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日本語ちがい

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アンさんからのクリスマスカード... アンさんからのクリスマスカード
とっても嬉しくてInstagramにアップしていた
アンさんはきっと今も絵を描いて... アンさんはきっと今も絵を描いていると思う。
02/17/2022








Johnny(仮名。大好きなJohnny Weirとどこか似ているので)から初めて声をかけられたのは、11月末頃だったと思う。
ランチの時間だ。
生徒は、バーコードの付いたIDををスキャンすることで、ランチの費用を支払う。
(ちなみに、うちの州はパンデミック以来BreakfastもLunchも無料となっている。有料になるのは追加分のアイテム。2皿目のメインディッシュとか、ドリンク、スナック類など。)

ランチはA, B, Cの3グループに分けられていて、時間になるとカフェテリアのシャッターが上げられるのだが、大勢の生徒が我れ先にと入ってくる。まさに大波が押し寄せてくるような、凄まじい光景だ。

わたしは大抵、Post 2と呼ばれるレジを担当していて、それぞれの生徒のIDをスキャンし、残金を確認しながら追加アイテムを渡す。全員がIDを持っていればスムーズなのだが、持って来ない(忘れたではなく、持って来ない、、)生徒も多く、その度に名前をタイプしなければならない。生徒たちの食事時間は30分程度で、ベルが鳴ると次のクラスに向かわなくてはならないので、みんないつも急いでいる。そんなに急ぐのであればIDを持って来れば良いのに、と思うけれど、若い人たちにはそれが分からないらしい。

そういうわけで、レジはいつも長蛇の列になる。IDを持っていない子の名前を間違えてタイプすると、余計に時間がかかり、並んで待っている生徒たちはもちろんのことだが、当の本人が、Not D, I said E!!とか言ってきて、はぁ?とか思う。こともある。
たま〜に、その態度はどうよ?という感じで、黙ってじーっと見つめると、I'm sorry..と返す生徒もいるが、ふてぶてしい態度のままの生徒もいる。やれやれ。

前置きが長くなった。
そんな長蛇の列の中にJohnnyはいて、いきなり、xxxx xxx xxxxxxxxと、マスク越しでも真っ赤な顔をしてるのがわかるほど、はにかみながら言った。
一瞬、ん?と、思う。良く聞き取れなかった。英語じゃなかったような、、、?

すると、彼は意を決したように身をただし、

アナタ ハ ニホンジン デスカ?

と言う。おおおおおおおおお、と思いながら、Yes, と口にしたあと、慌てて、はい、そうです。と、答えた。すると今度は、

アン ヲ シッテ イマスカ?ワタシ ノ トモダチ デス。

あらーそうなの。知ってる、知ってる。日本語、上手ね。

そう言うと、彼は頭をぶんぶん振って、でも嬉しそうにこう訊いてきた。

アナタノ オナマエヲ オシエテ クダサイ。

そこで名前を告げると、何度もわたしの名前を繰り返した後、

アノー、チップス ガ ホシイ。

と言って、買った。それが一番最初の会話で、たった二言三言ではあったのだが、後方に並んでいる生徒たちはなんだなんだ、と見ているし、彼自身もそれを感じたのだろう、その後、ジャ、サヨナラ!と言って、去っていった。


それ以来、Johnnyは毎日、わたしのレジに来る。
ほとんどの生徒は、トレイに載せたLunch mealを持って並んでいるのだが、彼は何も持たずに列の中にいる。そして、自分の番になると、

mサン、コンニチハー。

と言って、日本式に頭を下げて挨拶をする。わたしも、つられて、こんにちは。と頭を下げる。
彼はずっと同じチップスを買い、わたしと日本語で話すことを至福の時間と思ってくれているらしい。ものの20秒ほどの時間。

何度もわたしのレジに通ってくれるので、彼が日本語を学んでいるということ、日本が大好きだということ、さらには来年の夏から1年間、日本の高校に留学する、ということを知った。
彼はそれらを英語ではなく、拙い日本語でわたしに教えてくれた。(今では、後ろに並んでいる生徒たちは、「またかよ」という感じになっている。)そして、毎日、何か新しいフレーズを使おうと努力していることが伺える。

そんなある日。というか、昨日のこと。

いつものようにやって来た彼は、mサン、コンニチハ〜。と頭を下げながら挨拶したあとに、

ツマラナイ コトデ イジヲ ハッテ チャ アカンデー!

