではヘブル語でボツラとなっている。
ミカ2章12~13節、イザヤ63:1~6.
②1260日とは、マタイ25:15から始まる大艱難時代後半の3年半のこと
③その期間、イスラエルはぺトラという岩場の天然の要塞によって守られるのである。

3)地上に投げ落とされるサタン(7~12節)

「7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、
竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。
彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。
「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。
私たちの兄弟たちの告発者、
日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。
11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。
しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、
激しく怒って、そこに下ったからである。」

①天にて聖なる天使と堕落した天使との間に闘争が起こる。
ダニエル12:1.ミカエルは戦闘の天使長であり、イスラエルを守る天使でもある。
②ミカエルらがサタンらの勢力に勝利する。
③その結果、サタンらは地に落とされ、天にあっては大きな喜びが起こる。
サタンは天にいる信者らを告発していたから:ゼカリヤ3:1
④「自分の時の短いことを知り、激しく怒って」
サタンは火の池に投げ込まれる最終運命が近いことを悟る。
それゆえ、地上でさらなるユダヤ人抹殺運動が加速する。
ユダヤ人のメシア待望の祈りがなければメシアの再臨がない。
それがサタンの生き延びる唯一の方法であるのを知っているのだ。
⑤イスラエルが民族的な救いを経験して後にメシアの再臨があると教える聖句。
   エレミヤ3:12~18
   ホセア5:15~6:3
   ゼカリヤ12:10~13:1
   マタイ23:37~39

4)イスラエルを抹殺しようとするサタン(13~17節)

「13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、
男の子を産んだ女を追いかけた。
14 しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。
自分の場所である荒野に飛んで行って、
そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
15 ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、
彼女を大水で押し流そうとした。
16 しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
17 すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、
すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。」

①女を追いかける竜:マタイ24:15~22と同じ内容。
これはサタンを背後に抱いている反キリストの軍勢である。
②「大水」や「洪水」は比ゆとして使われるときは軍事的進行を表す
③大きな「鷲の翼」について。ここの「翼」をある聖書学者は米国空軍だという。
それは聖書背景を無視した国際情勢からの読み込みから生じる誤りである。
聖書は「神の奇跡的な介入があって無事に助け出された」際に
「翼に乗って」導かれたという表現を使っている。
出エジプト19:4、申命記32:11


結論  預言を学ぶ目的と結果:黙示録10:6~11

ここでヨハネは「小さな巻物」を受け取るようにとの指令を受けます。
さらにその巻物を御使いから受け取り、食べるように命じられるのです。

食べてみると彼の口には「蜜のように甘い」とありました。
これは、私たちが預言を学ぶ際に感じる楽しさであり喜びであると言えるでしょう。

しかし噛み砕いて腹の中に下っていったとき、
「腹は苦くなった」とヨハネは証します。

これは、預言を深く理解した結果を教えるものです。

つまり、主イエスによる救いを受けないまま大艱難時代を通過しなくてはならない人たち、
その後の裁きも受けねばならない人たちがあるのを深く知るときに感じざるを得ない苦味なのです。

預言を学べばその分だけ、不信者に対する痛みと重荷とを感じるはずなのです。
#救済

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大艱難時代の前半

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カルメル山の夕日 カルメル山の夕日

ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/491480-1

「大艱難時代前半の3年半:黙示録から」
マタイ24章9~14節
~マタイ福音書連続講解説教80~

大艱難時代を聖書は以下のように表記する。
* 「1週の間」:ダニエル9:27
* 「1260日」:黙示11:3
* 「42ヶ月」:黙示11:2
* 「ひと時と、ふた時と、半時」:黙示12:14

黙示録には、その大艱難時代の進展が時間順に記されている書物。
* 前半の3年半:6章~9章
* 中間期:10章~14章
* 後半の3年半:15章~16章

①主がオリーブ山で語られた大艱難時代前半の預言:マタイ24章9~14節

 9節~世界中の国民から信仰ゆえの迫害が起こる
10節~信頼関係の崩壊
11節~にせ預言者らの勃興
12節~正義や公儀の衰退による不法の蔓延
13節~サバイバルしたユダヤ人は民族救いに至る
14節~世界大のリバイバルが進む

