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two o one two

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性質の違い

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8/4/2016








昨日の母は不機嫌だった。
一時帰宅の混乱が続いているのかもしれない、と感じた。わけがわからぬまま自宅へ帰り、ここが自宅だよ、と言われ、さぁ時間なので行きますよ、と病院へ戻った。何が何だかわからないまま、その不安や混沌とした気持ちを表出できずにいたのかもしれない。だから、わたしの顔を見て(それが4娘だと認識して)、怒りを表出できたことは良かったのかmしれない、と思う。もちろん、当たられた自分はちょいキツイけどね。でも母の辛さに比べたら、です。

母の不機嫌さはそれほど長くは続かなかった。ある程度、気持ちをぶつけたら幾分すっきりしたのかもしれない。真っ向から受けないことも大事だと思う。母には制御できないことなのだから。
怒りがおさまっても、不安は残る。母の表情はいつもより硬かった。認知障害はひどい病気だなと思う。本当に、大変な病気だ。

食事量は相変わらずだけど、自分から手を伸ばし、器を持って食べる=口へ運ぶ作業をするようになったのが嬉しい。わたしは、いつも食事が始まったら、そっとその場をはずして帰る。その後、看護師や助手が代わって介助することになっている。わたしたちも、(たぶん)母も辛いけれど、わたしがずっとそばにいると、家へ帰ってから食べるからもういい、と言って食べなくなってしまうからだ。とりあえず、入院中はこの方法でいくことになった。それに、わたしはもうすぐここからいなくなってしまう。姉はわたしが母のもとを訪れる時間帯にはまだ仕事中だ。だからどのみち、夕飯の介助はできないのだ。

そんなわけで、母のところをそっと出て、家へ帰った。母のところへ行けるのも、今日、明日の2日だ。土曜日は飛行機の時間があるので、もしかしたら面会できないかもしれない。あぁ、、、なんだか寂しい。6月9日から島へ来て約2か月。毎日まいにち母の元へと通ったが、思えばあっという間だったな。。。


昨日、母のところから戻って洗濯物を取り込んでいると、姉に電話があった。それは生徒からだったようで、突然だが生徒が3人、泊まりに来てもよいか、ということだった。それを知らされたわたしは正直、がっかり。ちうか、凹んだ。驚いたよりも何よりも、気持つが萎えた。いいか?と訊かれたので、嫌だ、と答えると、なんで?と。気を遣う?と。
もちろん気を遣うよ、と答えると、姉は悲しそうな顔をしていて、それで余計に辛くなった。そして思い出した。そうだった。姉はいつも生徒優先だったんだっけ。
県大会を終え、中学3年生が表面上は引退。だから生徒たちも気持ちが緩んでいる。夏休みというのもあるし。そして姉もまた、中3を送るのに躊躇?がある。移行期間。だからこうしてイベントをつくるのだ。

ふと思い出した。昨日の昼間、書類手続きで姉と役場などへ行っていたとき、姉がこう切り出したのだ。「hがm姉ちゃんに三味線おしえたーい!ってうるさいんだよね」
なんのことかと思うと、以前(もうずっと前のこと、わたしが島に来たばかりの頃だ)、姉の恩師の訃報があった際に諸事情でうちへ泊ったhちゃんに、わたし自身がそう言ったのだという。あの頃は姉3も長兄もいて一緒にゆらっていたので、酔った勢いでそう言ったのだろう、忘れていたけれど。
「ああああ、姉ちゃんだから今日hが三味線教えたいって言ってたとか言ったんだ?ってことはもうそういう風に企画してたんだ?」
「いや違う違う!」
姉は否定していたけれど、きっとそうだと思う。わたしにそれとなく情報を与えていたのだと思う。
あぁ、ごめん。。。それでも3人お中学生が来るのはキツイ。島での暮らしももうすぐ終わる。わたしは姉と静かに過ごしたい。あの若い子たちのエネルギーはちょっと辛い。今は、辛い。

結局、姉から断りの電話を入れてくれた。申し訳ない。姉は、生徒たちが勝手に決行しようとしたことだからいいのいいの、と言ってたけれど。ちょっと罪悪感。プラス、姉とわたしの性質の違いというのをあらためて思い出した。姉2とうまくやってきたつもりだったけれど、そうだった、これがあったなぁ、と今更ながら。いやはや。。。やっぱり一緒に暮らすって、難しいもんだね。