と言った。

は???わたしは目が点になる。でも彼はわたしが良く聞き取れなかったのだと思ったのだろう、さらに明瞭な声で繰り返した。

ツマラナイ コト デ イジ ヲ ハッテ チャ アカン デナー!!!

なんじゃそら!!と思ったが、張ってない、張ってない、と言うと、彼はパァッと明るい顔になって、

ワカリマシタ カ? カンサイ ベン デス!

と、誇らしげに言った。
あちゃー、、、と思ったが、何せ時間がない。その日本語の意味をわかっているのかどうか、英語で訊いてみようかとも思ったが、それもかわいそうだと思う。なぜって、こんなに嬉しそうな顔をしているではないか、、、。

そこでわたし、昨夜は、彼の言った日本語を英語でメモに書いた。今日、会ったときにそっと渡そうと思ったのだ。きっと、アニメか何かのセリフだろう。一生懸命、覚えたのだろう。それを笑い飛ばすことは出来ない。こういう意味なんだよ、ということだけ伝えよう。そう思った。

なのに、その小さなメモを紛失してしまったバカなわたし。せっかく良い作戦だと思ったのに。ランチサーブの直前に気付いたので、新たに書く時間もなかった。まぁいい。明日でもいっか。

と思っていたら。
なんと、今日Johnnyはわたしのところに来るなり(ちゃんといつも通りの挨拶の後だけど)、

ニホンゴ ヲ マチガエ マシタ。チガウ ニホンゴ デシタ。
コンナ トコロ デ ガンバッテ イマス ネー!

全然、違うフレーズ。笑
しかも、ちょっと変。でも、言いたいことはわかりました。
「頑張って」は、英語にしにくい。うちの夫も時々、使う。ガンバッテ、クダ サイ〜!
Keep up the good job! という感じかな。


しかしJohnny、どうやって昨日の日本語の間違い(?)を認識したのだろう?それが知りたいけど、そういう(日本語の)質問は彼には難し過ぎるだろうと思って、聞きにくい。せっかく一生懸命、日本語で話してくれているのだから、日本語で返してあげたい。


ちなみに、アン(仮名)は、以前わたしが補習校で受け持った生徒。彼女はいつもお弁当を持ってくるので、ランチを買うことはない。でも、たま〜に「m先生、元気〜?」と、顔見せに来てくれる。とても優しい子だ。小さなアーティストも素敵なお嬢さんになりました。









#日記

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リサイタル

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02/16/2022








幼馴染のmはピアノを教えている。
mの亡くなったお母さんは教会のオルガン奏者で、mは小さな頃からピアノを習っていた。
わたしが一時期だけピアノを習っていたとき、我が家にはピアノなんて(オルガンすら)なかったので、時々mの家に行って、ピアノの練習をさせてもらった。
でも子供心に、なんとも場違いな感じがして、だんだん足が遠のいた。
先生からは毎日鍵盤に触れなさい、指を動かしなさい、どうしてもピアノに触れられないなら紙の鍵盤(バイエルの付録)で練習しなさい、と言われた。
mのお母さんからは「いつでも良いから来て練習しなさい」と言われたらしいが(母がそう言っていた)、これがどうして、なかなか行きづらかったのだ。大体に、mのお母さん(わたしの母の姪にあたる)はすごく厳しい感じがしたし、mの祖父(わたしたちは「ちゃん」と呼んでいた)は「金ハブ」と言われていたくらいで、わたしにとってはものすごく怖い存在だった。mの祖母(わたしの母の姉。わたしたちは「おっかん」と呼んでいた)は「ちゃん」よりは優しかったけど、やはりちょっと近寄り難かった。なので、彼らの家でピアノの練習なんて、とんでもなかった。

mは姉3と同じ歳で、ふたりは小さい頃から特に親しかった。mと姉3とが、大きなビーチボールを抱えて座っているまだ赤ん坊だった頃の写真もある。双子かと思うくらい、ふたりは良く似ていた。