②黙示録の大艱難時代前半の3年半の預言:黙示録6章~9章

* 7つの封印の裁き(6章):第一クオーター期間
第1の封印:白い馬に乗った反キリストの暗躍
第2の封印:赤い馬、世界大戦
第3の封印:黒い馬、飢饉
第4の封印:青い馬、4分の一の死
第5の封印:殉教者たちに白い衣が与えられる
第6の封印:地震と暗黒の第2回目
第7の封印(8:1~6):天における静けさ;次の厳しい裁きへの序曲

* 7つのラッパの裁き(8章):第二クオーター期間:
第1のラッパ:3分の1の地上の壊滅
第2のラッパ:3分の一の海の壊滅
第3のラッパ:苦よもぎという星の墜落;河川の3分の一の壊滅
第4のラッパ:天の光源の3分の一の壊滅
第5のラッパ:第一のわざわい(9章)

* 第5~第7までは特に厳しい裁きであり、
 「3つのわざわいの裁き」と呼ばれる

* アブソスが開かれる
そこから立ち上る煙で第3回目の暗黒となる

煙の中から出る悪霊により、5ヶ月間人は苦しめられる
悪霊の王はアポリュオン(ギ)、アバドン(へ)

第6のラッパ:第二のわざわい(9:13~11:14)
第2回目の悪霊の侵入
ユーフラテスにつながれている4つの悪霊の開放
その軍勢の数は2億
人間の3分の一が殺される

③大艱難時代前半期間中に継続して起こること

このように地上や海が破壊され、
そこに住む者たちの約半数がこの時点で死に至る。

* 疫病、飢饉、世界大戦、悪霊からの直接的な殺戮など波状攻撃を受け続ける。
世相として、「人々は互いに裏切り合い、」と記されるような厳しい時代となる。

* 世界の政治形態は、10の帝国・王たちに分割支配される。
黙示録17:12~13、ダニエル7:22~24

やがて反キリストが出現して3人の王を倒して後、
反キリストによる世界統一政府が樹立される

* 同時に144000人による世界宣教が進展して行く。
黙示7章4~8、マタイ24:14

「イスラエルの子孫のあらゆる部族の者」が宣教師となるのであるが、
そこにはダン族が不在。これに何かの意味があるわけではなく、

12という数字に揃えるために削除されたに過ぎない。
同様の例として、かつてモーセが臨終で12部族を祝福した時には
シメオン族が除外された(申命記33章)。

* 二人の証人によるエルサレム 宣教
黙示11:3~6

144000人のユダヤ人は世界宣教に貢献していくが、
故国エルサレムで活躍する二人のユダヤ人がいる。

彼らには名前が記されていないが、
ゼカリヤが見た2本のオリーブの木のことである(ゼカリヤ4:11~14)。

世界はこの二人を殺そうとするが、その企みはすべて失敗する。

大艱難時代の中間期になると、
死から復活した反キリストが彼らを殺害する。

三日半の間、その死体がエルサレムの街路に晒されるが、
彼らも復活し天に昇る。それがユダヤ人の悔い改めへと繋がって行く

* 宗教組織バビロンによる聖徒らへの迫害
黙示録17章は「再記述の法則」
ここには、大艱難時代前半のことが繰り返されている

このバビロンは反キリスト勢力の首都であり、
聖徒たちやユダヤ人をを迫害する中心勢力となる。


結論  大艱難時代を前にどのように備えるべきか:テサロニケ5:1~11

大艱難時代前に携挙がある。
それゆえ信者は大艱難時代を経験しない。

突如とした滅びは、生みの苦しみのようなもので不信者が逃れることはできない(3)