今朝、姉は元気に仕事へ行った。午後からは引退する中3の生徒たちと海水浴で、わたしもそれに招待されている。なんとかボート(ジェットスキーのようなもの)に乗せてくれるらしい。わたしは母のところへ行った後、海水浴に向かうことになっている。










#介護日記 #日記

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一時帰宅

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8/3/2016









家屋調査で母が一時帰宅してきた。
病院を14:00に出発します、ということだったので、14:30頃かなと思っていたら、それより少し早く到着した。その直前に、ケアマネさん、福祉器具レンタルの担当者さんが到着、ほぼ同じ時間に兄3も到着していた。

母は、白いマーチの助手席に乗っていた。わたしの姿を見て、あっという表情になり、手を振り返した。お帰りなさい!と声をかけると、何がどういうことなのだろう、といった顔つきではあったが、うんうん、と頷いた。

玄関や母の部屋、トイレ、リビングルームなどを見てもらう。今あるスロープを活かす方法をとるか、或いは母の部屋から直接外へ出るようにするか、は、今後、どちらも見積もりしてもらった上、どちらにするかを選択、そして工事に入ることになっている。以前、兄に相談していた2階のベランダからの雨漏りについても、兄が担当者さんに言伝してくれ、改修工事の際、一緒に行ってもらうことになった。兄に感謝、だ。

母は車椅子のまま、部屋へ入った。姉が父の位牌のある場所へ案内し、色々と話しかけていたが、困った顔をしていた。ここが家だよ、と言っても、今一つ、という様子。
わからんかなよ、、、
弱気な言葉も出たので、わたしたちがちゃんとするから大丈夫、と安心させた。

帰るとき、どうかなぁ、、、と心配したが、そろそろ疲れたから休むために帰るよ、と話すと、素直に承諾してくれた。外へ運び出すときも周囲に身をゆだねて抵抗することもなく。

後から姉3より電話が入ったときのこと。わたしは直接話していないのだが、姉2によると、
「帰りばぁもせんちゅうのは・・・・それまでわからんっちば、悲しいやぁ・・・」と。

そうだね。それだけ母の精神は混沌としているってことだ。認知障害の進行具合が見て取れる。今後ももっともっとわからなくなるのだろう。

退院予定は9月10日である。その頃に姉3に来てくれるよう。お願いしたという。きっと来てくれるのではないかと思う。姉も、今という貴重なときの母と一緒にいたいはずだ。

















#介護日記 #日記

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Fun weekend

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岩山に登る娘 岩山に登る娘 荒波でこの海岸の石ころは皆まる... 荒波でこの海岸の石ころは皆まるいのです。 大きな雲! 大きな雲!
8/2/2016









先週末は、娘が来ていた。金曜日の午後に到着、日曜日の午後遅くに戻るという、2泊3日の滞在であったが、姉2が冶炭をとってくれたlこともあり、本当に楽しい3日間となった。姉に感謝、感謝。


母は孫娘のことを覚えていた。もしかしたら・・・と心配したが、しっかりと思い出してくれた。娘はおばあちゃんに会えて、(そしておばあちゃんにちゃんと認識してもらえて)嬉しそうだった。
日曜日、面会時間は午後1時からだったのを繰り上げて早めにおばあちゃんに一目会ってから出たい、と言っていたのだが、スケジュール的に厳しく叶わなかった。土曜日の面会時に「また明日来るから」と言っていたのを気にしていた娘。大丈夫、おばあちゃん、忘れちゃうから。悲しいけど、ね。

娘を空港まで見送ってから、母のところへ。、もう既に夕食を終え、ベッドで休んでいるところだった。

はげーむんぐゎんきゃー。

この時間帯の母は弱気である。会えるだけで嬉しいマリアさまだ。
姉と一緒に母を階下のホールへと連れ出し、そこで姉1に電話をかけた。母は姉と笑顔で会話していた。写真を撮るときに、笑ってよ、と言ってもなかなか緊張して笑顔の出ない母だが、こうして誰かとコミュニケーションをとっている時にはこんな素敵な笑顔になるんだ、と思う。それはある意味、目の前の人と会話しているときよりも良い笑顔だ。耳に神経を集中しているせいだろうか?


