今の所、香川と徳島の忌部氏の歴史と四国八十八箇所霊場にまつわる精神的遺産と云うか遺物を追って連休頃から撮影をして廻っています。 忌部氏は古代日本の祭祀、芸術、技術者の集団でした。古代王権と密接な関係にあり、邪馬台国や古代神話は阿波にあったという説もあります。更に時代が降り平安時代に弘法大師 空海の修行の場として四国八十八ケ所霊場が今に受け継がれています。その為今でもそうした遺産や遺物が現存しています。多くは更に後世の物と考えられますが、現代に至ってはそうした遺構の多くが忘れ去られています。ややスピリチュアルな考えになりますが、こうした遺構の一つ一つに「偉大な想念」が隠されていると思い知らされる様になりました。それを具体的に述べる迄には今の所出来ませんが、少なくともカメラで撮影出来る遺産は存在しています。今それを少しずつ撮影し始めましたので紹介して行きたいと思います。 前回少し紹介した「五角柱地神碑」です。讃岐忌部に所縁の神社や遍路道傍で多く見かけます。5面にはそれぞれの面に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、植安媛命(はにやすひめのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)の神名が刻まれています。五穀豊穣を祈る民間信仰との事ですが調べてみると面白い分布がある様です。四国では香川と徳島、兵庫、岡山、広島、山陰の一部と、忌部氏の分布に近い物が感じられます。一説には江戸時代阿波藩主蜂須賀公が奨励した信仰だとも書かれていますが、分布からしてそれ以前の信仰の様ですね。北海道にも有るそうですが、それは阿波の開拓民によって建立されたそうです。大地を耕し豊作を祈った農民の心の拠り所として「天地の神々」を敬った象徴です。 「庚申塔」あるいは「庚申塚」は中国から伝来した「道教」に由来する「庚申信仰」に由来する石塔だそうです。江戸時代初期頃から盛んに各地に建てられた様ですが、明治政府になって「庚申信仰は迷信」と言う事になり多くは撤去された様です。しかし、第八十八番札所への遍路道沿いに2箇所見ることができます。庚申の日の夜 人間の体内にいる三尸虫(さんしむし・桂三枝では無い^^;) がその人間の悪行を神様に報告しに行くとされるので夜通し寝ずに青面金剛を祀ったり、宴会をする風習だそうです。青面金剛像の下に「見猿、言わ猿、聞か猿」が彫られているのが象徴的ですね。 青面金剛 庚申信仰 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/青面金剛 この様に四国八十八ケ所霊場巡りでは仏教以外にも古神道や、道教色や、民間習俗色のある信仰などが織りなされている事が判ります。
Posted at 2015-05-26 02:55
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Posted at 2015-05-26 18:30
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