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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2001年度 4月 - 日本建築の原型とその展開

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2001年度 4月 - 日本建... 2001年度 4月 - 日本建...
サウス・ベイ経営セミナー4月度(4月11日、ホリデーイン・トーレンス)
「日本建築の原型とその展開」

講師=高瀬隼彦さん

サウス・ベイ経営セミナーのメンバーである高瀬さんが、今回の講師に選ばれた。高瀬さんは、1953年に東京大学建築学科を卒業し、翌年には、ブラジル・サンパウロの市制400年を記念した万博で、日本館の建築のため、ブラジルに渡る。サンパウロでの仕事が終了したのち、アメリカに滞在し、ミノル山崎建築事務所で働きながら、ハーバード大学大学院(デザイン学部建築学科)を卒業する。1960年から鹿島建設本社設計部、1964年に米国鹿島アソシエーツの設計部長としてロサンゼルスに赴任。リトル東京の鹿島ビル、ニューオータニ・ホテルなどの建築に携わる。1977年にタカセ・アソシエーツを設立、1988年から1994年までは日建アメリカの社長を務める。
コミュニテー活動としては、南加日系商工会議所の会頭、LA東京会の会長、着物を着る会の会長など、多くの団体に参加している。2000年11月には、日本建築を海外へ紹介した功績で、勲章を受けている。

<講演内容>
日本建築のルーツは、弥生時代に作られた高床式の住居にまで、さかのぼることができる。この高床式建築を、現在まで継承しているのが、伊勢神宮の神殿で、伊勢神宮こそ日本建築の原点といえる。伊勢神宮では、20年ごとに神殿を建て替える「式年遷宮」が1300年間も続いている。20年ごとに神殿を建てることで、建築技術が次世代に継承され、半永久的に建築物を保存することができる。この技術伝承のシステム化は、世界に類のないもので、日本が世界に誇ることができるものだ。
高瀬さんは、1953年に、サンパウロに建てられた日本館の建築の携わる機会があり、日本建築のトップレベルから直接学ぶ機会があった。日本建築は、芸術の域にまで達しており、海外でも高い評価を得ている。しかし、現代の日本では、日本建築は時代に合わなくなり、米国の建築方式「2X4」が浸透しつつある。
アメリカでは、日本庭園が各地に作られている。その日本庭園には日本建築(茶室など)も作られている。建築方式がまったく異なるアメリカで日本建築を作る仕事は、和洋折衷作業であるが、そこに新しい日本建築の手法が生まれている。
日本でも、法規制があり純粋な日本建築を作ることは難しくなっている。そこで、アメリカで実践してきた現地の工法や規制に沿った日本建築作りは、これからの日本で、参考になるのではないか。
(要約=東 繁春)(了)

2001年4月13日
Takase Associates, Inc.

高 瀬 隼 彦 様

先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。


「日本建築の原型とその展開」と題してのお話しは、改めて私たち日本人の培ってきた日本文化の素晴らしさを認識し、誇りと自信を与えて頂きました。

日本建築の持つ美しさを、自然素材の生かし方、独特の配置(プロポーション)そして自然との融合と分析され、私ども建築には縁遠い者にも興味深く判りやすいお話しを頂きましたご配慮に深く感謝申し上げます。

日本建築の原型としての伊勢神宮のお話しの中で、20年毎に行われる式年遷宮やそこで使われた棟持柱のリサイクルなど、エコロジーが盛んに叫ばれる現代に於いても充分通用するものとして、大変興味深くお伺いしました。

また、お話をされている高瀬様のお姿を拝見しながら、御自身が心から日本建築さらには日本文化を愛し、敬承されていることを強く感じました。

セミナーのためにご多忙の中を改めて伊勢神宮にお参りになったともお聞きしました。また、貴重なスライドなども準備いただき、楽しく有意義なセミナーにしていただきましたご努力に改めて感謝申し上げます。

終わりに益々のご健勝ご活躍を祈念致しまして御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
#SBMS過去のセミナー

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2001年度 3月 - 日本企業の海外生産とグローバル・ローカライゼーション

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2001年度 3月 - 日本企... 2001年度 3月 - 日本企...
テーマ:日本企業の海外生産とグローバル・ローカライゼーション
講師:長尾謙吉さん、大阪市立大学経済研究所助教授、2000年12月から1年間、フルブライト・プログラムによる研究者としてUCLA地理学科に在籍中。

