先日の夕方、私の言うことを聞かずになかなか勉強に取り組まない小学3年生の息子とけんかして、「今日はテレビはいっさいつけない!」と宣言してしまいました。
息子「ぼくはにぎやかなのが好きなのに、これじゃあかえって勉強する気になれないよ。」
などと悪態をついています。
私は、新聞などもまだ読んでいない部分がたくさんあるし、後で読もうと取り置いたものもあるのでこれを読むいいチャンスなどと気楽に考えていました。しかし2時間も過ぎるとたいくつしてきて3時間は続きませんでした。わざと会話をしないようにしていたこともあって、部屋の中がとても静かです。いつの間にかうとうととしてきたのです。これは息子も同じだったようで、夜の9時にはさっさと寝てしまいました。私も久し振りに夜の10時には床に就きました。
そして翌朝、やはり早く寝たせいか5時ごろには一度目が覚めてしまいました。さすがに今から動き出すのは早過ぎると思い、眠れなくてもしばらくは布団の中にいようと考えているうちに、また眠ってしまったのです。
ここからは夢の連続でした。そして、最後に見た夢だけは、やはりはっきりと覚えていたのです。それは小学校と中学校をまとめた同窓会が行なわれた夢です。途中で転校していったクラスメイトまでもが全員参加しています。挙げ句の果てにはどうしても顔も名前も思い出せないメンバーまでが2人ほどいたのです。この辺が夢の不思議なところです。そして、これだけはっきりとした夢をたくさん見るのは本当に何十年ぶりかです。
7時過ぎに起きると、さっそくそのことを妻と息子に話しました。
妻「私もたくさん観たわ。」
息子「僕も!」
どうやら家族3人、秋の夜長をそれぞれの夢でたっぷりと楽しんだようです。
カーネル笠井
帰宅する頃、東側にオリオン座が輝く季節になってきました。ベテルギウスと結ばれる冬の大三角形も瞬いています。夜空が透き通るようになってきました。
腕白だったころ、真冬にいたずらをして外に出されたことが何度かありました。しかも、裸足の時は冷たさと痛みとの戦いでした。そんな時に現実から遥か彼方へいざなってくれたのが夜空です。幼いながらも北極星や北斗七星はすぐに見つけることができました。神秘的な輝きに酔ったものでした。足の冷たさも忘れ、しばし見入ったことを思い出します。
ラッコ横山
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■食料自給率
・アメリカ 128%
・フランス 122%
・ドイツ 84%
・イギリス 70%
(2003年)
・日本 39%
(2006年)
【ニュース時事能力検定】スタートマガジンより
今日は授業中に地震が発生しました。授業中 地震に見舞われると、瞬間的に全てが止まります。私達地球人にとって足元がすくわれるということは、いかに不安定で危険なことか実感します。
地震のたびに思い出します。昭和53年(1978年)6月12日、17時14分、マグニチュード7.4(震度5)に見舞われた仙台沖地震です。これまで経験した地震で一番大きな揺れでした。
初夏の夕方、それはのどかなひと時を急に襲いました。ゆっくりとした横揺れが段々大きくなり、遊園地の乗り物のように大きくゆっくり揺れました。二階の棚からはバタバタと本や置いてあったものが落ち、階段を下りることもままならない状況でした。
何とか外に出ると、そこは海のように地面が波打っていました。地面があれほど波打つとは予想もできませんでした。その光景に足が止まりました。きっと同じような状態だったのでしょう、我が家の犬も地面に突っ伏したまま、耳が垂れたまま身を地球に委ねたまま。
自然の力に対してあまりにも人間の無力さを感じました。
受験勉強でも足元がしっかりとしていないと、安定した学習効果が発揮できません。これと決めたテキストを計画に従ってコツコツ取り組む、その安定感が確実な成績の向上をもたらします。
ラッコ横山
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■30年以内に震度6弱以上のゆれに見舞われる確率(抜粋)
・札幌市 0.5% 根室支庁 45.7%
・仙台市 2.8% 福島市 0.1%
・東京 11.4% 千葉市 27.2%
