“芝桜”《襍観 ・/・拈華微笑2》

ピンクの花をアップすると、数種類の花の形・色があることが分かった。
シバザクラ(芝桜) ハナシノブ科(Polemonioideae)
学名:Phlox subulata
白い花。
シロバナの蕾も趣があった。
開花始めも魅せてくれる。花弁の開く所を高速度カメラで觀察したくなる。
小さな世界にロマンが広がる。。。!
撮り方が悪くてうまく表現できていないが、
此の斜面全体が芝桜で覆われると壮観だ。

身近な「森」(里山公園)、大きく分けて異なった景観を楽しめる。
一つは、雑木林の荒れ地を整備してできた公園「ふれあいの森」。
野外宴(親水広場)もできる広場もあって4月始めは花見で盛り上がっていた。
植裁・整備されてるハーブ田、緑の見本園、四季折々花が咲いている。
桜が散って、植裁されたチュウリップ等の花が盛りを魅せる頃、
森入口の斜面に繰り広げられる芝桜が花を見せ始めた(4月9日)。
最近は、斜面一面に芝桜が敷き詰められていないようだ。
色々な土壌作りをしているのかもしれない。
一枝々々に魅せる花をアップで見ると可愛いものだ。
芝桜って花期がながぁ~いのか、2週間も咲き誇っている(4月24日)。

「大和市・ふれあいの森(4月9日)」

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“写真・写真機”《襍囈 ・/・叛逆のろれつ2015/4》


桜前線は、北上し今頃は東北・・盛岡・八戸・角館辺りが開花してるか??
今年は、身辺の桜めぐりをしなかった。5箇所ほどある桜並木。。。
その中の「千本桜」と呼ばれている並木を眺められなかった事は一寸心残り。
あの並木、、、治水工事・樹の寿命もあるか?今年を最後に伐採されてしまう。
最後の桜並木散歩、と思いながら・・・機を逃してしまった。
同様に鎌倉鶴ヶ岡八幡宮参道の段葛もリニューアル中。
愈々以って、人混みを嫌う傾向にある者の行き場が限られてきた??
縁あって訪れる所々でも人混みをさけてる。花を愛でるだけで良いのだが。

桜、樹々・草花・・植物全体で野生種(自生種)に出会いたいと強く思う。
自ずと目的地は限られ、そして訪れるには、時間をも要する。
而して人気の地は、カメラマンが多くじっくりと觀察できない。
そんなこんなで、焦り始めた昨今である。
先週、自室に監禁??されてしまった^^)。
それを良いことに、古き悪友が押し寄せてきた。

日本製カメラの技術性能水準・高さは、世界を圧巻している。
悪友達も“デジイチ・コンデジ”が主流になった。
以前のフィルムカメラを使う面々は極めて少ない。
モノクロームしか使わなかった偏重人もフィルムは使わなくなった。
デジカメ & ソフト、かつての煩雑かつ熟練を要した現像技術。
暗室にこもった時代が懐かしく感じられる。
カラー写真・・・僕の子供の頃は「天然色写真!?!」と言っていた。
そんな昔を知る、仲間諸氏、それぞれが曲者だ。
忌憚のない意見で喧々囂々だが、長いことお付き合い願っている。
来訪、最長老のT氏は、クラシック音楽家のプロフィール写真を撮り続けて。
写真家と言えるが、主職は、音楽プロモーターであった。
仲間の中で唯一現役だったS君も3月で引退した。
彼は、我々にデジカメ進化を示しに来たと言えるかもしれない。
体調不良の見舞いに来たのではなかったのか??
否、カメラを見せて元気づけようと連れ立ってくれたか、感謝せねばなるまい。
持参したユニークなカメラ、その性能に一同感嘆のため息。
試写に出かけたいが、生憎の雨。写真機^^)談義に花が咲いた(^O^)/!!
目の前のデジカメ・・・酔狂なカメラだ。単焦点レンズであるのに??
一連のシリーズは、「スゴイね、でも扱いづらい」って印象だったのだが!?!
AF性能・JPEG画質でも精緻な描写、JPEG撮って出しの安定感は!!!溜息ものだ。
操作性も改善され何とも“凄い”としか言いようがない。
デジタル臭くないソフトなイメージに撮れる。
超高精細と立体感を生み出す3層センサー搭載。
そのセンサーの為に専用設計された50mm F2.8のレンズを搭載している。
1画素単位で色表現が出来る、サビとか影の微妙な色合いを見事に表現してた。
立体感、淡い中間色の表現、シャドウのトーン階調も豊かで、滑らか。
更には、コンバージョンレンズの性能、立体感・シャドウ部の階調も豊か。
最短撮影距離と最大撮影倍率が(22.6cm/1:3 → 29.4cm/1:3.6)へ変わるが!!
マクロ倍率は下がるが、深いボケ味がこれまたいい。
日頃うるさい事を曰わる面々の感想だから驚きであった。
しかし、よくよく考え見れば撮りての技量でもあろうに。
古きレンズも面白い効果を出すことは、分かる。
画質表現の素晴らしさ、デジカメの進化だろう。じっくりと被写体と向き合えばよい。
色や解像力だけでないその場の空気・雰囲気を誠実に魅せる。
昨今、愛好家が好んで使う古き良き「玉」もよろしかろうが、それを超越している。
何より面倒を排除できる。感動の機材の出現だ。
改めて思うは、撮り手の技量。
世に溢れる写真の見苦しさ、よくもまぁ・・・掲載するものだと!?!
コンペとか写真サイト。。しかし・・・日本経済の底力を担っていようか。
大砲が並ぶ姿は圧巻だが異様だ。好きになれない鳥撮影軍団(単に僕のこのみだが)。
機材を駆使することもさることながら、表現力に神経をとがらせない短絡思考。
ある種のデジカメ成熟期に入ったのを実感する機材の出現。
元気に被写体と対峙せねば・・・、
s君、ありがとう・・・・紫陽花めぐりが更に楽しくなった、と脳裏をかすめた。