長尾さんの専門は、経済地理です。これまでの経済学は、空間の広がりという視点が欠けていた。経済の「需要供給曲線」は、すべてのひとが、同じ場所に住んでいるという前提で作られている。例えば、生産者が日本にいて、消費者がアメリカにいて、お金の決済はイギリスで行われ、という時代では、「空間」という要素を考えることが、重要になってくる。

「グローバル化」「地球的規模で考えよう」ということが、言われているし、『地理の終焉』というタイトルの研究書も出版されている。どこへでも簡単に行けて、なんでもすることができる時代が来ている、というが本当であろうか。
1993年に制作された映画「デモリッシュマン」は、シルベスター・スターローンが主演している。50年後の近未来の南カリフォルニアが舞台で、グローバリゼーションが行き渡った世界が描かれている。その映画の中では、ちょっといいレストランとして「タコベル」が使われている。競争の結果、生き残ったレストランは、「タコベル」という設定である。

「ボーダレス時代」とも言われている。国家の境界線という意味でのボーダーの役割は消えつつあるかもしれないが、国家の中のさらに小さな単位である地域の特徴までは、消え去ってはいない。むしろ、地域的な特徴が顕在化している。
日本・韓国とアメリカ・カナダでは、車の売れ方が違う。アメリカ・カナダでは、中古車価格が非常に高く、中古車市場で信用を得ないと、新車も売れない。この一番いい例がヒュンダイ自動車である。安いヒュンダイの車は、最初は、たくさん売れたが、中古車市場を作ることができなかったため、その後、売上は伸び悩んでいる。韓国で売れる車とアメリカで売れる車は違うということである。また、アメリカの中でも、海岸部に人口が集中している東部では、潮風の影響があり、車はすぐさびてしまう。東部で売れる車にするためには、さびない工夫が必要である。

アメリカでは「ニューメディア」、日本では「マルチメディア」と呼ばれるインターネットを中心とした新事業の会社は、全米に均等に散らばっては、いない。特定の場所に集中する傾向がある。サンフランシスコであれば、マーケット・ストリートの南側、「ソーマ」と呼ばれる地区に集中している。ソーマは、縫製工場があった場所で、ニューメディア企業は、工場の跡の建物を利用している。ニューメディアは、衣服産業とよく似て、不確定性の世界である。何が売れるか分からないことと、売れると短期間に大量に作らなければならない、という共通点がある。
サンフランシスコは、アートとテクノロジーが結びつくことには、最適の町と呼ばれている。サンフランシスコは、ゲイの町として有名だが、カーネギー大学の調査によれば、ニューメディア産業の集積とゲイ地区には、相関関係がある、という。ゲイを受け入れる地域は、新しいことを受け入れる、という解釈である。
世界的な企業になったソニーは、愛知県に工場が多いが、これは、創業者が愛知県出身であったことと関係している。創業者が地元のことをよく知っていて、工場を作りやすかったからだ。

世界的規模で販売されている製品は、母国市場が非常に大きな影響力を持つ。アメリカでは、新車でも故障することは、許容されていた。しかし、日本のカスタマーは、故障を非常にいやがり、日本メーカーは、壊れない車を作った。そのことが、アメリカでも競争に勝つことができる車作りにつながった。
自社製品の優れた面や製造方法の優れた点を「自明視」せず、自社や地場の持つ優れた面を見直すことが大切である。
(要約=東 繁春) (了)

2001年3月17日

大阪市立大学経済研究所助教授
長尾 謙吉 様

先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。

経済学に「空間」「領域」「場所」「距離」の重要性を持ち込んだ経済地理学が、社会科学において再評価を受けているとのお話し、大変興味深くお伺いしました。

グローバル化、情報化という言葉が先行し、地球上どこに居ても同じかのような印象を与えている未来観に、地理の意味をもう一度考え直す良い機会となりました。

ちょっと洒落たレストラン・タコベルから運ばれたタコをほうばりながら、砂漠でビジネスをする姿は、あまり魅力的には見えてきません。
既に現実として現れてきている 所謂ニューメディア産業の大都市集積や、ボーダレスになって見えてくるボーダフルな社会・経済など、大変楽しく聞かせて頂きました。

また、「Taken for granted world」を「自明視」せずに足元の優位性を見直す事も大切と、我々の日常生活やビジネスの世界にも当てはまる示唆に富んだお話しを伺いました。