8月が始まった。
わたしの島での滞在は今日を含めて後5日となった・

今日は家屋調査がある。理学療法士やケアマネなどとともに、母も家に来るそうだ。楽しみ。
大掃除しなくっちゃ!





*追記*
一昨日の晩から、右足首がおかしい。昨日は歩くのもままならない程に痛かったので、湿布をして、サポーターをつけてみた。今朝は少し良いが、まだ変な感じ。一体どこで捻挫したのか?








#介護日記 #日記

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きょらむん

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7/28/2016








10:20頃から始めた編集2時間強のところで休止。2014年分まで終えた。あと2年分。まだ790ほどの記事が、、、、このことろのサボり癖のせいだろう、まだ#日記のほうが数が少ないのだ。以前はしっかりと日々の記録を続けていたのだなぁ、としみじみ。


モニターに向かうのがキツイので、手短に。
昨日の母は、まだ表情がいまひとつ、といったところだった。それでも、その前の日に比べればまだマシなほう。
わたしの顔を見て、きょらむんじゃ、と言ってくれた。心底そう思うらしい。思わず動画に撮影。

階下へ散歩。エレベーター内に設置された鏡を見て、よっしわるっさや、と嘆く。そんなことないが、きょらむんど、と返すと、不安そうな顔でそうかい。。。と呟いていた。金曜日には散髪をお願いしてある。娘が来る日でもある。それまでに顔の産毛の処理もしてあげよう。

夕飯に山芋とろろにしょうゆのかかったものが付いてきた。母はそれをまず食べてくれた。手を動かして食べ始めた母の姿に一安心。あんたも食べなさい、と言う母に、わたしの分も配膳されてるから取ってくるね、と言って退散した。
わたしの後にはさりげなく助手さんが母の介助についてくれた。ありがたいことだ。


家屋調査が8月2日の午後となった。姉3にも連絡して来てくれないかと頼んでみたが、予約が入っているとのこと。残念だが、嬉しいニュースでもあり。
姉2は、フェリーのキャンセル待ちが取れたとのことで、昨夜の船に乗れた。
5時入港だったので45分頃にピックアップ。生徒の付き添いで、週末返上だったにも関わらず、今日は通常業務で仕事へ。日本の教職員の雇用システムは間違っていると思う。

























#介護日記 #日記

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平安

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7/27/2016








今日も良い天気!でも、まだそれほど暑いとは感じないので、エアコンはつけていない。
朝の散歩の後、以前姉2と一緒に購入したレンガを庭の一角に敷き詰めた。とりあえず買った30枚、敷いてみたらたいした広さにはならず。姉がどのような計画だったのかはわからないが、たぶんもう20枚、いや30枚は必要かも。

ここにいるのも2週間をきった。そのせいかな、出来ることをしたくて探している。本当ならこのレンガプロジェクトも姉のもの、わたしは手出ししないつもりだったのだけれど。

姉のチームは一回戦敗退だった。昨日の夕に連絡があり、あああああ、、、と嘆く。姉はもっとかな。珍しく長いメールだった。ある意味、姉の夏も現中学3年生たちとともに終わったのだな、と思う。母のための介護休職も、その意味合いに含まれている。


昨日の母は表情が硬かった。何か考えごとをしていた。どうしたの、と訊くと、「まわりが何を言っているのかわからない。」と答えた。「わからないときは、わからない、と言えば、わかるように話してくれるから安心して。そのようにちゃんとお願いしてあるからね。」と言うと、ありがとう、と頷くのだが、不安はぬぐえない様子だった。
その後、
「やんきゃ、わんちゅり くまなんてぃ すぃてぃよっち あなんな」
ここが病院であること、リハビリをして退院すること、家は退院に向けて準備していることなどを丁寧に話すのだが、表情は変わらず。母の頭の中には深い靄がかかっているようだった。それが恐ろしく、混乱してしまうのだろう。とても気の毒だ。

帰り道、母のことを想う。何が出来るわけでもない。しかもわたしが母の近くにいられるのも、残り少ない。何かあったらもちろん飛んでくるつもりではいる。でも、何が出来る?
そんなことを考えながら家に向かった。

