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Slow Life & Trips

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今回は一寸趣向を変えて

thread
江戸時代の話は教科書や歴史書に沢山書かれているが
果たしてそうなのか、疑ってみる必要がある

例えば、苛斂誅求や百姓は奴隷の如く課税されて、貧困に
喘いでいたと書かれている

しかし、村や町の辻札には「絹を着るな」や「歌舞音曲」の禁止
「祭りが派手」などが書かれている
裏返すと、庶民や農民がそれらを享受していた事の証明である
明治になって、廃藩置県となっても城下町の「殿様」を
市民が吊るし首にしたなぞ、何処にもない
それどころか、未だに当時の主君の末裔を称えている

実際にお伊勢詣でや熊野詣で、四国巡礼など相当の費用を使い
多くの庶民が旅をして、物見游山をしている

全国各地の僻村に立派な屋敷が存在したのは経済的に豊かな
事を証明している

江戸時代が庶民や農民にとって「暗黒時代」のように書かれて
居ることを信じるわけにはいかない

農業は自給自足で成り立っていたなんてのは嘘っ八で
一部の農家は他の産物を作り、米を購入していたことが
多くあったようだ
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2008-04-29 15:58

まあ、農村が困ったのは飢饉のときなんですね。

その時に藩主がなにをしたかで藩主の評判が決まったと思います。
何もしなかった藩主は幕府から糾弾もされたようです。
殿様だからふんぞり返っていられた時代じゃないんですよね。

農民にしても西洋の中世の暗黒時代とは待ったく違っていたようですね。
農民はそれなりの自衛力を持っていて、
いざとなると一気に訴えるわけです。
藩主はこれがあるとおとりつぶしが待っているから、
それほどむちゃくちゃなことはしなかったようです。

ヨーロッパの中世よりずっとましだったようですけどね・・・。

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2008-04-30 01:26

仰るとおり、結構豊かな生活を送っていました


飢饉の時、各藩は他へ食料が流通しないように
したため、このような餓死が起きたそうです
ただ、現在も起きますが「ヤマセ」で東北地方が
ひどい時期があったり、火山噴火や旱魃で状況が
起きたようです

因みに「百姓」は日本では「農家」のことを表しますが
同じ漢字で中国、韓国では全く違っています
「百姓」は字義のままで、農家は農民若しくは農夫
と表記します

江戸末の「三方領地替え」を住民の一揆と越訴で
取り消しをさせ、だれも死罪にや拘束もされなかったのが
良い例です

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zakka
Commented by zakkah
Posted at 2008-04-30 00:06

「和の文化」を真摯に検証すべきかと思います。

農耕民族と言われ始めたのは、明治以後のことでしょう。それも外国・とりわけ西欧人が言い始めている。
黄金の国・ジパングも一例でしょうが??

江戸期に来訪した・それ以前から滞在していた西欧人の日記等を垣間見ても、
日本の庶民は、おおらかに、したたかに生きていたようです。

神仏混交であったかつての宗教下にあって、庶民は結構、文化的でもあったようですね。
今でも交通不便な九州国東半島。その真ん中に位置する所に三浦梅園は、住まいいた。歴史は、庶民生活を垣間見ないと検証できない。「御用学者!?!」の論などあてにならない。
各地の古寺に顕在する文献をつぶさに検証しなさい、と学者に言いたいですね。
梅園翁の思索をひも解いてみると庶民感覚が少しわかります。
鎌倉仏教の臨済宗各寺に残る書物を見ても庶民感覚は、凄いものがあったようです。
貴氏周辺の庶民の歴史をひも解いてくださる事を切に希します。

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2008-04-30 13:09

貴重な返信、有難う存じます。


講談社刊 日本の歴史 「日本」とは何か 網野善彦著
364頁からの記述に下記のようなことが載っています

能登半島 「時国家」文書について『襖の下貼り』
から多数の文書が発見された
これらは、そもそも反古となるべきもので、それを
再利用された事で残存できた
その文書で、田地の殆んどない地域で、富裕な家が
存続できたのは、廻船などで北から関西までの
交易で栄え、金融業もやっていたようである
「時国家」では膨大な文書が残されているが、田畑の
文書が殆んどで、これらからは廻船・交易活動の
実態を捉えることは困難である

以上のように記述しています

まだまだ面白い事を実証していますが、表面上と
実態とが乖離しているのが実情のようです
学会ではなかなかこれらを認めたがらないのが・・

小生の調べて居ります画家は「粉本」を沢山残して
いますが、その模写した「画」には裏面に年号や
署名を入れています
その中の記述を判読し、師が谷文晁でなく、谷文晁の
弟子 文雍が師であったことが判明しました
裏面に書くことで、本画に化ける事を防いだそうです

wahooは全くの素人故「お遊び」の範疇を脱し切れません
期待はしないで下さい

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