ダンスのお話しを頂く時間がなかった事だけが、残念に思っております。また別の機会にダンスのお話しをお聞かせ頂ければと願っております。

終わりに 益々のご発展ご活躍を祈念致しまして 御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
#SBMS過去のセミナー

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2001年度 2月 - 作家人生

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2001年度 2月 - 作家人... 2001年度 2月 - 作家人... 2001年度 2月 - 作家人...
作家で元役者の馬場信浩さんからお話を聞きました。

セミナーは、先日起こった日本の漁業訓練船と米国原子力潜水艦の衝突事故への黙祷から始まった。馬場氏の歩んでこられた人生経験の中から、多くのものを楽しく学ぶ事が出来た。

役者として、コマ劇場での脇役専門の時代。主役には許されるマイクを持たせてもらえず、声の共鳴する場所を舞台の上で探しながらセリフを言った苦労話。
作家になるために役者になることを勧めてくださった毛利菊江さん。可愛がってもらった田崎潤さん、何かと面倒を見てくれた芦屋雁の助さんの話しをされる時には、涙も浮かぶ情熱家の一面も垣間見た。

作家として、多くの懸賞に応募しても認められなかった。もうこれで最後だと思って応募したエンターテイメント小説大賞で大賞を受賞。幼い娘に大賞の褒美に「たこ焼き」をねだられて泣いた貧乏暮し。
プロとは、金・時・命をその仕事にかける事のできる人。そして、その仕事に「The End」の文字が打てる人。

テレビの23時ショーの司会など売れっ子となって、全てが旨く運び出した様に見えた頃、以前の様にものを書く事が出来なくなっている自分に気がついた。
京都伏見工業高校のラグビー部山口監督を通して教育現場を検証する事から、次の作家としての歩みが始まった。
「愛とは、信じて待って許す事」と山口監督から学んだ。

「もの書きにプロもアマもない。要するに人を感動させる事が出来るかどうかだけ。」という馬場氏の言葉に、気迫を感じた。

終始 人を引き付ける巧みな話術に、聞き入っている内に時間が経過していった。

「只で、楽しく、為になる」の「3た」をモットーに始まった2001年サウスベイ・マネジメント・セミナーの年初を飾るに相応しいものでした。

2001年2月17日

馬場 信浩 様

先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。

劇場に立つ役者、マスコミのテレビ司会者、そして作家として親として。どの話しも私どもの脳を刺激するものでした。そして、その有意義なお話を楽しいエンターテイメントとして、お聞かせいただいたことに、厚く感謝申し上げます。

「金時命」を懸け、「終」の文字を書けるプロの話し。
「愛とは、信じて待って許す事」とラグビー監督から学ばれた話し。
「プロとアマの区別など無い。要は如何に感動させられるかです。」という作家の話し。

体験に基づいたお話に楽しく聞き入る内に 熱いものを感じる時間でした。私どもにとって遠い存在のように感じられていた作家の世界が、ビジネスとも多くの共通点があり、身近なものと感じることが出来ました。

お話を伺った後、新たな元気が湧いてきたような気が致します。
今後とも折に触れ、お話を思い出し、精進したいと思います。

終わりに 益々のご発展ご活躍を祈念致しまして御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
#SBMS過去のセミナー

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2001年度 1月 - SBMS総会および新年会

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2001年度 1月 - SBM... 2001年度 1月 - SBM...
2001年 1月 27日

新 年 会 ご 出 席 お 礼

昨日は私達「サウスベイ経営セミナー・新年会」に御多忙にもかかわらずご出席いただき、大変有り難うございました。
おかげさまで 21世紀のスタートにふさわしい有意義で楽しい新年会にすることが出来ました。
この盛り上がりと活力をベースに、今年も一年 頑張りたいと思います。

私達「サウスベイ経営セミナー」は、会員が当地アメリカで企業経営に携わるうえで日々直面する様々な問題について、専門家を招いて勉強したり、会員同志で研究・話し合い等を行っており、会員がビジネスを行ううえで役立つ重要な情報源となっています。また、この会は会員及び会員家族相互の連携、親睦にも留意した活動も行っており、海外で活躍する日本人にとって心の支えの役割も果たしています。

昨年も最高の講師の方々にめぐまれ、大きく前進できた有意義な年でした。
創立7年目を迎え、今年もまた 新しい体制のもと、セミナー・情報交換などを積極的に行い、所期の目標に向かって確実に前進する会を目指します。