『SIGMA dp3 Quattro』

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“再び・ヴリーツェンの桜!!”《襍囈 ・/・拈華微笑1》

部屋の窓から見ゆる桜も葉桜になり緑が清々しい、が。。。
戦後70年にして、未だバッシングを受けてる敗戦国!!日本。
更には、政争を仕掛けられてる現状・現況、何とも忍びがたい。
海を挟んだ隣国(2国)だけに悪しき日本軍人が居留していたのか???
而して現今を思うと沖縄に関する報道が偏向してるのでは、と危惧する。

ブログルを使わせて頂きはじめた頃に記した「ヴリーツェンの桜」、
今のブログル仲間、そして若き友たちに新年度^^)始めのブログとして、
再度、紹介し、現況の日本、日本人を深慮したい。

      ※  ※  ※  ※2005/04/21;bloguru投稿※  ※  ※  ※
例年この頃になるとある事を思い出す。
ドイツ北部旧東ドイツ・ポーランド国境近くの町ヴリーツェン(Wriezen)の桜の事だ。

ある時、この町に第二次大戦終焉前後時期に一人の日本人が、活躍していたと知った。
「肥沼信次医学博士」 昭和9年日本医科大学卒業後、東京帝国大学医学部放射線教室を経て1937年ドイツのベルリン大学(正式名フリードリッヒ・ヴィルヘルム大学。現フンボルト大学)の医学部放射線研究所に入り、数々の研究成果をあげ東洋人として初めて教授資格を取得した偉人の足跡。
日本では余り知られていないが、ドイツの小中学校の教科書にも載る医学博士である。
1998年ごろ日本の新聞紙上やテレビのドキュメンタリーでも取り上げられていたが、一般的には知られていない偉人ではないか。
旧制中学時代、アインシュタイン博士に憧れ、キューリー夫人を尊敬しドイツに憧れていた。数学が好きで東京帝大医学部時代「数学の鬼」と言われてた。
1937年春にドイツに向かい、伝染病研究所(初代所長は結核菌発見者のコッホ)に入所した。フンボルト奨学生としてベルリン大学(現フンボルト大学)の放射線研究所で研鑚しその後研究員となった。
博士は、ナチスドイツへの宣誓書を提出させられるが、
「私はフリーメーソン結社に所属したことないことを、ここに宣誓します。」
「私は純潔な日本人であり、日本国籍を有する事をここに宣誓します。」と、
ヒットラー総統への忠誠を示すものではなかった。
当時のドイツではドイツ人でも4代前までユダヤ人の血が混じってないドイツ人であることを証明しなければならなかった。
増してや日本人である。この宣誓文は、博士の意志の強さと勇気を示したものだろう。
 1945年3月18日にベルリン在留日本人に帰国指示がくだったが、博士はドイツ残留を選択した。戦時下で、ベルリンの住居が壊れエバースヴェルデに疎開していた博士は腸チフスが蔓延し、医師のいないヴリーツェンに向かう。
チフスを恐れ誰も行きたがらない地にである。
当時の病院職員の言では、「肥沼先生は、疲れを知らず、いつも笑みをたたえ、
ドイツ語がそれほど流暢なわけではなかった(これは方言の強い事から)が、患者に絶えず話しかけていた。
7人いた看護婦も、5人が死んだ。町にはチフスが蔓延し、近くの難民キャンプでは性病も広がった。
生活物資も薬も不足していたが、博士は多くの人を救った。」
「子供が起きて、何か食べれば、もう大丈夫ですよ。」と親達に言ったものだった、と。」
寝る間も惜しみ医療活動を続けていたのである。献身的な対応が伝えられている。
「ある日、5キロ離れた緊急難民収容所にチフス、マラリア、赤痢患者の往診に出かけたが、若い准看護婦がこの世の光景とは思えぬ惨状に入ることができずにたたずんでいるのをよそに、博士は、自分の身の危険もかえりみずに診察を始め、彼女の方をふりかえり「君の使命感はどうしたんだ。」とやさしく言ったという。
准看護婦は、その言葉に、躊躇していた自分を恥じるとともに、気の遠くなるような感動にうたれ、医療の何たるかを教えられたと語っている。父親の発疹チフスを治療してもらった子供の言では、近在の村にまで何度も往診をしてくれたと、。
