わがやの姫君は体重が7キロもあるおデブちゃんだが、さすがはネコで敏捷だ。デッキの手すりの幅は9センチに満たないが、その上にピョンとジャンプし、手すりの上で昼寝も出来る。手を揃えると、それだけで手すりの幅一杯となり、胴体の両側は手すりから下に垂れることになる。 このような格好で、うとうとしながらすぐ先に吊り下げられているフィーダーを訪れるハミングバードを眺めるのが花里子の好きな夏の過ごし方のひとつだ。
このところ頻繁に鹿の親子がわがやを訪ねてくる。かのこがはっきり見える小鹿が2頭と母鹿1頭の親子連れだ。 下草やつたの若葉を食べているのは構わないが、フロントヤードの桔梗のつぼみを食べたので洋子さんは腹を立てている。鹿のせいでここ数年わがやではチューリップや背丈の低いバラを育てられないが、いずれわがやの庭では鹿が食べない椿、さくら、シャクヤク、あじさい、ラベンダー、てっせん位しか花を咲かせることが出来なくなるかもしれない。
ほぼ毎月のようにわがやに鹿が訪ねてくるようになり、またしばしば鹿がわがやの前の道を横切って向いのグリーンベルトとの間を往来するため、マーサーアイランド市に依頼して昨年6月にわがやの前を走るGallagher Hill Roadに『鹿に注意(Deer Crossing)』の標識を立ててもらった。わがやをはさむ約100メートルの地点に2本の標識が立てられ、これで鹿が巻き込まれる事故が防止出来るだろうと少し安心した。 今年1月、この標識のうちわがやに近い1本が何者かにより引き抜かれなくなっていることを発見し、市に連絡したところ数日後に復旧した。不心得ものがいたずらして引き抜いて、近くの谷に放置してあったようだ。 3月になって再び同じ標識が紛失しているのを見つけ、市に連絡した。念のため標識のあった近くの谷を注意深く見たが、標識らしきものは見当たらなかった。数日前に新しい標識が立てられた。 それにしても誰がこの標識を引き抜いたのだろう。わがやの前の道は高校生が通学に使っているが、交通量が少なくないので日が高いうちはそのようないたずらは不可能だろう。やるなら闇に乗じて暗くなってからに違いない。新しい標識は簡単に引き抜かれないよう、柱はコンクリートで固められてある。念のため手で押したり引いたりしてみたが、びくともしない。これで当分の間は標識が紛失することもないだろう。
ネコは体内にたまった毛を排泄するために時々草を食べるが、花里子は草に加えパンジーが好きだ。そのためわがやでは冬でも室内で鉢植えのパンジーを育て、切らしたことがない。しゃれたヨーロッパ系レストランではパンジーは食べられる花としてサラダに添えられる。 フロントデッキに落ちていたさくらの花びらを花里子が食べようとしていたので、洋子さんが満開のさくらの小枝を取ってきて見せると、花里子は花びらを1枚づつおいしそうに食べる。さくらの花はさくら湯にしたり塩漬けにしたりして食に供するが雅なものである。さくらの花が好きな花里子も意外と風流なネコ?