海岸線沿いを走りながら、変わりゆく島の景色を見る。黒い雲が山の上にかかり、白く煙っていた。あぁ雨が来る、と思う。最近はいつもこんな調子だ。青い空の一部に黒い雲、雨の束が走る。通り過ぎる対向車のいくつかが濡れているのに気付く。路面もある一部だけが濡れている。島のスコールだ。

そんな風景の中、車を走らせていると、ふと、「祈る」という言葉が心に浮かんだ。

祈る。

母の心の平安のために祈る。

どうか、母が穏やかで平和な気持ちで過ごせますように。不安がなくなりますように。母がすべてを忘れてしまったとしても、もしも母の心が平安であるなら、そのほうがいい。そのようにしてください。そのようになりますように。










#介護日記 #日記

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マリアさまの歌

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7/26/2016








姉2のノートパソコンから。
iPadよりも打ちやすいだろうと思ってのことだったが、慣れずに苦戦中。日本製はキーボードの文字列(というか、記号の部分)が若干配置が違っているので。あと、久しぶりのWindowsってのもある。何度も打っては消し、の繰り返しだ。


前回の記事からだいぶん経ってしまった。このところ訪問客(?)が多くて大変だった。弟が来て、長兄が来て、その後に亡くなった次兄の友人(元恋人)が来られ、それなりおもてなし。その間、姉2は県大会に出かけ、今は実家にひとりでいる。姉の犬たち3匹と母の見舞いとの日々。

母は相変わらずだが、顔色は良いように思う。食事量もまちまち。でも、排泄の様子を見ていると、それなりに食べているような気もする。リハビリは午前午後と関わってくれている様子。特に作業療法の一環として、ちぎり絵を他の患者さん方と行っているらしい。社交的である母にとっては(マインド的に不安定ではあって)良いことだと思う。

この前、担当医師、看護師、理学療法士、作業療法士、医療福祉器具のレンタル会社の担当者、および母のケアマネさんを交えてのミーティングがあった。姉2とともに参加、そこで母の現状況についての意見交換がされた。また、退院が期限ぎりぎりだと9月10日とのこと。なんとかそれまでに母の筋力アップを行っていただくようお願いした。

認知障害のほうはかなり進行しているらしい。長谷川式スケールで30点満点中6点とのこと。わーお、という感じ。正直、ショック。自分では9点或いはもしかすると10点???なんて期待(?)していただけに。。。ちなみに20点以下で「認知症」とされるらしい。まぁね。覚悟はしていたけれど。
帰り道での姉2の言葉。
「もしかしたら22点とかだったりして!と思ったら、、、、6点なんて、、、」

あり得ーーーーーん!!

母のマインドは行ったり来たりだ。思考がわたしたちと共にあるかと思えば過去へ飛ぶ。また、時にそれを認識し、嘆く。いっそのこと、もうすべてを忘れてしまったらその方が幸せなんじゃなかろうか、とさえ願う。


母がわたしのことを覚えているのはいつまでだろう。今回の介護帰省を言えて次に会うときには....もうわたしのことは忘れてしまっているかもしれないなぁ。悲しいけれど、寂しいけれど、、、母が穏やかであればそのほうが嬉しい。



昨日、母は「マリアさま」の歌を歌ってくれた。わたしが母のために病室に持って行ったマリア像をいつも見ながらお祈りしているのだそう。


マリアさま お手々合わせて
いつの日も わたしのために
祈りください


母は歌詞を一部変えて歌ってくれた。

認知障害は進行しても、母の信仰は残っている。













#介護日記 #日記

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雨が来る

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7/18/2016






あ、雨が来そうー

母のところへ向かってすぐ、前方に広がる黒雲に気付いて引き返した。今日はお布団を外へ干してきたので。大きな黒雲のまわりには青空と白い雲たち。ティダも強い。でも、突然始まるのがスコールだ。布団はマズイ。

家へ戻って布団を取り込んだ。デッキの洗濯物は屋根下だから大丈夫だろう。これで雨がいつ来ても問題なーし。


あ 兄貴が来たので続きは後で。







#介護日記 #日記

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色々

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7/14/2016







しばらく日記をつけていなかった。
前回の記事を読むと、色々あって凹み中、と。しかし、その理由が思い出せない。確かに色々あったけれど、あの日付けでの「色々」とはなんぞや? カレンダーを見ながら振り返ってみたが、今ひとつ。何かあったんだろうなとは思うのだけれど。