わたしはある時ピアノ教室を辞め、同じような時期にmは本土の学校に行くために島を出た。後から聞いた話では、九州のどこかの進学高校から音大に入り、卒業したとのことだった。
そして、気づいた時にmは島に戻っていて、いつの間にか島の人と結婚していた。その間、あの、わたしが密かにおそれて(畏れて)いたmのお母さんは亡くなり、ちゃんもおっかんも他界した。


mが結婚して、子供たちが出来て、わたしにも娘が出来(mの最初の子と娘は同じ歳だった)島に連れ帰ることが多くなり、また付き合うようになった。もちろん、わたしよりも姉3のほうが親交が深かったと思う。しばらく疎遠だったのに、そんなことは気にもならないくらい自然に繋がっていった。
いつだったか、島に帰省した時に我が家に遊びに来たmは、わたしの顔を見るなり、歳とったね〜、と言うので、はぁ〜〜〜〜???と言いながら、大きく笑った。さすが、親戚だわ、と思う。そこにお世辞とかはまったく存在しないのだ。笑


ある時、mに某音楽会に招待された。
彼女は合唱団に入っていて、何かの合唱コンサートが開かれるとのことだった。mは「面白くもなんともないかもだけど」と言いながら、それでも出来ることなら大勢の人に来てもらいたいから、と言って誘ってくれた。
わたしたちは、喜んで出かけて行った。わたしと、姉2、姉3と。娘も一緒だったかもしれないが、よく覚えていない(娘よ、ごめん!)。

何曲かの合唱があり、そして、ある曲を、mがピアノ奏者として演奏した。
mは舞台中央にあるピアノに進み出て一礼し、座って、ひとつ深呼吸をして、指揮者を見上げ、コクっと頷いた。指揮者は対応するかのように指揮棒を上げ、振り下ろされると同時に、mのピアノが鳴った。

わたしも姉2も姉3も、うーわーーーーm!!!!と、心の中で拍手喝采しながら、見て(聴いて)いた。演奏しているmは、いつものmじゃなくて、でもやっぱりいつものmでもあって、魔法のように動く指や、揺れる体、指揮者を見上げる目、何もかもが素晴らしくて、曲が終わってから、わたしたちは手が痛くなるほどに拍手した。すごい、すごい、すごいーーー!m、かっこいいいいいいい!!!


帰り道、姉3が「発表会というのは良いね」と言った。「人前に出て、発表する、ということは、やっぱり、良いことだと思う。」と、言った。わたしたちは皆、気持ちが高揚していて、mがちょっとだけとちったような箇所があったことも、その時にmが、ちょっとだけ笑ったような気がしたことも、全てが最高のものだと言い合った。


あの時のことを、時々、思い出す。
どうして、人前で発表することが良いことなのか、ということを考える。
わたしはそういうのがとても苦手だ。試験とかも大嫌い。出来ることならそういったことから離れていたい。誰かに批評されるのは避けたい。その他多勢に埋もれて、人知れず、ひそかに、ひっそりと。

でも、時々、思い出す。
演奏を終えた時の、mの晴れやかな表情。何よりも、演奏している時の、mの、自由な動き、何者でもなかった、あの感じ。
そして、それを見た時の、そのときを共有したわたしたちの、あのしあわせなひととき。


発表会、というのは、そういうことのためにあるのかもしれない。
よくわからないけれど、わたしたちも、mも、そして多分そこに居合わせた全ての人たちが、何かを受け取り、味わった。


わたしは、島に帰って、mに会う度に、「リサイタルをしよう〜」と言っている。mは、そんなこと出来ん〜と、笑っているが、本気でそう思っていて、どんな風に行うかのも考えているし、mに演奏してもらいたい曲も考えている。(mは練習する期間が必要だから、と言っていたので、まんざらでもないのだと思う。笑)
計画としては、6〜8曲。休憩を入れて、その休憩時間には、手作りのケーキと美味しい珈琲または紅茶をお出しする。招待したい人もある程度、決まっている。少人数の予定。
そして、無事にリサイタルを終えた夜には、我が家に移動してお疲れさん会。姉3の手作りピザと美味しいワイン。そして、姉2のギターで歌おう。


と、ここまで具体的だと、実現しないわけがない。と、確信しているわけです。











#日記

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自画像

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自画像
02/15/2022









Costco で買った水。
職場にいつも持っていく。
皆それぞれ水を持って来る。サーモボトルに入れて来る人もいる。
持参した飲み物は専用の場所に置く。なのでみんなそれぞれ名前を記入している。


随分前、誤って同僚の持って来た水を飲んでしまった。
ふた口くらい飲んだ後に気づいた。
L?Lって何?と、じーっと見ながら、やけにヒョロヒョロと細いレターだなぁ、なんて思うおバカさん。😰

そこにはmというわたしの名前ではなくLという同僚の名が書かれていた。
うぎゃーーーーー😱😱😱
I KISSED L!!!!
LもCostcoで同じ水を買ってたのねーーーー。


