レンジファインダーから一眼レフ型カメラへ傾斜した日本写真界。
20世紀後半、報道写真の世界では一眼レフは、大活躍(現在もだが)。
とは言ってもプロの世界では、色々な用途に用いるカメラが多種類あった。
静物を撮る、コマーシャルに使う写真、それ等に適したカメラも存在した。
ブローニー判という少し大きなフィルム用カメラ群は、色々あった。
中で関心を持ったカメラが2つ、アサヒペンタックス6X7、マミヤRB67である。
アサヒペンタックス6X7、35mm一眼レフを大きくした形のカメラであった。
マミヤRB67の方は、ハッセルブラッド等の6☓6判一眼レフに似た形態だった。
プロの世界では6☓6一眼レフ=ハッセルブラッドで、信頼愛用されていた。
写真報道では35mm一眼レフが多用されるのは、当然の理である。
畏敬の念を持つ写真仲間(写真を生業としていた)の幾人かが天星した。
僕より一回りも若い人々。言葉、持てない。
国産製機材に拘った人達。僕は、アサペン67もマミヤRB67も使ったことない。
プロ故に撮影した画像は素晴らしい。彼等の言葉、おれ達・・日本人!!
「令和参年(皇紀2681年)11月06日、記」