一人の婦人の言では「家に来てくれるお医者さんなどいなかった。先生は診察したあと持ってきた薬を全部置いていってくれました。また、肥沼先生は診察料のことを口にしませんでした。うちだけでなく、他の家ででもです。人を慰め、握手を求め、薬を運んで救助を急いでくれて……。すべてが狂乱・興奮状態であった時代にですよ。本当にそういう先生がいたのかと、今の人には信じられないでしょうけど、大変素晴しい尊敬できる方なんです。」
博士が治療した部屋が、まだそのまま残っていて、婦人は、肥沼博士のことを、子々孫々伝えていくという。
異国の地で伝染病センター医師として、働き、薬が不足すれば、荷馬車を繰り、すし詰めの鉄道に乗り、または徒歩で、分断べルリンの危険地域や米軍駐屯地から命からがら薬を入手してきた。
ヴリーツェンの人々は肥沼博士が異国の地におりながら家族の事を全く話さなかった事で、家族が居ないものと思っていた。
病魔に倒れた博士は、最後に「日本の桜は大変綺麗です。みんなに見せてあげたいな。」であった由。
肥沼博士自身もチフスに感染したのだが、博士は、看護や薬を使う事さえも拒みヴリーツェンにて1946年3月8日に死去された。
旧東ドイツ時代は秘密警察の問題も有り公に賞賛する事は出来なかったが、
その墓は病院の同僚や村民によってずっと大切にひっそりと守られてきた。
80年代以降、肥沼博士に対する関心が高まり、1993年には、市役所の顕彰版にその名前が彫られ、1994年には名誉市民号が贈られ、日本の遺族にも連絡が取れたのである。
1994年7月1日には、肥沼博士の記念碑の除幕式が行われた。
ドイツの代表的新聞FAZ紙で13面の4分の1ほどを割いて紹介している。
統一ドイツになって肥沼博士の話は知られるようになり、肥沼博士の兄弟が墓参した折、日本の桜の苗木の送呈、寄付で桜の樹が増え、今や、町中に桜が見られる。これらのことにはヴリーツェン近郊在住、画家の横尾龍彦氏の尽力が大きい。更には、博士の功績を称えて1991年より記念柔道大会「肥沼杯」が命日の3月にあわせて開催されている。参加国はドイツ、ポーランド、日本、10歳から12歳の自由参加で、大会初日には博士の墓前に献花し、詣でている。
肥沼信次博士はヴリーツェンの人々の心の中に生きているのである。
前途有望な若い医師が、37歳で生涯を閉じた。戦争禍の悲惨さを思うのです。
今の季節になると、当地を今一度、訪れたいと思うが機会を持てずもどかしい。
今でも独逸の大学教授資格は、厳格であり、その資格たるや威厳ある。
博士の研鑽された時代は、現在と比較には成らないほど教授資格は崇高な地位であった。30代なかばで教授資格取得、とてつもない業績だった事がわかる。
博士の人間性・・・日本人として誇り、将来に向けても語り継ぐべきであると再度、掲載した。

**参考HP**
Home ホームページ - Lebensbilder 日独交流の群像 - Ko(y)enuma, Dr. Nobutsugu 肥沼信次博士(1908-1946), Arzt 医師
http://www.das-japanische-gedaechtnis.de/lebensbilder-a-z/koyenuma-dr-nobutsugu1908-1946-arzt.html
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“草花童戯”《襍囈 ・/・古往今来363》

草花童戯・・・なんと素朴なことか。心もかくありたい。
はるか昔のひな人形遊び。
こうした遊び心、孫世代でも継いでほしい。


里山・公園と呼ばれる所では、植物を摘むことは禁止されている。
それがゆえか??僕等の子供時代にあった遊びが姿を消した。
遠ぉ~~~い昔のこと
童子達は、野山を駆けずり回り、池・小川で小動物を捕まえては観察してた。
童女達は、草花を使って色々な造形ぶつを作って遊んだものである。
童謡と呼ばれてる歌の歌詞にその光景が浮かび上がる。
童謡自体、今では聞く子供も少ないか??