21世紀も「サウスベイ経営セミナー」にご期待いただくと共に、これからもご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。どうもありがとうございました。
#SBMS過去のセミナー

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2001年度 - 1月26日 総会井出英雄新会長就任挨拶

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2001年総会における井出英雄新会長の就任の挨拶を掲載します。SBMSの概要を知る一文です、是非御一読下さい。

2000年、軌道に乗りかけた改革

先日SBMSの幹事会に呼ばれ、投票で選出されたので今年の会長を引き受けてくれと言われた時に、私は「97年にも一度やっているし、現在いろいろ斬新なアイデアでSBMSの機構改革している最中のところに古い人間がまた出戻りするのはイメージ的にも良くない」とお断りしたのです。
ところが今井会長他幹事の方々から『本来なら今井さんが留任してでも軌道に乗りかけた改革を今の方向でやってもらいたいが今井さんは定年,帰国ということでそれが出来ない。しかるに井出さんは改革の切っ掛けに関係したわけだし、それをしっかり軌道にのせる責任もあるのではないか』という主旨の説得に会い、幹事の皆さんにもじっと見つめられ抵抗空しく引き受ける結果となりました。
何故このようなことを暴露するかというと、今後のSBMSの行く先に関係するからなのです。
会費が3分の1に

ご存知のとおり去年から会費が3分の1になりました。月30ドルから10ドルに下げたわけです。すごいですよね。10%や20%の値引きじゃなく67%値引きですよ。これでも先ほどの会計報告にもあったように黒字です。
その上、セミナーの質は下がったか、あるいは連絡が悪くなったかといえばその逆でしょう。諸橋セミナー委員長のリードで質も雰囲気も向上しました。連絡もホームページ・EメールとIT技術を活用して木目細かく向上しました。立派なものです。改めて前会長および幹事の方々の業績に敬意を表したいと思います。
こうなったのは、私が97年に会長を引きうけた時に述べた方針が切っ掛けだったという方がいます。私が何を言ったかというと、SBMSのあるべき姿として
ボランテアの手作り運営
楽しいこと
役にたつこと
の三つをあげました。
10ドルでかつ全員がボランティア

当時は運営を若尾さんに一部有償委託していたこともあり、若尾さんが本業(コンサルタント)で忙しいので、我々が自主的にやろうということになったわけです。そして1年やってみました。
その時の反省文を読みますと結構その通りにやったようです。でも会費はそのまま30ドルでした。それを見直したのが先ほどのプロジェクトだったわけです。30ドルの中味を分析するとざっくり言ってしまえば、10ドルが会場費用などの実費、10ドルが若尾さんへの委託費用、10ドルが余剰金として繰越しでした。
最初の10ドルの実費、これは必要です。次の業務委託費ですが、これは幹事の方々がすでに結構ボランテアでやってきていましたから一部若尾さんにお願いしていた部分(会費徴収、連絡など)も全部引取り自分達でやれるとの見解になりました。残る10ドルは余剰金です。SBMSは収益をあげる目的はありませんのでこれも不要です。
結局月10ドルで出来るとの見通しになったわけです。そしてこの「10ドルでかつ全員がボランティア」を初めて実践したのが昨年の役員幹事の皆様で、そのきっかけになった言い出しっぺが97年の井出だった、だから軌道に乗せる責任があるから会長をやれ、ということなんです。長い話しですみませんが経緯を知らない方もおられるのでわざと話しています。
2001年の活動方針

さて2001年の活動方針ですが、
タダで
楽しく
ためになる
この三つのタ、サンタ ポリシーで行きたいとおもいます。
お願い

そこでお願いですが、タダというのはお金がタダ同然ということだけではなく、タダでつまりボランテアで運営をやって頂くということです。他人の作ったレールに乗り恩恵だけを受けるのではなく運営に参加して頂きたいということです。
楽しく、ためになるのはSBMの特色です。堅苦しいセミナーは他にいくらもありつまらないものが多いです。SBMSは雰囲気も良く、気楽に討論もできますね。去年は諸橋さんのキャラクターも幸いしSBMSのそういう良い面が出たとおもいます。
親睦会

それから親睦会があります。SBMSはセミナーが本来の集まりですので親睦会は自然発生的に集まったらやる、好きな人がやるというスタンスで良いかと思います。去年もやったから今年もという義務観念で無理すると人が集まらなくて赤字になってしまったりします。私個人的にはセミナーも楽しいですが、その帰りに仲間と一杯やりなが食事をしてセミナーの反芻(はんすう)をするのが何よりの楽しみで参加しています。これも親睦会です。
最後に