横浜市 32.9% 宇都宮市 0.3%
・新潟市 3.4% 金沢市 1.0%
甲府市 82.3% 静岡市 86.8%
・津市 62.5% 大阪市 23.0%
和歌山市 35.1% 京都市 6.5%
・鳥取市 0.8% 広島市 10.2%
山口市 0.7% 岡山市 9.1%
・徳島市46.5% 高松市 21.4%
松山市 22.7% 高知市 54.3%
・福岡市 2.3% 佐賀市 0.6%
大分市 15.7% 宮崎市 13.3%
(【ニュース時事能力検定】 スタートマガジンより)
十数年前に分割で眼鏡を買ったとき、千円近くする眼鏡拭きを一緒に勧められました。小さな眼鏡拭きはたいていサービスで眼鏡についてくるものなので、ずいぶんと高価な眼鏡拭きだなと感じました。しかし、分割なのでそう負担が増えるわけではないなどと考えているうちに、一緒にいた妻の分までちゃっかり買わされてしまったのです。
その眼鏡拭きは十数年たった今でも1日1回は眼鏡を拭くのに使い続けています。しかし、当の眼鏡の方はそのときに買った眼鏡のすでに3代目になってしまいました。眼鏡拭きの前を眼鏡達が通り過ぎているようです。実は、妻もそのときに買った眼鏡拭きを今も愛用していて、こちらも同じように眼鏡だけが通り過ぎているのです。まるで、“主客転倒”といった感じになっているのです。
主客転倒とまではいかなくても、同じようなことが受験勉強でも良くあります。この時期、受験のカリキュラム学習はどこの進学塾でもほぼ終了しています。今後は、実践力と苦手教科や苦手分野を克服するための時期に入っているのです。ですから、受験生の課題は個々に異なり、これを同一の教材や同一のカリキュラムでまかなおうとするのにはかなりの無理があります。自分の苦手とじっくり向き合う時期だからです。そして、カリキュラムに追われることなく自分の苦手に取り組むようになると、意外とその教科の今まで気が付かなかった面白さがわかり、今まで何で苦手に感じていたのかわからないほど好きになってしまうことが良くあるのです。
秋の夜長、まだ鳴いている秋の虫の声を聞きながら、あわてずに苦手教科に取り組んでみましょう。もともと苦手なんていうのは自分で勝手に決めて、勝手に思い込んでいるだけなのですから。今こそ苦手を楽々克服するチャンスです。
カーネル笠井
昨日家を出るとプーンとキンモクセイの香りがただよってきました。今年初めてかぐキンモクセイの花の匂いです。「春は沈丁花(ジンチョウゲ)、秋は金木犀(キンモクセイ)。」と言われるように秋を代表する香りの1つで、私の好きな香りの1つでもあります。このキンモクセイが私のマンションの周りにはたくさん植えられています。ですから、特別なことをしなくてもこの香りを楽しむことができ、めぐまれた環境だと思っています。
このキンモクセイの香りが好きな理由の1つは、陽だまりのにおいがするからです。寒いのが苦手な私は、子供の頃、2階のかわら屋根の上に干された布団の上に寝転んで良く日なたぼっこをしました。このときの暖かい布団のイメージを呼び起こしてくれるのがキンモクセイの香りで、気持ちがとてもリラックスできるのです。
学生の頃、いい匂いのする香水をつけている女の子がいたので、さっそくそれが何かたずねました。
私「いい匂いがするね。何ていう香水なの。」
彼女「香水はね、香水とそれをつける人の汗の匂いが一緒になってはじめて香水になるのだから、つけた香水が何だとかは関係ないのよ。」
と言って、教えてくれませんでした。このころの香水と言うと『シャネルの5番』が圧倒的な人気でした。きっとこれだろうと勝手に思い込んでいますが真偽は定かではありません。そして、あのように言い切った彼女は、今はどんな大人の女性になっているのだろう、などとなつかしく思い出されたのです。
そんなことまで思い出させてくれたキンモクセイの香りですが、しばらくはこの香りが楽しめそうです。
カーネル笠井
10月だと言うのに、なんと蝉が鳴いています。10月に蝉の声を聞くのは初めてかも知れません。日中は蝉の声、そして夜は虫の音となんとも贅沢な感じもします。地球の温暖化が小さな昆虫の世界まで影響を及ぼしています。
季節はずれと言うよりも、気候が変化していると言った方が、虫のためでしょう。