「光の子ども、昼の子ども」とされている信者が襲われることはない(4~5)
主とともに生きる

私たちには世界の終わりの様相が啓示され、
さらにその際の逃れの場が用意されてある。

この地上生涯はほんのいっときに過ぎない。
終末論の学びは今を生き抜く力となるものである。
#救済

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聖書が教える死後の世界〜ゲヘナ

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ゲヘナ

Gei Hinnom(ヒンノムの谷)から派生した用語であり
その谷はエルサレムの城壁の南に位置している。

旧約時代にはそこで人間がいけにえとして捧げられた。
またエルサレムのゴミ焼却場でもあり、常に火が燃えて煙が立ち昇っていた場所でもあった。

そこから失われた者達(堕天使と人間)がやがて過ごす事になる永遠の住まいを指す用語として新約聖書で使われるようになった。

新約聖書に12箇所、この用語が見出せるが
ヤコブ3:6を除いた全ては福音書の中で主イエスが使っておられる。

その用法を学ぶなら次の事が明らかとなる。

①ハデスが消滅し、白い御座の裁きで判決が確定した失われた者達(堕天使と人間)が永遠に住む世界

②霊魂と肉体との双方が苦しむ場所。ハデスでは霊魂のみが苦しむ場所であったが、復活して肉体を得た失われた人間の裁きの場所がゲヘナである。

③火と関連している。ただしここでの「火」は光を発せずに熱のみである。暗黒に覆われている世界である。

④「火の池」と同じ場所である。この用語は黙示録に4回現れる(黙示録19:20、20:10、20:14、21:8)

⑤肉体と霊魂との双方に対する裁きである。「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた」(黙示録20:14)
死とは肉体に関係し、ハデスとは霊魂に関係している。これら双方が裁かれる場が火の池(ゲヘナ)である。
#救済

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聖書が教える死後の世界~タータラス

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イスラエル北部の海岸線にそびえ... イスラエル北部の海岸線にそびえるカルメル山。
旧約聖書の舞台にもなっています。写真はカルメル山に沈む夕陽。
タータラス

「タータラス」という語はハデス(シェオール)の一部を構成している場所で
堕天使が幽閉されている場所です。

聖書には一箇所にしか使用されていない語です。
「神は、罪を犯したみ使いたちを容赦せず、地獄に引き渡し、
さばきの時まで暗闇の穴(タータラス)の中に閉じ込めてしまわれました。」
Ⅱペテロ2:4

アビスが一般の堕天使が閉じ込められているハデスの中の一区域であるのに対して
タータラスは創世記6章の堕天使が閉じ込められている一区域です。

この堕天使らは、創世記6章で「人の子ら」と雑婚をした「神の子ら」でると言えましょう。

「主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、
大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗闇の下に閉じ込められました。」(ユダ6)


アビスに閉じ込められた悪霊やサタン、反キリストなどは一時的に解放されて再び暗躍を仕出かすが、
タータラスの悪霊らはそこから解放されることはなく、「火の池」へ直行する。
#救済

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「小羊の婚礼の時」

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この度の戦闘でイスラエル国防軍... この度の戦闘でイスラエル国防軍予備役として招集されたシャイは、ずっと前から心に決めていたお相手リヒがいた。今回、シャイのいる南部の基地をリヒが訪問したタイミングで、彼からプロポーズ。まわりの仲間から祝福され、素敵なサプライズとなった。お二人に幸あれ!
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/51911079


「小羊の婚礼の時」
マタイ25章1節、黙示録19章1~9節
~マタイ福音書連続講解説教79~

携挙によって天に引き上げられた教会は、
メシアの御座の前に出されてメシアによる裁きを経過せねばならないことを
先回確認しました。

繰り返しますが、これは罪に定める裁きではなく、
救われた後の信仰生活でどのような実を結んできたかを評価するものであり、

各人への報酬を決定するものでした。
報酬を「冠」として表徴していて、そこには5種類の冠がありました。

その後、地上では7年間の大艱難時代に突入します。

大艱難時代の後に、メシアが地上に再臨されるのですが、
その直前に天で起こることを今回は学びはす。

それは、メシアと教会との婚礼です。

「 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。
小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。