もう一度、会員の皆様の積極参加、自主参加、頼まれたら断らない、出来ることだけやる、出来ない場合は助け合うという気楽なスタンスで、手作りのSBMSを楽しく続けて行きたいと思いますので、よろしくご協力の程をお願い申し上げます。有り難う御座いました。
2001年1月26日
井出 英雄
関連記事
2008年に日本に帰国される直前に、井出元会長によるレクチャー見捨てられたビジネスの再生-小さな工場をシュワ知事と商務長官が同時訪問したわけがおこなわれました。
#SBMSご報告

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2000年度 12月 - 日本のアニメーション

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2000年度 12月 - 日本... 2000年度 12月 - 日本...
2000年12月14日

お 礼 の こ と ば

Michi Yamato 様、

昨日は 私達「サウスベイ経営セミナー」のため、ご多忙にもかかわらず、貴重な時間を割いて講師として有意義なお話を大変有り難うございました。

今や日本のアニメーションは世界に誇る日本文化の代表的存在となっており、世界の映像・エンターテインメント産業をリードしてきたアメリカにおいても完全に認知された存在です。

今回の Michiさんのお話は、仮面ライダー、パワーレンジャー、ポケモンを始め、これら日本のアクションやアニメが如何にアメリカで受け入れられているかをわかり易くご説明いただき、たいへん勉強になりました。

仮面ライダーのアクションが歌舞伎の見得にその源があったり、ウルトラマンが仏像の面の延長である等、たいへん興味のある内容でした。また、これらアニメが日本文化の権化であり、それ故に世界に通ずるとのお話はたいへん重要であり、考えさせられる内容でした。
仮面ライダーやアニメーションの世界を通じ、ハリウッド映画・エンターテインメント産業の新しい傾向、日米のアクション、立ちまわりの考え方の差など良く理解致しました。これらのお話は私達の日常のビジネスにとっても重要な示唆に富むものです。

今回のセミナーでは 私達との率直な意見交換の時間もとっていただけ、大変有意義でした。
Michiさんの今後のご活躍を心からご期待申し上げます。どうもありがとうございました。
 
サウスベイ経営セミナー
    会 長:今 井 清 純
    セミナー委員長:諸 橋 義 弘
#SBMS過去のセミナー

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2000年度 - 11月28日 平日の夜を楽しむ会「室内ペイントボールで激戦」

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異色のイベント、「室内ペイントボール」のゲーム大会。11月28日(火曜日)闘争心の旺盛な老若男女、予定よりも少ない12名が参加した。場所は、エルセグンドの倉庫街の一角にあるペイントボール・ゲーム場。当施設共同経営者の諸橋氏のご好意で、持参の食事と飲み物代を含めて一人当たり30ドルで施設の休業日を利用してSBMSメンバー専用利用の便宜を計っていただいた。

体育館程度の広さのあるゲーム場は、竹を張った塀や窓付きの陣地があちらこちらに配置してある。這いつくばって忍び行くことがし易いように、地表面は全面が柔らかい土で覆われている。場内の壁にもすべて竹が張られている。綿密な安全対策が施されてケガの心配も不要。ゲームに入る前に注意事項が書かれてある書類に各自が署名してから、諸橋参謀からゲームに望む前の説明を受け、玉(ペイントボール)と空気銃に似た銃とゴーグルを渡された。ゲーム場の傍には、試し撃ちができる部屋があり、そこで銃の使い方を会得する。パンパンパンと高く鋭い音と共に発射される青色の玉は、命中すると白い液体が破裂して着色する。これが衣服に付けば命中した印となる。この着色は水で簡単に落とす事ができる。玉は飛んで行くのがなんとか目に見える程度のスピードであるが、直接に肌に当たるとアザが残りチョット痛い。従って皆、ゴーグルで顔を被い、完全防備のイデタチとなって、ゲーム場に入る。中には審判が2名以上常に監視して戦況を見守る。ルール違反を2回やったら即刻退場の指令がでる。これも安全のためだ。ゲームの仕方は、決まっている方法とルールのものに、自分たちで工夫することもできる。