Lはその時ちょうどいなくて、彼女が戻って来てから平謝りに謝った。🙇🏻
みんな大笑いだった。
Lも笑って、いいよいいよ、と言ってくれたけれど、その後、新しくお水を買って返した。



それ以来、マイお水には名前だけでなく、目立つように絵を描いている。毎回、同じ顔にはならないし、髪型も変えている。

で、今日のわたしは最高に自分自身じゃないか?と思って、記念に撮影した。



だいぶ髪が伸びてきた。








#日記

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愛を祝う

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02/15/2022









Valentine's Dayの少し前に、娘から
Hey can I get your chocolate chip cookie recipe 🥰
というLINEが届いた。

へぇ。。。と、ちょっと驚く。
家を出てから料理をするようにはなったが、Bakingは聞いたことがない。
さてはオーブンを新調したか?と、思いながら、レシピを送った。
最近、お気に入りの彼のやつ。→Double Chocolate Chip Cookies

It was the BEST
Thank youuuuuuuuuuuu!!!❤️


ついでに、ダブルチョコチップじゃなくて普通のチョコチップもあるからね、と伝えておいた。


そんなことがあったので、日曜日にチョコチップクッキーを焼いた。前にダブルチョコチップのほうを焼いて最高に美味しかったので、こちらも試してみるかと思った次第。


個人的にはダブルチョコのほうが美味しい。というか、どちらかと言うと、好き。
でも、夫はIt's really good!と言って喜んで食べていたから、結果おーらいかな。

ちなみにValentine's Day用には、Lemon Icebox Cakeを作った(チョコチップクッキーはオマケです)。美味しいMeyer Lemon Cookieを買ったので、生クリームをホイップしてレモンも入れて、クッキーに挟んで挟んで一晩寝かして、と言う簡単なやつ。
これは美味かった。自画自賛。


で、昨夜、娘からHappy Valentine's Day! Are you making anything special?と来た。
が、父は仕事でいないこと、Lemon Icebox cakeとChocolate Chip Cookieを作ったことを伝え、そっちはチョコチップクッキーを焼いたのか?と訊いてみたら、ブースターショットを受けて体調崩して寝込んでた、とのことだった。
なんだ、残念。


そのうち焼くのかもしれないし、機会を逸してしまってもうその気にはならないかもしれない。どうかな。

てか、日本ではやっぱりまだ女性から男性へ、という流れなのかな。
こちらはどちらかというと男性から女性、という感じかも。

我が家の場合、お互いに。
なんつったって、愛を祝う日、ですから。










#日記

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変える

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変える
02/14/2022









Happy Valentine's Day 💖


2月はいろいろ!
6日、9日、14日、その次は18日、姉1の誕生日が控えているー。


明日の朝になったら、Google classroomの画像を変える。
1月は雪遊びをしている子供たち、夜のかまくらに入ってお餅を食べる子供たちなど、いくつかをちょこちょこ変えて、1月最終週から節分の絵、2種、節分が終わってからすぐにバレンタインの絵に変更。生徒たちは気にもしていないと思うけど、classroomを開く度に同じ画像じゃつまらないので。
明日の朝には、少し早いけどひな祭りの画像にする予定。その後は、春の卒業の画像。


補習校の授業、残すところ後4回となった。2/19, 2/26, 3/5, そして3/12が最後の授業、午後から対面で卒業式が計画されている。このクラスを担当して2年だけど、実際に生徒たちに会うのは初めて&最後。不思議な気分だ。


補習校の講師は今年度限りで退職することにした。
新年度の4月からは対面授業再開ということだったが、遅過ぎた感。もう完全燃焼、燃え尽きました。
生徒たちはかわいいし、情もわく。だから後ろ髪を引かれる想いでもある。
けど、また4月から1年、、、、は、もう良いかな。

退職希望を出してから2度、なんとか継続していただけないか、との連絡をいただいた。
講師不足は毎年のことだ。昨年度も退職希望したのだけれど、何度か頼み込まれて翻意。結果的に受けたのだから、断れなかったとは言えない。自分で決めたのだ、続けます、と。

今回も、色々と考えた。
頑張ってもう1年、、、とも思った。が、最終的に退職希望を通した。
ただ、どうしてもどうしてもどうしても新しい講師が見つからない場合には連絡が来ることになっている。