本土より遠く離れた島々、八重山諸島。
中に小さな竹富島がある。その地に伝わる葉っぱ遊びは、素朴そのもの。
ワラミゴで作った鶴と亀、アダンの葉で作った魚、星ッコロ(星形の玩具)、
土産物になったと聞く「ハブグワー」・・アダン葉で編んだハブの口に指を入れ、
ハブのしっぽをひっぱると!!指が抜けない。いたずら玩具。
今でもつくられているだろうか??

ひな祭りが終わって、桜の花見も盛りを迎えた。
各地から桜の便りが届く、ブログルでも賑いでいる。
そんな時、昔知った「草花童戯」を思い出した。
身近な里山事務所においてある亀をも思い出した。

八重山諸島・・与那国島、素朴な「和の感覚」を思える地。
僕の生まれる少し前、日本は敗戦国として再出発をした。
あれから半世紀を以って、一人前の国になった!?!
軍国主義になど間違っても成らないと信じきっている。
国土最西端の八重山諸島、日本国土であってほしい!!
こんなことを思うのは、首都圏人の身勝手な考えか??
沖縄県を傍観していて思うこと。


3月31日誌「懐古」

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“野草・春に思う”《襍囈 ・/・古往今来362》

《浦島草》

《鶯神楽》

《紅葉苺》


《黄砂が来る頃の海岸風景!?!・・風の強い昼下がり》



里山に春が来た。かわいい花諸君に学ぶ。
気候の変化、寒暖の変化、己にあっては、何か落ち着かない。
「古往今来」等と称して昨年の4月より植物日誌をつけてみた。
途中、紆余曲折あるもほぼ日誌を書くことができた,が内容はパクリ??
極力園芸種を避けたは、人間の都合で消えいく自生種を危惧した故。
ちょっと、いただけない。寂しい等と言っておれない。
温暖化、環境の悪化、地球内での人間の驕り、もっと謙虚に自然と対峙すべきだ。
文明も良いが。。。しかし野の植物に見習う、否、教えられることが沢山ある。
咲くも無心、散るも無心、花は嘆かず、今を生きる。
癒され、教えられ、自然を見ていると・・人間界の争いに呆然とする。

「和を以って貴しとなす」(聖徳太子、十七条憲法より)
戦後70年の節目に思うた。平和を尊ぶ日本国家基本法の冒頭に、
大和の国・伝統に根ざす「和」を尊ぶことを序に示すべきと希したい。
こんな事を思い、せめて身近な所から訴え、標榜したい。
主義主張は、良としても、物事の道理を真摯に思考すべきだ。
誹謗・中傷、道理に乖離することはすまい。
負の財産!?!が、、、見えて来た。
「勝てば官軍、負ければ賊軍。」
半世紀の間、己に問うてきた事だが、「道理に非ず」と勝手に結語した。
「喧嘩両成敗」である。
昨今の国家間の争いを眺めてのことでもある。
「大虐殺」「慰安婦」
「原爆投下」「東京大空襲」・・「大東亜戦争」
「・・・・国」
以上のもんごんを真摯に思うと、
そろそろ日本の意思・意向をはっきりと他国に示す時と思って止まない。
「星辰の如く、急がず休まず人は皆、己が負い目の周りを回れ。」
ゲ-テの言葉は、深淵だ。。

na.tu.ra non fa.cit sal.tus
自然は、飛躍せず。こんな哲理をも思う。

良知良能・・・これで決まりだろう。

ブログルを使わせて頂き始めた頃、投稿文の中に記した事。
『襍は、雑の旧字体。崋は、山の花の意。
雑花とは天台仏教教義にもある、
雑な花と言うなかれ、真摯に生きるものとしれ。
たれも、おごりたかぶることなかれ。』

また一つ歳を重ねる。そんな時を前に脳裏をかすめる事々。


3月30日誌「泉の森 & 鵠沼海岸」

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“石菖”《襍草 ・/・古往今来361》


セキショウ(石菖)  ショウブ科(Acoraceae)
分類:草 学名:Acorus gramineus Soland.