最初のゲームは、誰か一人が最後に残ったグループが勝ち組みとするゲームである。中に入ると、ヨーシ勝ち残るぞという気持になる。闘争心が少しずつ高揚してくる。敵と味方と半分づつに別れて、審判の注意を受けてから、作戦を練り戦闘開始。全員が四方に散る。ガキの頃の戦争ゴッコを思い出す。あの頃は鉄砲ではなく、木で造った刀で、赤胴鈴之助のマネをしていた。スグに、あちこちでパンパンと空気銃の音が炸裂する。隠れ家の窓からチラリと覗くと50メートル前方に人の影が見えている。スグに銃を構えて影に向けて連続発砲。なかなか命中しない。一旦窓から逃れて隠れたら、今度は相手が連続発砲してくる。頭のすぐ上を玉が数発通過して、ピッピッと短い空気を裂くような音となる。緊張が高まる。サーッと忍者?の如く場所を移動して身を伏せる。塀の隅から、別の人の影がチラリと見える。子供だ。子供でも敵なら止むをえん。パンパンと発射したら相手の銃に見事着弾。でも彼は当てられたと思っていない。ここでは銃に着弾した場合も敗者とみなし、「アイアムデッド。」と叫びながら、銃とともに両手を上げながら退場となる。敗者には銃を向けてはならないルールだ。と、すぐ横から敵のボールが数発ピッピッと身体をかすめてきた。敵が近くに来たと思って銃をかまえた瞬間、右肩にビッシと痛さが走る。  ヤラレタ。俺は死んだ。「アイアムデッド!」と叫び、両手を上げて退場。ゲーム場の外にでて見れば、中では残った敵と味方が1体1で最後の勝利を目指す戦いに挑んでいる。誰と誰だ!と見ていると、井出さんと徳留さんが敵と味方に別れて撃ち合っている。二人は長年の友人同士だ。ゲームとはいえ、お互いに容赦はない。パンパンと戦いは続く。暫くして、ピーッツと審判の笛の音。どちらかが着弾で、戦闘は終了したらしい。ゲームから出てきた二人は、接近戦の緊張からか、いささかグッタリとした表情。その中にもヤッタという笑みがあった。勝ったのは井出さんだ。曰く「接近戦は疲れる。もうこれでいい。」

第2戦は、相手グループの旗をどちらが先に奪うか。同じように半分に別れての戦いだ。今度は二度めだからどのように動けば良いかが少し分かっている。銃の使い方の要領もチョッピリガッテンがいく。ピーッと笛の音で戦闘開始。私の陣取りは敵の正面になった。「ヨシ、ここは援護射撃だ」と決める。相手の旗の背後にある要塞に人影が走る。パンパンパンパン。 アイアムデッドの叫びが聞こえてくる。早い戦死は犬死だ。自分は、要塞の窓に向けて連続発射を続ける。敵は動いている気配がない。さらに、あっちとこっちで、パンパン。すると、味方の一人が猪のごとく旗に向かって突進して行った。とても機敏な動きだ。あれは誰ダ。こんな所で死んだら人生の意味が無い。無謀なヤツ! しかし、彼は旗に飛びついた。スッテンコロリした手に旗がある。勝ったぞ。良く見ると若尾さんダ。「腰痛は大丈夫か。」

戦いは3戦目と続く。窓ごしのラウンジではゲームに疲れた戦士が、敵味方の分けなく慰労の宴をやっている。しかし、私はここで戦っている。ナンダ、これは天国と地獄か。パンパンパンと常日頃のウップンを晴らす。生きるための緊張感が知らずに生まれる。オモシロイ! 気分爽快なり。と思った一瞬に銃を持つ腕に痛さが走る。ヤラレタ!「オカアサン、アイアムデッド!」

そんな訳で、アッという間に時間が経過し、意外な緊張を体験してきたペイントボールであった。これは若者のスポーツである。しかし、今回活躍した戦士達は皆、以前の若者達であった。一見、皆、未だに元気で若く見える。大シタモノデアル。諸橋さん、休日のご協力に感謝、感謝。得難い楽しい体験であった。参加者が多かったら、もっと楽しかったであろう。
(土田)
#SBMSご報告

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2000年度 - 11月25日 第11回サウスベイマネジメントセミナー主催の親睦ゴルフ大会

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2000年度 - 11月25日... 2000年度 - 11月25日...
恒 例の第11回サウスベイマネジメントセミナー主催の親睦ゴルフ大会が11月25日(土)にLos Verdes G.C.で開催されたので報告します。
1. 開催日時と場所 :11月25日(土曜日)、10時スタート、 Los Verdes G.C.