わたしは娘を補習校に入れなかった。
現地校に通ってるのだから、せっかくの土曜日を潰すのはかわいそうだと思ったのと、わたし自身、そういう情熱がなかった。
だから、あっさり諦めた。

補習校の講師になってからは、あぁこんな感じだったら、娘を入れてみるのも良かったかもしれない、と思った。
短時間であれ、他の日本人らと日本語環境にどっぷりと身を置けるというのは、彼女にとって何かしらの力になっただろう。アイデンティティの面でも。


今は、補習校という環境を知って、良いこともそうでないことも色々経験して、そろそろ新しいことを始めても良いのではないかなと思っている。
補習校に費やした時間を、何か新たなことに。
それはきっと、良い変化だと思う。










#日記

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潜水フェリーのその向こう

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02/13/2022










某講習に申し込んだ。

講習前の課題提出は自由とされたが、ええいままよ!と、送った。
直後、えらいことをしちまった、、、、と、青ざめる。少なくとも2週間は放置していたものだ。それを送った。なぜに?自分でもよくわからない。
送っちまったモンは送っちまったモンだ、もう戻せない。わたしの手を離れ、あちら側へ渡った。とんでもないことをしてしまった、、と思う。勢いに任せたところはある。でも、同時に、よっしゃ、と思う。ちょっとした達成感もあった。「送る」と決断したこと、そしてそれを実行したこと。初めの一歩だ。ちょっとふわふわしている。けど、ちゃんと地に足はついている。踏みしめよう。それからだ。



滅多にお目にかかれる先生ではない。彼のお話を、どんな内容であれ直に聴けるのだ、そんな機会を逃すことはなかろう。
勢いにまかせて申し込んだ。その他大勢に紛れていれば良い。身分不相応だとか場違いだとか(同じ意味か?)咎められることはない筈だ。
違う。誰もわたしのことなど気にも留めない。相応しくない、と思っているのは自分自身。恥をかくかもしれない、と思っている。でも、どうよ。誰もわたしのことなど知らない。だから、気にすることはない。


そろそろ到着する時間だ。甲板に上がったら、陸地が見えるかもしれない。昔は、夕方出港、翌朝の明け方に到着というフェリーだったので、近づく陸地を目にしたことはない。でも、今なら見られるかもしれない、と思うと、胸が高鳴る。

甲板へのドアを探しながら通路を行くと、広いホールに出た。前面、天井まで全てが巨大な窓になっていて、その先には青く白い世界が広がっていた。遠く、小魚たちが群れをなして動いて行く。小魚たちの向かうところには柔らかな光の層が揺れている。
そうか、まだ海の中だったか、と思う。青い海、無数の泡。

「ご乗船の皆さま、まもなく、当フェリーは鹿児島港に到着いたします。下船されるお客さまは、ご準備をお願いいたします。この先フェリーは少しずつ上昇し、15分後には完全に海上運転に切り替わりますが、お客さまのご安全のために、甲板への扉は施錠されております。下船まで、船室にてそのままお待ち下さいますよう、お願い申し上げます。」


そうだった、甲板に出られるわけがなかった、と思い出す。
とりあえず、すぐ下船できるようにしておこう。今回は講習だけが目的なので、荷物は殆どない。weekender bagにノートパソコンも入れた。

バッグを抱えながら、前方に広がる海を見ていた。講習会場へ向かうまでのあれこれを頭の中で組み立てていたら、見る見るうちに泡がどんどん大きくなり、増えていって、とうとう、海上に出たようだった。しばらくして、モニターに切り替えられたのだろう、空の上から撮影されたフェリーが進む姿、そして薩摩半島、開聞岳が映し出された。
島からあっという間だった。何度も乗っているのに、あらためて驚く。すごい進化。時間も短い。船酔いもない。しかも飛行機より割安。

下船が近づいてくると、身がすくむ。いよいよだ。




会場は、思っていたよりも小さく、本当にここで良いのか、何か間違えちゃったのか、と思う。小さな町の公民館のような感じ。舞台があって、その前にはパイプ椅子が並べられていた。少々困惑、少々安堵。

中に入ったは良いが、シート番号も何もない。どうやらどこに座っても良いようだ。
聴講生はどれくらいなのだろう。少なくとも、会場したばかりで、選び放題だった。とりあえず、後方から数えたほうが早いくらいの席に座った。続々と人々が入ってきて、その様子を見ていたら、皆、最前列から座り出したので、自分もそうすれば良かったのかも、と、少し後悔した。でも、入ってくる人々の姿を後方から見ていると、なぜか安心して、この席で良かった、と思う。