花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。
その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(黙示録 19:7-9)

天に挙げられた教会とメシアが結婚するという、
これは新約時代に入って初めて明らかとされた奥義です。

ところが、ユダヤでは数千年間の長きに渡って、
この奥義を婚礼という社会通例の中で実現していたのです。

もちろんユダヤ民族はそのことを知らないまま
これらの婚礼儀式を執り行ってきました。

神によって備えられた祝福は不思議としか言いようがありません。
ユダヤ式婚礼にみる4つのステップがそのまま、

神が教会に関連していることを確認してみましょう。


1) 父親が娘の婚約相手を決める

ユダヤ人の父親は娘の知らないところで彼女の婚約相手を決めます。
少なくとも1年以上の婚約期間がありました。

また、花婿と花嫁は婚礼の当日まで互いに会ったこともなかった、
という例も多かったと聞きます。

父なる神様は、私たちの知らないところで私を選んでキリストの花嫁とされました。

花嫁料はすでに支払われています。それはキリストの尊い血潮です。
教会としての婚約期間はすでに2千年程が経過していることになります。


2) 花婿は新居となる家を用意する

花婿は父親の家を増改築する形で新居を用意するのです。
当時のユダヤ人は大家族主義でしたから。

主イエスが私たちのために住まいを用意される、
と言われたのはそのことです(ヨハネ14:1~3)。

そして新居が完成すると花嫁を迎えに行きます。

同様に、それは私たちを迎えに天からお出で下さる
主イエスの携挙のモチーフとなります。


3) 父親が結婚式の時を継げ知らせ、家族や親しい友人間のみで婚礼

婚礼の日時は父親のみが決定する専権事項でした。
携挙のときは、父なる神のみがお定めになられています(マタイ24:36)。

父親の許しを得た花婿は町外れまで花嫁を迎えに出ますが、
そこから先は友人たちのみを花嫁の家に送って知らせます。

携挙のとき、御使いたちの働きがあって
私たち信者は瞬時に栄光の体によみがえり

空中に引き上げられていき、そこで主とお会いします。
主は携挙された教会時代の聖徒を引き連れて天に入り、婚礼が行われます
(黙示録19:1~10)


4) 友人たちを招いての祝宴が7日間ほど続けられる

結婚式が終わると、中庭のような広い会場に移って祝宴が開かれます。
そこには多くの友人・知人たちが招かれています。

やがて主イエスは婚礼を終えた教会を従えて地上に帰ってこられます。

そこで即座に旧約時代の聖徒たち(ダニエル12:2)や
大艱難時代に聖徒となった人々(黙示20:4b,c)がよみがえり、
その祝宴に「友人」として連なるのです。
#救済

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「花婿を出迎える十人の娘」

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テルアビブのビーチにも夏がやっ... テルアビブのビーチにも夏がやって来ました


ホサナ・キリスト教会、聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートとはこちらから:

http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/511378

「花婿を出迎える十人の娘」
マタイ25章1~13節
~マタイ福音書連続講解説教78~

Ⅰ 「思慮深い」しもべのたとえ:マタイ25:1~13

1)10人の娘が花婿を迎える話がたとえで語られる。

*5人が「賢い」娘~油を備蓄していた
*5人が「愚か」娘~油は用意していなかった

双方ともにランプに火は点していた。
ランプの火とは聖書である(詩篇119:105)。

そして油とは、聖霊である。
ここで間違えてならないことは、二つの娘の区別が
聖霊に満たされた信者と、そうでない信者にあるのではないこと。

区別は、イエスを信じる者と、拒絶する者とにある。

パリサイ人、律法学者たちは
聖書に通じていて神との長い契約関係の歴史があった。

にもかかわらず、
イエスのメシア性を拒否したために聖霊に預かることができなかった。

ランプを灯してはいるが、油のない娘のようである。
彼らは主が迎えにこられたとき(携挙)、
主とともに天に引き上げられることはできない。

聖書で「愚か」とは不信者に向けられた言葉で、
信者に対して使われたことは一度もないことからもそれが分かる。

信者は天において先ず、
「メシアの御座の裁き」に導き出される。

そこでは罪に処する判定ではなく、
信者としてどのように信仰生活を忠実に歩んだかを評価される裁きである。

(先週学んだ箇所である)