2. 参加人数 : 当日はThanksgiving Dayの連休(土曜)でもあり、開催コースが大変便利な場所であったということもあり、40名枠一杯のフルメンバーでの開催となった。

3. 結果(ダブルぺリオア方式)
結果         Net/Gross・ 賞品
1st  Place T. Tokudome 71.6/92 $100
2nd  Place S. Kishino 73.8/87 $70
3rd  Place H. Ide 74.0/86 $50
5th  Place S. Ito 74.6/89 食事券
7th  Place T. Mochizuka 75.0/87 宿泊券
11th  Place K. Iki 75.4/91 食事券
25th  Place J. Osada 78.8/110 キーボード
B.B. S. Ogura 86.6/119 $30

尚、多数のドネーションを頂き本当にありがとうございました。全員に参加賞が贈られました。(全員の写 真と優勝カップ授与の写真あり)

4. 当日レポート
当日はこれ以上望めない快晴に恵まれ、前半は風も無くすばらしい天気で最高のゴルフ日和。便利なコース故か大変な混雑。10時スタートの予定が30分ほど遅れてのスタート。

前半は超スローペースで1ホールラウンドするのに20分もかかる始末。しかししかし、各グループとも個別 にオリンピックをやったりとなかなか賑やかなプレー、いや戦いとなった。

後 半はやや風が出てきたが海に面したコースはやはり気持ちがいい。でも海に反射する太陽の光が眩しかったなあー。ボールなんか見えやしない。ふと、20数年前に出張で来た時にプレーした頃を思い出した。 私の記憶ではこのコースは何も変わっていない様に思ったが。いや古い話で失礼!!。

ス タートが遅かった分、日没時間が心配になった。全員のプレーが無事終わるか本当に心配した。やはり冬時間でのプレーはスターをもう少し早くすべきか(反省点)。遅くスタートしたグループの皆さん、大丈夫でしたでしょうか。光るボールでも準備しなきゃーいけないかな。しかし、日没まで最高の天気であったおかげで何とか無事終了。

意識的に早めにスタート頂いた皆さんで賞品の準備やスコアーの整理などに尽力頂き感謝!!。やっぱりプレーの後の一杯と表彰式は楽しい。個々にプレーの反省!と楽しそうな会話が聞こえ今回の大会を準備した一員としてほんとに安堵。これが正直な気持ちか。反省点も多かったがこれは次回に!!。快晴の楽しい一日でした。

最後に参加された皆様ならびにご寄付にご協力下さった皆様のお陰で無事終了することが出来ました。
本当にご協力有難うございました。楽しい1日を過ごせて頂けましたでしょうか。
それではまた次回に....

谷本 進
#SBMSご報告

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2000年度 11月 - 日米関係の現況

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2000年度 11月 - 日米... 2000年度 11月 - 日米...
お 礼 の こ と ば

高 濱  賛 様

昨日は 私達「サウスベイ経営セミナー」のため、ご多忙にもかかわらず、貴重な時間を割いて講師として有意義なお話を大変有り難うございました。  
私達にとって、めまぐるしく変化する国際状況を理解する事はむつかしい問題です。
今回は 21世紀のスタートを担うアメリカ大統領選挙直後の日米関係の現況を始め、複雑な国際関係をわかり易くご説明いただき、たいへん勉強になりました。

 日本サイドが考えている日米関係とアメリカ側がみている日米関係の差、アメリカ政府要人・学者・知識人たちの対日観、また、特に安全保障問題に関する理解度について、両国の温度差などのお話はたいへん重要な問題であり、考えさせられる内容でした。
 21世紀を迎えるにあたり、これで20世紀の出来事がすべて精算されるのではなく、過去について改めて整理・検証というステップがあることを認識すべきということを良く理解致しました。

  戦後の枠組から抜けられない日本を憂いつゝ、アメリカ新大統領がどのような政策で臨んでくるのか私達は大いに注目をしたいと思います。
 今回のセミナーでは 私達との率直な意見交換の時間もとっていただけ、大変有意義でした。
もし出来たら また次の機会を作っていただき、お話をしていただけたら幸いです。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
どうも有り難うございました。  

2000年11月9日
#SBMS過去のセミナー

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2000年度 10月 - NTTドコモの成功の理由

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2000年度 10月 - NT... 2000年度 10月 - NT...
[セミナー要旨]