前方に、とても懐かしい顔を見つけた。
幼馴染みの、k子だった。えええええ、かなり驚く。何十年ぶり???40年くらい???
k子はエレクトーン教室に通うお嬢さまだった。ほっそりと背が高く、気取りやなところがあって、わたしとは性格が全然ちがったが、仲が良かった。放課後や週末には一緒に遊ぶことが多かった。彼女の家には彼女専用の部屋があり(当時はそのことに驚いたものだ)、エレクトーンを弾いてくれた。両手の指が右、左、上、下の鍵盤へと動き、片足も動かしていた。楽譜を真剣に見ながら弾くk子は、時々、明後日のほうを見たり、目をつむったりして、それが最高にカッコよかった。

どうしよう、と思う。声をかけるのを躊躇う。わたしってバレるじゃん、と思う。でも何が困る?わたしの提出したものは彼女の目には触れない。わたしがここにいることも知り得ない。

と、後ろからいきなり声をかけられた。
m?mでしょう?

振り向くと・・・・・うーわーーーーー
同じく幼馴染みのt美。ええええええ、な、な、なんで???
t美はチェーリングの上手な子だった。手が大きい。わたしはいつも負かされた。いや、彼女に敵う子なんていなかった。無敵のt美。まさかこんなところで再会するとは。


mーーーーこの先生、良いよね。課題出した?わたし、出したけど、採用されなかった!!


うーーーーーーわーーーーーーーーー

なんて答えたら良いかわからない。いや、わたしのも採用されなかった。だから、何も心配することはない。いや、何を心配するのだ?


そんなとき、舞台下に講習を授ける先生が現れた。
まだ時間前なのに。気さく過ぎる、、、、、。皆に愛想よく笑顔で手を振っている。良いのか?まだ時間前だぞ。

彼は舞台にヒョイッと上がり、パイプ椅子を引き上げて、中央に座った。
足を組み、両手を上げて、「ようこそ!」と大声で言った。
え?始まる?もう?まだ時間前じゃないか?
サービス精神大き過ぎじゃないか?てか、やっぱりちょっと外れてる人なのか???
しかしこの人、やっぱりカッコつけだ。笑える。思った通りの人だった。カッコつけの、ロマンチスト。

申し込んでよかった。しっかり聴講しよう。k子がなんだ、t美がなんだ。要は自分なのだ。だんだん、ワウワクしてきた。


が。

いや、待て。
そんな筈はない。
講習は対面ではない筈だ。オンラインな筈。

だよ。これ、違うよ。

夢か?夢なのか?
そうだ、夢に決まってる。


時間。
今、何時?

講習、何時からだ?まだ間に合う???





・・・・

苦しい、目覚め。

夢でした。😑

しかしながら、あの潜水フェリー。前にも乗ったことがあるのです。何度も、ある。
夢の中で、、、、。










#ユメモ #日記

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2014

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02/12/2022








仕事関係の某書類、提出期限が月曜日午後4時となっていた。
とりあえず提出義務の有無に雇用年数が関係してくるらしいので、自分が雇用された年を調べる。しかしながら、毎年、年度始めに送られてくる契約書は翌年には破棄しており(不要だしね)、初年度のものなどどこにもない。

ちょうど夫が帰宅したので、訊いてみた。彼は数字に強い。色々なことを覚えている。
でも、妻の雇用年はその範疇にはなかったようだ。そら、そうか。
Think 2015?
ふと、じゃぁこの街に越して来たのはいつだったっけ?と訊いてみる。
2013.

と、いうことは。と、考える。
ここへ越して来て、その翌年の夏から今の仕事になった。だから2014だということになる。きっとそう。そうなる筈。。。

と、ここで、日記があるじゃないか!!と、思い出す(←やっと)。
で、過去に遡って見ていくと・・・
あったあった、ありました。2014年8月27日にオリエンテーションを受けに行った、となっている。こういうことで役立つのね、10年日記、ありがとう。
ちなみに、よって、書類の提出は不要であることが判明。やれやれ。


ところで、この探しもののおかげで、過去日記をいくつか読んだ。
まぁ〜〜〜色々あったんだなぁ〜と、今さらながら、思う。今の職場に変わるまでのすったもんだが懐かしい。それから、最初の年の、人生初の、bullying situationの日々。今だから笑って話せるけど、かなり辛かったんだわ、それが滲み出ている、文面に。懸命だったんだなぁ、と思う。でも、そのことだけを綴っているわけではなかったのが嬉しい。雨降り