最近わがやのバックヤードは鹿たちのお休処と化している。道路から少し離れていて静かな上、犬もいないしネコの花里子は相手にならず、おまけに隣家との境界に鹿が好んで葉を食べる雑木の常緑樹が何本もある。 以前はバックヤードで食事をするだけだったのに、12月末に次いで今朝も8時頃から2時間以上リラックスムードでお休みしていた。お休み中は忙しく口を動かし、食べたものを反芻している。
今朝6時頃、われわれのベッドの上に寝ていたネコの花里子が足元に移動して、じっとガラスドアの外を見ているので洋子さんは目覚め、まだ暗いバックヤードを見ると鹿が何頭か来ているのに気付いたそうだ。 朝食時、すっかり明るくなった外で3頭の角のない鹿はバックヤードの茂みにうずくまってリラックスしている。9時過ぎにはまた立ち上がって周りの木の葉やつたを食べている。これらはわれわれが大事に育てているものではないので、食べられても構わない。 午前11時になって3頭の鹿はゆっくりとわがやのフロントヤードに移動し、道路を横切って向かいのグリーンベルトに帰っていった。今日は洋子さんが気付いてから5時間もわがやのバックヤードに滞在していたことになる。わがやが彼らにとって居心地が良いことは悪いことではないが、来春のチューリップやバラ、更には夏のイチジクが食べられてしまうのではないかと心配だ。
今朝また鹿の一家がわがやの近くを訪問した。 わがやの前を走るガラガーヒルロードは静かな住宅街のわりに交通量の多い準幹線道路だが、道路の向こう側はグリーンベルトで、結構深い林になっている。 朝、花里子の部屋からその道路を見ていると、グリーンベルトの中で鹿が2頭、草を食べているのが見えた。洋子さんを呼んできて2人で鹿を眺めているともう1頭角の生えている鹿が加わった。花里子も連れてきて、しばらくみんなで鹿を眺めていた。部屋の窓から鹿のいる所までは直線距離で40メートル位あるが、窓を少しあけると鹿はその音に気付いてわれわれの方をじっと見ていた。 道路は朝の通勤時間でもありかなりの車が行き来するが、鹿は道路からわずか5メートル位のところで車を気にもせずに食事している。マーサーアイランドの鹿は車に慣れているのだろう。鹿のいる所は道路より少し低くなっているため、ほとんどの車は鹿に気付かず通り過ぎてゆくが、何台かは鹿を見つけて徐行していた。 写真は真剣に鹿の動きを監督している今朝の花里子。
わがやのペットである花里子はデッキまでは出るがそれより外には出さない。生後約8週間からわがやに暮している花里子はまだ小さかった時に2、3回、デッキから庭に落ちたことがあるが、いつも誰かが落ちたところを目撃しており、すぐに家に戻してあげている。 雨降りや寒い時を除いて花里子はデッキに出るのが好きだ。デッキでは間近にハミングバードやロビンやリスを見ることが出来る。デッキで鳥やリスが餌を食べているのを見ていると自分も食べたくなるようで、自分の食器に残っているキャットフードを食べに度々部屋に戻ってくる。今頃の時期、明るいうちはドアを開けて網戸を花里子が通れるように少しだけ開けてあるので自由に出入り出来るが、暗くなると虫が入るのと結構涼しくなるのでドアを閉めることが多い。夕食後ドアを閉めてテレビを見ていると、私をドアボーイと心得ているのか『出して。』『入れて。』を頻繁に繰り返す。 数日前、夜も更けたので洋子さんとベッドルームに行く際、花里子の姿が見えなかったが多分先にベッドルームで寝ているのだろう、と二人とも思い込み、確認せずにデッキに行くドアをロックしてわれわれも寝てしまった。翌朝早く洋子さんがいつもは顔のすぐそばに寄ってくる花里子が来ないことに気付き、家中探し回ったが花里子は見つからない。私も起きて二人で探し回り、念のため玄関のドアを開くと花里子の鳴き声がする。花里子は玄関の階段の下に隠れていた。 花里子がどうして裏にあるデッキとは反対側の玄関に来ていたのかはよくわからないが、多分鳥を捕まえようとしてデッキから落ち、家の周りを歩いてもっとも安全な場所を見つけたのだろう。きっと心細い一夜を過したことだろう。 この出来事を教訓として、翌日から花里子がデッキに出ている時はドアにマグネットの付いたネコを必ず付けるようにしている。
