東照大明神、すなわち徳川家康の墓陵、日光東照宮の西側には「男体山(なんたいさん)」が有ります。弘法大師が彫ったと言われる西照大明神(にしてる)を御本尊として祀られている大瀧寺の東北には「女体山」が有ります。「東」と「西」、「男」と「女」と言う奇妙な一致点が有ります。「女体山」はまた四国八十八箇所の結願寺である「大窪寺」の背後の山です。大瀧寺は「新四国八十八箇所の結願寺」でも有ります。 5月初め 林道を車で女体山に登って来ました。道の駅を過ぎて県道志度山川線を暫く行くと別れ道が有って「林道矢箸太郎兵衛線」に入ります。この林道は女体山稜線を越えて大窪寺迄通じています。 「多和神社」讃岐忌部氏にまつわる神社とされます。式内社にあるにも関わらず郷社の様な簡素な神社です。実は明治になって志度にある「多和神社」が式内社と変更されたようです。女体山周辺は「多和地区」と呼ばれています。また、「かぐや姫伝説」の地とも言われています。 讃岐忌部氏 竹取物語との関連 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/讃岐忌部氏 竹取物語 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/竹取物語 「昼寝城跡」多和神社を奥に進むと「昼寝城」への登山道が有ります。戦国時代迄の中世の山城ですが、古くから多くの人が暮らしていた様です。山上集落を作る忌部氏が多く住んでいたと思われます。讃岐忌部氏は「笠」と「竹」を朝廷に献上していました。この地区も竹藪が多くて、今でも竹細工工芸が盛んです。 「庚申塚(こうしんづか)」道教の思想が元にある様ですが、いわゆる陰陽道(おんみょうどう)と関係が有りそうなモノリス(石碑)ですね。庚申塔は五角形の角柱です。讃岐忌部氏ゆかりの神社を巡って来ましたが良く見かけます。また、女体山周辺にも多く有ります。 庚申塔 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/庚申塔 庚申塔と道教 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/道教
Posted at 2015-05-20 03:45
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Posted at 2015-05-20 18:34
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