先週の木曜日。夫から連絡があった。なんと、我が家の前庭に立っていたマメナシの木が、嵐で倒されたと。写真付きだったのだが、哀れ、あの大木は見事ぬ真ん中から砕け散っていた。まさに八裂き。
雷のせいか突風のせいか。ちょうどわたしがこちらへ帰国する直前には、嵐の中、その木の大きな枝が落ちた(ブログルにそのことを書いたかどうか覚えていないが)。その際は、夫が留守だったので、わたしがせっせと片付けた。お隣さんも手伝ってくれた。夫には写真を添えて、その作業を報告したものだ。
が、今回はその逆となった。そして、前回よりもさらに酷い、壊滅状態だ。わたしの、わたしたち家族の愛したあのマメナシの木は、幹の下部が残っただけの状態になってしまった。夫はやむなく仕事を休み、チェーンソーを購入し、その後処理をしたらしい。またまたお隣さんのスーが手伝ってくれたと言う。感謝。

金曜日。台風の影響で天気が悪かった。ひょんなことから、懐かしい友人宅に東京から来ていた友人の友人を木曜日に泊めてもらったので、彼をピックアップする約束になっていた。が、洗濯物を乾燥機にかけたり買いものへ行ったりして時間に遅れてしまった。仕事へ出る友人が途中まで彼を乗せて来てくれたので、某役場の駐車場で落ち合った。それから、彼を民宿まで送る。お昼を一緒に、なんて思っていたのに、なんだかせわしなく送って行っただけになってしまい、後悔。

でも、土曜日には彼を朝の早いうち(今度は遅れず!)にピックアップ。天気はイマイチだったけれど、まだ間があるからと、自然観察の森へ案内。mちゃんは、そこを訪れたのが初めてらしく、それはそれは喜んでくれ、わたしまで嬉しくなった。その後、お昼も一緒にとってから空港へ。島を満喫できたようで何より。

日曜日。姉のバレー部練習試合に。丸一日ということで、わたしは遅れてお昼頃に行ったところ、ちょうど昼食休憩の直前だった。試合後の軽い練習をしていたのだが、久しぶりに見る姉のコーチぶりににやにや。ありゃ辞められませんわ。子供たちの純粋な目が姉にあんな風に向けられる。真剣に向き合わないと、です。
姉と近くのレストランでランチ。その後、試合の1セットだけを観戦し、母のもとへ向かった。

母の近況も書いておこう。
簡単に言えば、一進一退。認知障害の方は悪化の一途。母のマインドは、行ったり来たりしながら、これからもっともっと悪くなって行く。それは仕方のないことだ。
認知障害のなせるもの、病気のせい、と、わかっていても、時々どうしようもなく辛い時がある。どうしてそんな酷いことを言うのだろう、と、泣きたくなる。実際、月曜日だったかな。泣いた。悲しくて辛くて、カーテンで仕切られた母のベッドの片隅で。

母は興奮して酷いことを言う時がある。自分にイライラしているのだと思う。怒りの矛先を向けられたこちらは、たまったもんじゃない。退席した方が自分のためでもあり、母のためでもあると思う。なぜなら、そんな後、母はちょっと反省というか、落ち込むのだ。どこかで自分のとった行動の理不尽さを認識しているのかも。

そんな母だが、実は昨日から、包括病棟と呼ばれる3階の病棟へ移った。そこでは今までのところよるもリハビリ中心となる。いよいよ退院が射程距離内か?


今日は午後から姉2と某ディスカウントストアで待ち合わせ。庭の一角にレンガを敷き詰めたいのだそう。
わたしは、朝の散歩を終え、洗濯もし、今は時間まで豚の角煮の仕込み(下茹で)中。
明日は弟がやって来る。














#介護日記 #日記

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Selfie

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7/9/2016







母は周囲の人達をよく観察する。
これは昔からそうだった。が、最近(といってもここ10年ほどか)は、躊躇うことなくじぃーっと「眺める」。あまりにもあからさまなその様子は、こどもがじーっと見つめるそれに似ている。純粋な視線?
そんな母に、わたしはよじゅ尋ねる。
何見かた? うむぐとぅなー?
母は、え?という表情をした後、あんちゅぬよ〜、などと話し始める。一昨日だかには、患者さんのご家族のひとりだろうか、某女性を見てこう言った。

