Mar
24,
2022
「幸福であること」は目的なのか、それとも手段なのか?
新聞や書籍で最近よく目にする
「ウェル・ビーイング」
という表現。
もちろん「幸せ」とか「幸福」というベタな言葉もあります。
そこで今日は、先日たまたまハーバードビジネスレビュー(HBR)という雑誌で見かけた記事を引き合いに、私の考える「幸福」について綴りたいと思います。
先ず、とっても卑近な過去の体験をお伝えします。
子供たちがまだまだ幼少の頃、幼稚園や小学校時代の思い出をビデオに収めたいと考え、妻と私は家電量販店へビデオカメラを買いに出かけました。
調査・分析好きな私は、量販店にあるメーカー数社のパンフレットをごっそり持ち帰り、早速「機種比較」を始めました。
当時はまだまだ昭和の時代。インターネットなどはまだまだ使われ始まったばかり。私は有名メーカーの機種を様々な観点で自ら比較表を作って、どれが良いのかを検討していました。
「なんだか、随分ご執心ね、ビデオカメラ選びに!」
妻からの、冷やかなコメントに怯むこともなく、
「いやいや、そんなに安いものじゃないし....折角撮るのだったら良いものがいいと思って!」
この後の展開は、今思い出しても恥ずかしい。
時間をしこたま使って比較して購入したビデオカメラを使って、沢山の思い出をビデオに収めた。
しかしあれだけ比較検討して、「この機能は良いね。絶対必要!」の考えて購入したビデオカメラだったが、子供たちの姿を収めていく内に、そんな想いは何処かに吹き飛んでしまっていた!
比較検討しながら感じた、あの時のなんとも言えない「幸福感」は何だったのか?
あれ以来私は、家電製品など物理的な物を購入することを感覚的に避けるようになったような気がする。
ここで思うのは、
何かを「獲得」することが幸せをもたらすのか?
それとも、
「ある状態」であることが幸せをもたらすのか?
そして、上記の「何か」とか「ある状態」とは何を指すのか?
ここで先に挙げた「ハーバードビジネスレビュー(HBR)」で見つけた論考の一節をご紹介します(2022年4月号)。
タイトルは
『「否定的な感情がない」ことが「幸福」ではない』
そこにはこんな記述がある。
・幸福についての誤解の一つは、いつも陽気で、喜び、満足しているのが幸福な人だという考えである。
・幸福ビジネスが犯している最大の考え違いは、幸福を手段ではなく目的にして、望みのものを得たら幸せになれると考えていることだ。
・私たちは「幸福であること」を最終的なゴールと見なしがちですが、本当に重要なのはそこに至るプロセスであることを忘れている。
なるほど!
どのビデオカメラを買おうかとワクワクしながら、様々なメーカーの機種比較や分析をしていた時。それが将に「幸福な」状態だったのだ。
そして一度、ビデオカメラを手に入れてしまうと、装備された多種多様な機能をこれっぽちも使わない。
物が身の回りに溢れる時代。我々は何に「幸福」を求めているのだろうか?
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
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