シアトルのある地域をピュージェットサウンドと言うが、ここには世界でも有数の大きないきものが3種類ある。 ひとつは大きなタコ(Giant Octopus)で足1本の長さが2メートルに達する。シアトルの水族館でこのタコを見ると、昔子供たちと一緒に見た『海底二万里』の映画を思い出す。 二つ目はナメクジでバナナスラッグと呼ばれ、大きいものは25センチにも達するそうだが、これまでに自分が見たことのある最も大きいナメクジは15センチ位だ。ナメクジは庭に植えた花を食べてしまうので、洋子さんはナメクジよけの薬を草花の周りに撒いている。近くの公園で10センチ位のナメクジが集団で遊歩道を横切っているところに出会うと、少し腰が引ける。 三つ目の大きないきものはおばけみる貝で地元ではグイダック(Geoduck)と呼び、魚屋で売っているグイダックは、貝殻から外に伸びた水管の長さが30センチ位はざらだ。水管は太いものでは直径が5センチ位あって色もテクスチャーも見るからにグロテスクだが、子どもたちが小さかった頃、魚売り場で恐る恐る指で突付いていたことが懐かしく思い出される。 シアトルに移住した1970年代頃は、グイダックは安くて美味しい食材で、さしみ、すし、バター焼などにしてよく食べたものだ。ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、ロスアンジェルスなどどこに行ってもすし屋で使っているみる貝はシアトルから来たグイダックで、ちょっぴり旅の寂しさを癒してくれた。グイダックは甘みがあって貝の風味も良く、またコリコリした歯ざわりが最高でシアトルのデリカシーのひとつだ。 その頃シアトルの本屋ではグイダックの唄のぬり絵を売っており、まだ小さかった子どもたちのために買ってあげた。メロディは忘れたが歌詞の一部はいまだに覚えている。 グーイダック グイダック 一匹1ドル大もうけ グーイダック グイダック ドナルドダックは関係ない グーイダック グイダック いでたちばかりがすごいのは新米またはおたんちん 最後の節はグイダック狩りの人々のことを唄っている。誰が作詞したか知らないがおもしろい唄だ。このぬり絵は今でもシアトルの紀伊国屋に行けば買えるのだろうか。 潮干狩りならぬグイダック狩りはマウントレニアに登ることと並んで、ワシントン州に住む子どもたちの通過儀礼みたいなものだ。水が引いた砂浜で水管の先端と思しきところをシャベルで50-60センチ掘って貝を取出すのだが、潮が引いたばかりの砂はスープ上のため穴を掘っても周辺が崩れて深い穴がうまく掘れない。そのためプラスチックや金属製の太いパイプをグイダックのいる周辺に埋め込み、その中の砂をかき出して穴を掘るのだが、実際には濡れた砂浜に腹ばいになって穴に手を突っ込むなど泥まみれの仕事だ。 当時でも唄のように一匹1ドルでは買えなかったが、1990年頃からグイダックが香港や中国にたくさん輸出されるようになって価格は高騰し、今ではやはりシアトルのデリカシーであるダンジネスクラブ(かに)よりも高級食材になってしまい、すし屋で気軽に食べられるネタではなくなった。
スライドショーを閲覧するにはジャバスクリプトが必要です。 洋子さんと朝食中にふと窓の外に目をやると、鹿がバックヤードを訪れているのが見えた。角が生えている若い雄鹿だ。1頭で行動している。鹿は雄同士、雌同士で群れをつくると聞いているが、他に雄鹿はいないのだろうか。 昨年7月に鹿の子の付いた小鹿が母鹿に連れられてわがやを訪れたが、11月には小鹿の1頭に小さな角が生えていた。この雄の小鹿が成長して母や妹の鹿から独立し、1頭で暮しているのだろう。だからこの鹿は多分マーサーアイランド生まれと思われる。 後刻フロントヤードに出た洋子さんはもうじき咲きそうだったバラの蕾がすべて食べられていることを発見し、がっかりしている。まだ咲いているシャクヤクやポピーは無事だったが、これらはアジサイと同じように鹿にとっては有毒なのだろうか。 昨年バックヤードの木を切るにあたりマーサーアイランド市より木を切る許可を得たが、その際に市の担当者に鹿が訪ねてくるので、前の道路で鹿が車と衝突する危険がある、と話した。その担当者は市の責任者に話してみると言っていたが、数日前にようやくDeer Crossingの警告標識が立てられた。今日わがやを訪れた鹿はこの道路を横断してきたと思うので、新しい警告標識は役に立っているのだろう。