今、もし彼女に会ったら、わたしはどんな風になるだろう。今でもやっぱりぶるぶる震えてしまうだろか。それとも、普通に話せるだろか。どうだろう。まったく予測がつかない。








#日記

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喜怒哀楽

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02/11/2022









mは感情表現が豊かでわかりやすい。
と、同僚に良く言われる。
ーいや、そんな筈はない。日本人は無表情で見分けが付かないと言われている。
ーじゃぁmは日本人じゃないね。と、同僚は笑う。
ーいや、わたしは典型的な日本人。ロボットとも言われている。

と、これは日本人のことを良く知る彼にだけ通じる人種差別を皮肉ったジョークです。


マスク着用になって久しいが、以前はもちろんマスクなど無用の世界だった頃。
当時のパートナー(彼女は昨年、退職した)からも、mの顔の変化が面白すぎる!と良く言われた。それも、普通にしゃべっているときに。
批判されているわけではないし、好感的に受け入れられてはいるのだが、当然ながら褒められているわけでもない。シンプルに面白過ぎる、という事実。
そっかぁ?と返す。(と、またその顔が良いと言って笑われた。)
時々、彼女は涙を流しながら笑っていた。
そんなに???と不思議に思ったものだ。笑わそうとしてやっているわけではないのです。コメディアンじゃないんだから。

1Q84の青豆は顔をしかめると、顔面の筋肉が活発に働いて(?)表情が激変するらしい。それは、その顔を見た人が恐怖で縮み上がるほど、ということだ。

わたしの場合、笑われるだけだから、日常生活に支障は来していない。よって、喜ばしいことだと思って良いだろう。多分?



でも表情筋を動かすことは良いことらしい。
美容的には、シワやたるみを防ぐ。と、言われている。
顔だけじゃなく、舌、首の筋肉を動かす嚥下体操というのもあって、これは年寄りの誤嚥防止でもある。


昨夜、スノーボードを見ていて、平野歩夢の2本目で大喜び。わたしの声にPascalが反応してガウガウ。ごめんごめん、はしゃぎ過ぎた、とパス公に謝った。
夫は「これで金を決めたな」と冷静に言っていたのが、点数を見て、WHAT !😮
アナウンサーもコメンテーターもあり得ない、と、大騒ぎだった。何かの間違いじゃないのか?

3本目。
人間じゃないみたいに、まるでアニメとかC Gとか見ているような高さで、これはもう絶対に大丈夫でしょう、と言いながら、点数を待つ。

He did it !!!

立ち上がって喜ぶわたしにパス公がガウガウ言いながら飛びついてきた。
やったやったやった〜!!ダンスダンスダンス!
パス公をさらに興奮させた。
夫は笑いながら見ている。そして、それ以上やると危険だよ、君は学習しないな。

でした、でした。


話が逸れてしまったけれど、感情豊かで良いでしょう、ということ。
笑われようが、犬に飛びつかれようが。
豊かに感じ、豊かに表現。








#日記 #犬日記

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02/10/2022








今朝、いつもの時間(4:50)に起床、まずは犬たちをbackyardに出す。
昨日より明るい。気のせいか?

昨夜は気になっていたフィギュアスケートを見ることなくベッドに行ったのに、眠気が残った。珈琲を飲みながら、ぼーっとしているうちに時間が過ぎてしまった。
(それで今頃になって、書いている。)



職場へ向かう途中、信号待ちをしていたら、左側からSchool Busがえらいスピードで左折して行った。6時35分頃。ものすごーく急いでいたっぽい。それなりの理由があるのだろうが、基本、School Busは乗客の有無に限らず超安全運転なので、かなり驚いたし、大丈夫かなと心配にもなった(この時間だからまだ生徒は乗っていない筈)。