携帯電話のドコモという会社は、高い収益を上げており、今では人気企業となっているが、10年前、NTTから分割された時は、誰も行きたがらない会社だった。
今日のように、 携帯電話が普及すると予測した人は、当時はいなかった。 日本で携帯電話が普及したのは、日本の電話事情と住宅事情の悪さが原因である。
固定式電話を住宅に引く時は、今でも7万2000円の債権を買わなければならない。これでは、 子供の部屋に電話を引くことに、賛成する親はいない。子供も、居間にある電話で、親に知られたくないことをしゃべりたくない。
アメリカは、各部屋に電話が引いてあり、子供もすでに自分の電話を持ている。アメリカ人は不器用だから、小型の携帯電話は向かないというのは、うそである。アメリカで小型の携帯電話機が普及しなかたのは、小型機を製造するプラントが足りなかったからだと、思う。
これからは、アメリカでも、まちがいなく、携帯電話が普及する。
最近 の携帯電話機に赤や黄色のカラフルなモデルが増えてきたのは、若い年齢層に売り込もうとしているからだ。

ドコモの成功の理由は、
1)人員の足りない会社だったので、管理できなかった。
2)オープンにして皆に使わせた。
3)既存の技術を使った―――ことである。
NTTは、郵政省に小型版のような組織で、管理したがるが、ドコモでは、管理にまで、手がまわらなかった。
役所は主導してうまくいった試しがない。
誘い水的なサイトは、ドコモで作ったが、iモードのサイトを、民間の会社に自由に作らせた。無数の非公式サイトができたことで、Iモードの利用者がひろがった。
HTMLで接続できる既存の技術を使った。
通信会社が規格を決める時代は終わった。
ビデオ規格で、ベーターとVHSの競争があり、消費者がVHSを選んだように、通 信規格も消費者が決める時代になっている。 アメリカでは、Eビジネスは、必ず成功する。というのは、アメリカの実情に合わせて、インターネットが使われているからだ。アメリカでは、大量 の小切手が郵便で送られているが、Eビジネスでは、小切手のやり取りをなくすことができる。
通信販売が発達しているので、インターネットで申し込むことに抵抗がない。クレジット・カードを使うことに抵抗がない。つまり、現在の仕組みをそのままインターネットに載せればいいのであって、「進んでいる」わけではない。
日本は、通信革命の競争に勝てると思う。日本にいる、父親が、株のEトレードをやりたいと言っている。秋葉原は、今、中高年層が一番の客になっている。高齢者が、このようにインターネットに関心を持っているのだから、日本での普及も間違いない。
科学技術 については、楽観的な見方をしている。これまで、使えなかったものが、使えるようになっている。日本は、ゲームのようなパーソナルなものに強い。世界競争の中で、日本は勝てると思う。

(まとめ=東 繁春)

2000年10月12日

お 礼 の こ と ば
岡 田 昭 彦 様

昨日は 私達「サウスベイ経営セミナー」のため、ご多忙にもかかわらず、またわざわざニューヨークからおいでいただき、貴重な時間を割いて講師として有意義なご講話を大変有り難うございました。
 急速に進展するI.T.技術革新の中に生きている私達にとって、めまぐるしく変化する通 信事情は身近な問題でありながら、なかなか理解が困難なのが実情です。
 今回は、日本における巨大通信企業のNTTがいくつかに分割された経緯、必然性とその後の展開、NTTドコモを含むビジネス戦略などのお話を通 して、今日の電波と通信技術の実態についてわかり易くご説明いただき、たいへん勉強になりました。
 また、日本で普及している携帯電話システムが、なぜアメリカでは普及していないのか、逆にe-ビジネスがなぜアメリカに適しているかなど、日米の相違などのお話もたいへん興味のある内容でした。
 情報化時代においては、誰しもが比較的自由に享受できる技術・情報をいかに有効に生かすかが勝負の分れであることを良く理解致しました。
 “皆が不便だと思うものは必ず便利になる”、“またパーソナル分野で圧倒的に強い日本は絶対世界の中で勝てる”という岡田様の信念は、私達にとって勇気の湧くお話であり、たいへん心強く伺いました。
  今回のセミナーでは 私達との率直な意見交換の時間もとっていただけ、大変有意義でした。 もし出来たら また次の機会を作っていただき、お話をしていただけたら幸いです。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
  どうも有り難うございました。
#SBMS過去のセミナー

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