知り合いの方から、先日のNYハドソンリバーの画像が
送信されてきた
見事な着水で死傷者が一人も出ないアクシデント
その航空機を引き上げる顛末です
相当数の画像を、ブログルの皆さんに見ていただきたいと思い
Web de Photoに登録するも、上手く行かない
止む無く、コメント欄に掲載して見ました
著作権の問題もあり、1週間ほど経ったらコメント欄の
画像は消去します
画像にコメントをされますと、画像と共に消去となりますので
表紙のコメントに書く事をお願いします
川底から航空機を引き上げる
特殊な仕事を行うプロが活躍しています
今年の干支は「丑」年
カミさんは意識して、正月のお飾りを下げて
丑を飾っていた
牛と言えば、江戸時代の荷物の運搬には「馬」と「牛」が
使われていた
山道は「馬」は無理でも蹄の割れた「牛」は平気で歩くそうだ
羊や山羊も蹄が割れている
南部地方から本州中部、川口や三条へ砂鉄を菰に入れて
「牛」に背負わせ運んだそうである
その「牛」は農家に売り払い、身一つで故郷へ戻る
これが、江戸時代まで日本の物流であった
太平洋沿岸にお住まいの諸氏には当たり前の夕陽も
日本海側では12月から3月迄はめったにお目にかかれない
一昨夕、海岸道路を走っていると夕陽が沈む所に出くわした
早速、砂丘に上がり撮影した
海の波も左程高くない
石地の松脇の良寛碑に始まり、乙子神社、国上山国上寺
五合庵と歩き回って、体が冷え空腹を覚えたので
ひとっ走りして、魚市場の食堂で「イカ焼き」と「番屋汁」で
身体を温めた
良寛禅師について、知らない事が沢山あるが15日に
アップした禅師の歌は「古事記」の雄略天皇の歌に
『上つ枝は 天を覆へり
中つ枝は 東を覆へり
下ず枝は 鄙を覆へり
・・・・・・・・・・』
とありました
四書五経、漢籍、万葉、古事記、古今などに精通していた
ことが分かります
これにて、遠望の終了となりました
五合庵の内部には仏像と石仏が飾られ、扁額に「五合庵」と
掲げられている
今回は国上山近辺から「良寛禅師」を遠望してみました
内面に迫るには、並み大抵のことでは近づく事は不可能でしょう
ただ、言える事は「良寛禅師」も同じ人間
神格化することに違和感を覚えます
寒いときは寒い、腹が空けばひもじくなる
飯を食えば、必ず排出が伴う
綺麗な女人を見れば、振り返る
こんな「良寛禅師」と会話が出来たら楽しいでしょう
時折、古事記や万葉、古今などの世間話を混えて
この五合庵で良寛禅師は相当期間、起居をしていた
勿論、当時の建物は現在には残されておらず新に建設された
庵である
200年近く昔にはこの庵での生活はいかばかりであったであろうか
国上寺本堂の左手に「六角堂」があった
由来が書いてあるが、控えてないので説明が出来ない
国上山 国上寺本堂の広場を隔てて眺める位置に良寛像が
据えてある
勿論、名のある彫刻家の作品であろうが
実際に
良寛禅師に会ったことはないし、写真を見たものではない
書物や画に残された資料により、創造力で創作された
彫像である
歴史は百パーセント、真実を伝えてはいない
遺跡や遺物の考古学・文書による史学
いずれも、推量や推測を織り込んで成り立っている
歴史小説や伝記小説はその点大らかに歴史を楽しませている
この良寛禅師も多くの学者や好事家が様々な角度から
発表して糧を得ている
その割には、喜捨が少ないようだ
漸く、国上寺 本堂に辿り着きました
仏教のお寺や宗派には詳しくないので語ることは
出来ません
これまでは、曹洞宗のお寺を数寺アップしてきました
やはり、様式の違いがあります
特に葬儀の際のお経の上げ方や、儀式は各派により
その違いが鮮明に表れます
米蔵でのパフォーマンスが終り、屋外での演技となりました
道路拡幅に伴い伐られる、大きな柿の木の幾ばくも無い命に
鎮魂を込めています
wahooの頭では理解し難いものでしたが、寒の季節に
素足で板張りの蔵で舞い、霙の降る屋外で舞う
まるで修行僧の感がありました
最終回
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