でも、このおかげでシャキッと目が覚めた。
うわーーーーーーーなにごと???大丈夫??? なんて口にした自分に笑った。
自分こそ、大丈夫か?って感じ。







#日記

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不思議な一致

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不思議な一致
02/09/2022








昨日、母の命日が近づいてきて花を予約した、と書いたのだが、今日は、父の命日だった。
そして今日は、義父の命日でもある。

わたしの父が亡くなったのは、もう随分前のことで、わたしは6歳だった。
なので、父の記憶はあまりない。殆どない、と言っても良いだろう。おぼろげにある父の記憶は、母や兄、姉たちから聞かされたもので、自分自身のものではないような気がする。
それでも確実に自身の記憶として残っているのは、あの朝、長兄に起こされて病院に向かったこと。兄の車の後部座席の窓から、夜の明けぬ黒い海を見つめていた。
それから、病院の地下、広いホール、足音の響く冷たい床、大きな丸い柱たち、そこで弟と一緒にいたこと。
家のオモテ(と言われる居室)に父の亡骸が横たわっている。母は正座して、さめざめと泣いている。兄たちは少し離れたところで整列して正座していて、兄たちもまた涙していた。弟が声を出して泣いて、兄2が弟を膝の上に抱っこしたこと。それを見て羨ましくなって、自分も泣こうかな、と思った。
お葬式の記憶もある。でもそれは後に写真を見て焼き付いたものかもしれない。
父と、遊んだこととか、何か言われたこととか、そういう記憶は一切ない。
それでも淋しいと感じることはなかった。気がつくと父はもう他界していたので、それが普通だったからだろう。
学校の運動会とか何かの行事で父親が参加するのを見て、少し心が痛んだくらい。それでも父の代わりに長兄が参加してくれた(父親参観日)のは逆に誇らしく感じたりもした。

父は脳腫瘍だった。
良性だったらしいが、診断が遅れ、治療が出来なかったと聞いている。腫瘍が大きくなり、脳を圧迫し、最終的には生命を絶たれた。


義父は膵臓癌だった。
その診断を受けたと聞いた直後、わたしたち夫婦は義父の元を訪ねて行った。渋る夫をわたしが説得した。行けるときに行こう、無理してでも時間を作って行こう。


あ、時間になってしまいました。
続きはまた後で。


・・・

会いに行ったとき、義父はとても元気だった。
以前に比べると少し痩せてはいたが、身体の調子は良いと言っていて、大袈裟に聞こえちゃったかな、と笑っていた。ちょうど、化学療法の1クールを終えて、休止中だった。治療中はやはりちょっとキツかったけどね、と話していた。息子が来てくれたのが、とても嬉しかったのだと思う。夫と義父は、尽きることなく話していた。
わたしたちは、調子の良くなかった老犬Bruceを義両親に預けて、DeweyとCosmoを連れて行った。Deweyはわたしたちが迎え入れる前に色々とあって、人間不信が強く、あまり近付くと吠えたり唸ったりする。そのことは義父たち(義父と義継母)にはしっかりと伝えておいた。彼らもまた犬と一緒に暮らしていたので、良く理解してくれた。自然に、とにかくまったく構わなかったので、Deweyは最初こそ緊張していたが、少しずつ慣れてリラックスしていた。夫と義父が何かの試合を見ながらスポーツの話をずっとしていたときには、いつの間にかふたりの近くに行って、寝そべっていた。それを見て、「この犬はとても、とても、とても素晴らしい犬になる。既にそうだけど、これからもっともっと、素晴らしい犬になる。」と夫に言い、お前はなんて素晴らしい犬なんだろう、と、デューちゃんに言った。わたしは義継母とリビングで話していたのだけれど(Cosmoはわたしたちと一緒にいた)、それが聞こえてきて、心から感動したのを覚えている。デューイのことをそんな風に最初から認めてくれる人間はそうそういなかったので。今でもその時の光景を思い出すと、涙が出てくる。義父は、とても穏やかで、優しい人だった。

義父が亡くなったのは、癌が進行して、ということではなかった。
義継母が言うには、風邪をこじらせて肺炎を起こしたのだそうだ。
連絡を受けたのはわたしだった。夫は仕事で、しばらく連絡がつかなかった。夫と連絡が取れるまでの間、わたしは飛行機のスケジュールを調べ、どのフライトで行けばもっとも早く行けるか、検索していた。
結果的には、飛行機で行くよりも車で行った方が手っ取り早いことが判明し、車で向かった。
娘にもすぐに連絡し、彼女も一緒に行った。


同じ日に亡くなったなんて、、、
そう思ったけれど、そういう話をしたのは、だいぶ後になってからだ。



今日、仕事帰りに花を買った。
父と、義父を偲んで。




夫と娘は誕生日が同じで、わたしの父と夫の父親は命日が同じ。
ジブリの映画(確か「耳をすませば」?)の中で、「不思議な一致だね」というのがあって、それを思い出す。
本当に、不思議な一致だな、と、思う。



















#日記

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