脚ば組んで うなぐぬ はちかしゃん

ーふひゃぁ〜 いつの時代の話じゃぁ〜、、、


外界への興味がある母を見るのは嬉しい。だが、そんな母は自分の姿がわからない。
少し前に、最近撮影した母の写真を見せたところ、
これは あんまだろがー
あんま=母 つまり、自分の母(或いは祖母か?なぜなら、母の母は若いうちに亡くなっているので)と思ったらしい。笑った!

そこで、そうだと思いつき、iPhoneをセルフィーモードにして見せた。わかりやすいように、わたしもその隣に見えるように座った。
これは、わん!? これは、ぃやぁー!?
ー大笑い。


自撮りというのは、こっぱずかしくてなかなか出来ない。若い子たちがじゃんじゃん撮っているのを見るだけでも恥ずかしくなる。
だけど、母と一緒にだと恥ずかしくない。恥ずかしくなかった。
わたしの横で笑っている母と一緒に写真におさまる。こんな素敵なことはない。

最初に撮った一枚を見て、姉3は言った。
歯ぁなんか入れてから撮らんばー
そうだった。そうだった。せっかくの笑顔の母なのに、入れ歯が入ってなかった。残念。
そこで昨日は入れ歯の入った状態でまたセルフィー。
2度目だからだろうか。母はそんなに驚く様子はなく、笑ってよーというわたしに向かって はっけれー、と言いながらきゅっと口を結んでいた。
結果、大笑いするわたしと、しの隣ではにかむ母との連写3枚となった。

写真を姉3に送ると、「母ちゃん、歯ぁなんか見せらんばー」

そうなんです、それがなかなか難しかったんす。


また挑戦しなくっちゃ、だわ。笑














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とっちぶる2

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7/8/2016








一昨日、姉と一緒に母のリハビリ担当PTと会った。
やはり、母をベッドから連れ出すのに苦戦されている様子、も、わたしたちがいたおかげで母を離床させリハビリルームまで行くことが出来た。

担当のPTは理学療法士としてのスキルはあると思う。母の下肢を重点として筋肉をほぐしながら筋力度を測りつつ、筋力アップへの運動を施してくれた。しかし、いかんせん、話術が、、、、コミュニケーションスキルに欠ける。もうちょっと母にわかるような言葉がけが出来たら、、、、と、願う。
だが、同行して見学させていただいたおかげで、久しぶりに母の歩く姿が見れた。介助バーを使って、おそるおそる歩く母。姉は嬉しくてそんな母の様子をパチパチと撮影していた。

リハビリ後、母は驚くくらいにゴクゴクとジュースや高カロリードリンクを飲んだ。喉が渇いたのだろう、かなり頑張って訓練に励んだのでね。

ホールで母とお茶を飲みながら、先の「とっちぶる」の歌の話になった。母の歌声を聴きながら、歌詞を書き留めた。


とっちぶる とっちぶる たっか泣かしゃん
しぶりが 泣かさんば たっか泣かしゃん
よぉねや わきゃちゃんが くびらしゅっと
泣くぅな 泣ぁくな とっちぶる


ネットで検索にかけて引っかかった歌詞と若干違う。それは徳之島の方がお母さんだかおばあちゃんだかが歌っていたのを思い出して書いたものだった。島によって替え歌の歌詞も変わってくるのだろう。
が、ここで姉が母に訊いた。「とっちぶるっち、誰のことかい? 貧乏人のことかい?しぶりはぶぎんしゃちゅうことじゃや」

驚いたことに、この歌はただの替え歌ではなかった。とっちぶるとは、母の言葉を借りると、「ガサガサしち」人から蔑まれるニンギン、しぶりは「つるつるしちきょらきょらしゅん」ニンギン。
姉によると、島には古代からの奴隷制度が根強く残っていたらしい。この歌は、そういった身分の低い人たちが子どもをあやすのに歌われていたのだろう、と。

うわーーーーーー


深い、、、、、、!



思いがけず、とっちぶるの歌にまつわる、とっても興味深い発見であった。











#介護日記 #日記

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