“玉串奉奠(たまぐしほうてん)!!”《襍感・/・画録‘18-2》

森戸大明神前海岸の「千貫松」 ... 森戸大明神前海岸の「千貫松」
明日が、婚姻の儀。祝い・目出度い。
潮来で行われている、嫁入り風景... 潮来で行われている、嫁入り風景(借り物画像)。
嫁入り道具の入った、桐衣装箱。とってに棒を指し二人で担いだ。
こんな嫁入り、是非に行って欲しく感じる。

《時節感慨・・呟記・・》
ジューンブライド・・・June bride、こんな言葉、最近、耳にしない(僕が聞かないだけかも)。
「6月の花嫁」、日本では梅雨時と重なり、当事者としては、少々頭が痛いのではないか!?!
初めて西欧を見分した時、結構この時期に結婚式を挙げる西欧の人々を見かけた。
西欧の故事に「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」とされる言い伝えが在る。
又、古くは、農作業の妨げとなることから3月~5月の結婚が「禁」だったとも聞いたことがある。
西欧を見聞して、日本の梅雨時期にジューンブライド感覚!?!は不似合いとおもう。

生活環境の鎌倉は、神社仏閣が多い所、我が家も仏教寺院の檀家だ。
今の鎌倉は、鎌倉時代の要所跡の殆どが現在基督教関係の施設になっている。
「黒船来航」以来、三浦半島は宗教的にも基督教とは関係が在るのかもしれないが、
でもねぇ~~~~!!日本人の多くは、仏教・神道の徒が多いのではないか。
事、結婚式となると海外で・・・ハワイ等、異国で結婚式を行う人が多くいる。
個々人の信仰と挙式スタイルは、日本人にとっては余り関係しないことのようだ。
結婚式場と言う仕事自体、日本独特の形式に思える。式自体が「宴」で信仰とは別。
この半世紀余りでも、古来からの神前式挙式は、形骸化されつつあるように観える。
和装、親族しか列席しない神殿・神前式挙式。他方、式典と披露宴が一体化する合理的結婚式。
結婚式場・ホテル等で形ばかりの結婚式・・披露宴。伝統様式は、形骸化されつつある。

日本の結婚式は、「家」という伝統を重んじる挙式で各地に独特の風習があった。
その伝統を紹介する観光もある(上画像)。良いとは思うが、文化風習として残って欲しいものだ。
ぼくが育った鎌倉周辺では、新郎の自宅に身内が集まり、床の間に祭られた神様の前で儀式が行われた。
現在の様な神殿神式結婚式は、1900(明治33)年に行われた大正天皇のご成婚が最初と聞いている。
一般に広まったのは第二次世界大戦後のことらしい。
神前式では三三九度や玉串奉奠(ほうてん)など独特の所作がある。式の流は、厳かで趣あるものだ。
参進の儀(さんしんのぎ)、修祓(しゅうばつ)、祝詞奏上(のりとそうじょう)、誓盃の儀(せいはいのぎ)、
神楽奉納(かぐらほうのう)、誓詞奏上(せいしそうじょう)、玉串奉奠(たまぐしほうてん)、
親族杯の儀(しんぞくはいのぎ)等々、家と家のつながりが見て取れて「和」を意識できるものである。
着物姿での結婚式は、爺になって参列してみると日本人を実感できる日本の古き良き結婚式と思うのだ。
白無垢・・唐織、刺しゅう柄など色々ある白無垢。伝統的な綿帽子を合わせる白無垢はいいね。
黒引き振り袖、花嫁衣裳としておめでたい松竹梅や鶴柄、文金高島田に角隠しなんて楽しい。
家紋は、洋の東西を問わずある。紋付きとはよくいったものだ。
和服は、立ち直せば、代々受け継げるものだ。
男の和装(紋服)、黒羽二重の羽織に、黒もしくは茶色のしま柄の袴を合わせる正装は身が引き締まる。
礼装の和服文化は、せめても将来に引き継がれてほしいものだ。
神殿で神主・巫女さんで式次を行うのではなく、家と家、そして仲人の証人をえてこじんまり行う。
こんな結婚式は、ご近所さんも協力しての地域社会のよき習わしであったと思う。

生粋の鎌倉っ子のお嬢さんが、結婚すると。。。何とも喜ばしい。それも観光的鎌倉を避けて式をあげると。
皇室の御用邸がある葉山の森戸大明神で式を執り行うのだと。この神社は、源頼朝の創建した神社。
静かな葉山森戸の海沿いの少し海に突き出た部分にあり、静かで抜群の眺望と雰囲気ある所。
風光明媚な景勝地、鎌倉幕府の重要な戦略地でもあった。
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも、流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、相撲(すもう)が、
杜戸(森戸)において盛んに催されたと記されている。この地は、鎌倉幕府の重要御家人であった、
三浦一族が支配しており、その足跡の一つに森戸一帯は三浦義明の六男、森戸重行が治めていた。
森戸大明神本殿左手にある広場辺りに源頼朝の別邸があったといわれている。
森戸大明神まえの杜戸(森戸)の浜は、三浦一族の騎馬練習場であった由。
森戸大明神本殿右手から裏に回ると千貫松と呼ばれているところがある。
千貫松は、1181年(養和元年)6月、源頼朝が三浦一族の居城であった衣笠城に向かう途中、
杜戸(森戸)で休憩した。その時岩上の松をみて「如何にも珍しい松」とほめたところ、
出迎えた和田義盛が「千貫の価値ありとて、千貫松と呼びて候」と答えたという伝説の松。
海上には森戸神社の鳥居がみえ、鳥居の立っている小さな島を名島という。
往古は、岩場でつながっていたと言われている。

由緒ある森戸の風情の中で悪友のお嬢さんが、森戸大明神で結婚式を挙げる。
相模湾越しに見ゆる富士山、千貫松との景観は、最良のお祝いと思い載せてみた。
源頼朝が鎌倉を見定めたという旗立山(鐙摺城址)下にある日影茶屋での会食。
鎌倉っ子にして最良の式典場所とおもえる。お幸せにと・・・対岸の稲村ヶ崎より頭を垂れたい。

森戸大明神。。。石原裕次郎(こんな故人も忘れ去られた存在??)。
名島の向こうに見えるのが裕次郎灯台。僕等の青春時代、楽しい思い出の場所。
森戸大明神境内にある「マルチーノ公使 ベルツ博士記念碑」。
マルチーノ公使 ベルツ博士が、保養地として最適と皇室に進言した。
1894年(明治27年)に葉山御用邸が造営された。
詩人、歌人であるフランス文学者、堀口大學氏の歌碑。「花はいろ 人はこころ」と刻まれている。
堀口氏は1950年(昭和25年)から1981年(昭和56年)まで終生を葉山に住んでいた。
今や世界的企業に上り詰めた「味の素」は、ここ葉山で産声を上げた。
葉山・・近くの秋谷、学生時代の思い出ある心の故郷的地でもある。





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