その評価の判定基準とその後の報酬についても聖書は啓示している。


Ⅱ 携挙された教会が天でうける報酬

1) 報酬は、メシアからの「冠」として表現されている

*千年王国での地位や権威にかかわっている

*それは、天にいる24人の長老は冠を被っていた(黙示4:10)

*黙示録2~3章は、現在までの地上にある教会の描写

*黙示録4~5章は、携挙後の天にある教会の描写

*“After these things”(黙示4:1)は、
これまでの一連の啓示の後に起こることを示唆したもの。
例・黙示19:1が大艱難時代が終焉して天での婚礼が始まる接続詞

*教会は携挙の直後に天にてメシアから報酬を受ける

*その後、地上では大艱難時代が到来する

2) ギリシア語には2種類の冠がある

*Diadem~王家に生まれた者に与えられる
これはメシアが被っている冠

*Sephanos~勝利者、競技優秀者に与えられる
私たち信者が与えられる冠

3) 報酬として授けられる5つの冠はいずれもStephanos である。

① 朽ちない冠(1コリント9:24~25)
~霊的な戦いに勝利した人に
「 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、
ということを知っているでしょう。
ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」

② 喜びの冠(1テサロニケ2:19)
~主イエスに魂を導いた人に
「私たちの主イエスが再び来られるとき
御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。
あなたがたではありませんか。」

③ 義の冠(Ⅱテモテ4:7~8)
~健全な教理と道徳とを反対者の中で守りぬいた人に
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。
私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

④ いのちの冠(ヤコブ1:12、黙示録2:10)
~試練に耐え、殉教した人に
「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。
見よ。悪魔はあなたがたをためすために、
あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。
あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」

⑤ 栄光の冠(Ⅰペテロ5:2~4)
~神の言葉を忠実に語り続けた人に
「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。
強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、
卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。
あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、
むしろ群れの模範となりなさい。
そうすれば、大牧者が現れるときに、
あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。 」

4) これらの報酬に関する教えをたとえ話で説かれたのが、
ルカ19:11~27である。


結論  目標を目指して走る:ピリピ3:13~14

「 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。」

パウロが到達して、彼が生きた終末論がこの聖句に如術に示されている。
*「一事に励み」、「一心に走っている」というが、
それは神からの評価であり、報酬である

*選択的な忘却がある~彼の過去にあっては価値高かったものも、
最終のゴールを設定した今となっては、塵あくたにしか過ぎない。3:4~6

*彼のキリストにある新たな価値観とは、「神の栄冠を得ること」
  •それを、すでに得たのではない
  •捕らえようとして追求している
  •しかし、主イエスが捕らえて下った


#救済

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エルサレムの夕べ

thread
私が神学校で2年かけて学んだ内... 私が神学校で2年かけて学んだ内容を
1時間足らずでお話くださったルツ師。
真剣に聞き入る聴衆は 近隣の教... 真剣に聞き入る聴衆は
近隣の教会からの方々も。
ディナーはポトラックでのおもて... ディナーはポトラックでのおもてなし。

3週間ぶりとなった
ホサナ教会の礼拝。

特別礼拝として
「エルサレムの夕べ」と題する集会であった。

講師は2年ほど前のCOG聖地旅行ガイド
柿内ルツ先生。

イスラエルの地理、歴史、
エルサレムの置かれている特殊性、

遠大なテーマを
コンパクトに纏め上げて

実にわかりやすく
プロジェクターを駆使しながらの講演。
#救済

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