《 “伝統の自転車ロードレース(襍・_・囈 2)》
世界最大の自転車ロードレース第107回ツール・ド・フランス。
例年7月に開催されているが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、
8月29日に南仏ニースで開幕~9月20日に巴里で幕を閉じた。
歴史に残るタイムトライアルでのレース、凄絶な戦いでの大逆転劇は凄かった。
筋書きのないドラマ。ラ・プランシュ・デ・ベルフィーユの個人TT決戦だった。
スロベニア出身、タデイ・ポガチャル(UAEチーム・エミレーツ)が総合初優勝。
ポガチャルは、21歳でツール初参加そして9月21日が22歳の誕生日。
年齢的には、ツールドフランス史上で2番めの低年齢総合優勝者に由。
最年少優勝者は1904年のアンリ・コルネで19歳11カ月20日。これは、驚き。
ツール初参加で初優勝は、1983年のローラン・フィニョン(フランス)以来に由。
ポガチャルは、総合優勝・山岳賞・新人賞を受賞、快挙としか言いようがない。
“超人"ツールに登場!!現地で観たかった。
ツールで5勝のエディ・メルクス(ベルギー)は、
1969年のツールで総合優勝した時、ポイント賞と山岳賞も同時に取ったが、
当時は、まだマイヨ・アポワは導入されていなかった。
山岳賞では、ポガチャルは最年少受賞者になった。
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『 時 節 感 』
先週は猛暑だったが、今日は10度も気温が低いらしい。
先週末から4連休だった。行楽地はかなりの人出だったらしい。
昨日、買い物途中、踏切で小田急のロマンスカー(特急)が通った。
見たところ満席のようだった。一寸、ホットした!?!
楽しみにしていたツール・ド・フランスも幕を下ろした。
今年は、開催が延期されたがこの大レース開催中に発売されるお菓子。
そのお菓子(ホールケーキ)を、”パリ・ブレスト”と言う。
其のことを教えて下さったのは、André Lecomte(アンドレ・ルコント)さん。
1963年、ホテルオークラの招聘で来日。前東京オリンピックで活躍した。
1968年12月、六本木に日本初のフランス人パティシエの菓子店、
フランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。1999年 逝去された。
大学生時代、時折訪れたケーキ屋さん。2階のサロン・ド・テを思い出す。
”パリ・ブレスト”は、ツール・ド・フランス(Tour de France)縁のお菓子。
ツールの前身レース(モデルになったレース)・・・
1891年にパリとブルターニュ地方の町ブレスト間で、
「パリ・ブレスト・パリ」(PBP)が行われた。
パリ~ブレスト間の往復約1200kmを90時間以内に往復する。
このレースの開催を記念して作られたと言うのが有力な説。
パリの「メゾン・ラフィット」という菓子店の職人、
ルイ・デュラン氏が考案したと伝えられている。
”Andre Lecomte”さん、彼のエスプリに富んだ会話が懐かしい。
ロードレーサーで訪れた変わり者ゆえ、解説して下さったか!?!
リング状に絞ったシュー生地にクレーム・プラリネを挟んだ姿は、
自転車の車輪をイメージしている!?!
上には、アーモンドスライスをたっぷり振りかけて。。。
又、上にアーモンドが無く中にクレーム・シブーストを使ったものは、
パリ・ニースと呼ばれている。
今では中に挟むクリームも色々と変化工夫されているらしい。
イタリアンメレンゲを加えた軽いバタークリームを使ったり、
カスタードを加えたり、シャンティを加えて軽やかにしたり等々。
お店によって、シェフによって、少しずつアレンジされて楽しい。
*パリ・ブレストそしてパリ・ニース共に現役のロードレ-ス*
ルコントのパリ・ブレストは、クレームパティシエールにバター、
プラリネ、シャンティー、イタリアンメレンゲも加えたケーキだった。
手間がかかるためか、一般的なお菓子屋さんで余り見かけない。
アンドレ・ルコント氏は、伝統的フランス文化(お菓子等)を示された。
昭和は・・・遠ぉ~くなりにけり!?!
パンも少し出しておられた。特にルコントのクロワッサンは、絶品だった。
日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。
フランスの街角にある”サロン・ド・テ”僕には「A.ルコント」が最初。
懐かしく思いだすが、チョット淋しい。
“Salon de Thé”なる言葉をブログルのシュクレさんで見つけた。
一度訪ねたいケーキ屋さん。ロードバイクでは一寸遠い。輪行か。。。!
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