(ラッコ横山)
ついに学校給食までその被害が広まっている「事故米」問題。そこで今回は米の流通システムについてお話ししたいと思います。
旧食糧管理法は1942年に制定されました。
戦後、主要食物が配給制となっていた時代にさかのぼります。
国内で生産された米は農家の自家用分以外全ては政府が買い取りました。その米を国民に公平に配給するためのしくみがこの旧食糧管理法に定められていました。米の集荷・卸・小売に至るまで全てを国が指定し、その買い入れ価格や販売価格も国が決めていました。
そして迎える高度経済成長期。国民の暮らしが豊かになると段々とお米の味にこだわるようになります。そしていつの間にか流通の過程でおいしいお米だけが抜かれて高い値段で売られるようになります。
1970年代になると米は過剰生産となり米あまり現象が起きはじめます。1972年には720万トンという在庫を政府が抱えることになりました。この量はほぼ1年間の国内生産量に匹敵するほどの量だったのです。
これがたくさんの赤字となり、国の財政に大きな影響を与えます。当時問題になっていた、国鉄(JRの前身)、健康保険と並んで「3K」とまで言われるようになりました。そこで、政府は米の減反政策に乗り出します。国の掲げた目標生産量に協力する農家へは奨励金などを交付し、逆に協力しない農家へは米の買い入れ量を減らす対応をとりました。しかし、この政策は臨時の措置でしかなく、最近まで続けられることになったのです。
その流れの中、1969年に「自主流通米」が生まれます。政府米とは別の流通システムを認め、銘柄米のようなおいしいお米が流通するようになったのです。さらに1972年には消費者米価の自由化により米の小売値は自由につけられるようになりました。そして1981年には配給制度そのものが廃止となりました。
1993年の夏のことです。冷夏によって米は不作となり輸入米に頼らざるを得ない事態がやってくるのです。そこで政府は米の緊急輸入化に踏み切り、これを機に新たな食糧管理法ができる運びとなったのです。
新食糧法の主な特徴は次の通りです。
・政府は輸入米と備蓄米を取り扱う
・米の流通は自主流通米を中心とする
・流通ルートは登録制とし、多くのルートを認める
・価格は市場原理(需要と供給のバランスにのっとって決めること)に従う
・ヤミ米(自由米)も届出があれば認めるなど。
・・・つづく・・・
大手塾に通っている6年生の女の子Kさんが話してくれました。
Kさん「9月に入ってからの、男子のがんばりがとにかくすごい!」のだそうです。
夏休み前までは幼くて、雑で、いいかげんだった男の子が、目の色を変え、わき目もふらずに勉強に取り組むようになった様子が目に浮かびます。こういうときの男の子のパワーには圧倒されるものがあります。
Kさん「でも、私も負けないわ。」女の子も負けてはいません。
このころになると、どの子も夏休み前に比べて3割くらいパワーアップさせて勉強に取り組んでいます。ですから、それまで通りにやっているだけでは成績が下がってしまうことになります。こんな中で成績を上げるのは至難の業です。でも、どうしても成績を上げなくては自分の目標に達しない子も多くいるのです。
こんなときには「伝家の宝刀」をふるうしかありません。それは何かと言うと“ねてもさめても”なのです。以前所属していた塾では、卒業生に『ねてもさめても』という表題の格言と写真の載せられた本に、指導員の寄せ書き等を入れて贈っていました。ここでは、寝ても覚めてもあることを思い続けていると、いつの間にかそういった夢や希望が叶う、という意味で使っていました。
受験勉強も正にその通りだと思います。寝ても覚めても勉強の事を考えている子だけが飛躍的に成績を伸ばしているのです。ですから、卒業生よりもむしろこの時期の受験生にこそこの言葉を贈りたいと考えていたのです。
しかし伝家の宝刀ですから、あまり何回も、また長い期間は使えません。せめてここ数ヶ月だけでも、ねてもさめても勉強のことだけを考える、という経験をぜひ一度して欲しいと思います。
カーネル笠井
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