クロンキスト体系ではショウブ科(新エングラー体系ではサトイモ科ショウブ属)に属する。
小川の縁などの水辺に自生するが、常緑なので庭などに植えられることも多い。
この根を乾燥したものは石菖根と呼ばれ、漢方薬として利用される。
葉は平滑で長さ30-50cm、幅2-8mm。花は3-5月に見られ、花茎は10-30cm、
花序は花時には長さ5-10cm、斜上または直立する。果被片は広倒卵形で淡黄緑色。
本州・四国・九州などで見られる。
低地~山地の渓流畔、小河川、水路、湧水地、山間の溜池畔に生育する。
セキショウ群集の標徴種。
根茎ははぼ円柱状、径5~10mm、丈夫で硬く、香気を持ち多節、
分枝して横走し群生をつくる。
葉は根茎の先端から2列に十数個はかま状に剣状葉を根生し、
長さ20~60cm、幅5~10mm、特有の香気がある。
葉身基部は淡紅紫色を帯び、上方は両面ともに中央脈がなく平滑、
光沢があり濃緑色、全縁、鋭尖頭である。
花期になると葉間から扁3稜形の花茎を出し、上方に肉穂花序をつける。
苞葉は剣状で葉と同形、花序の基部から斜出する。
肉穂花序は狭円柱形、淡黄色で長さ10mm程度、
表面に小花を密生し下方から順次開花する。
小花は両性花で小さく、径約2mm。花被片6個、外花被片は扁円形、
内花被片はやや方形、長さ約1mm、円頭。
雄蕊6個、葯は黄色。雌蕊1個、子房は六角扁円形で、高さ葯.2mm。
セキショウにはアリスガワセキショウ、マサムネセキショウ(斑入り)など、
古来から園芸品種がある。
また、根茎は鎮静、健胃、腹痛、婦人病の薬用として利用される。
古くは「しょうぶ湯」はセキショウの葉を使ったが、
ショウブ栽培が普及した為ショウブにとって変わられた。


3月29日誌「大和市・ふれあいの森」

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“金瘡小草”《襍草 ・/・古往今来360》


キランソウ(金瘡小草) シソ科(Lamiaceae/Labiatae)
学名:Ajuga decumbens Thunb. ex Murray
別名:ジゴクノカマノフタ(地獄の窯の蓋)
英名;Creeping bugleweed

路傍・山麗等の岩の多い草地にはえる多年草。全体的に縮れた毛を持つ。
「地獄の窯の蓋」、地表面に張りつくように葉と花をびっしりと広げる故。
又、薬草としても知られ、地獄の釜に蓋をして病人をこの世へ戻す事を言った??
生薬としての名前をキンコツソウ(筋骨草)と言う。
葉の腋に1cmにも充たない濃紫色の唇形花を数個つける。
上唇は小さく、下唇は大きくて3裂し、中央片が大きい。
花冠が淡紅色の品種をモモイロキランソウと言う。
薬草としての効能、鎮咳、去淡、解熱、健胃、下痢止め、化膿止め。
全草を乾燥させ煎じて用いる。
小さく地を這うように生える植物、人間等の踏み付けに弱い!?!
人が歩くような場所では、見たことがない。
植物観察等で擦り傷を負った時、キランソウの葉を揉んで傷口に塗ると効果がある。
有用な時、近くにあればよいが、実際には、中々見つからない??

3月28日誌「大和市・泉の森」

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“紫雲英”《襍草 ・/・古往今来359》


レンゲソウ(蓮華草) マメ科(Fabaceae)
学名:Astragalus sinicus
別名: レンゲ、ゲンゲ(紫雲英)

旅先の田園を散歩していて目に止まった、正しくマメ科の花。
首都圏では余り見かけなくなった気がする。
花言葉に「心が和らぐ」とあるが、春めきてうれし、って感じた。
茎先に紅紫色の蝶形をした花が輪になってつく。
花にはそれぞれに萼がついている。
葉は奇数羽状複葉、 小葉の形は楕円形。
(鳥の羽のように左右に小葉がいくつか並び、先に1つの小葉がついて1枚の葉を構成)
以前は、各地で栽培され、また野生化していた。
名の由来は、輪になって咲く姿をハスの花に見立てた、正式和名は、紫雲英(ゲンゲ)。
春の若芽をおひたしに、花をてんぷらにするなど食用にもした。
田んぼのあぜ道などにもたくさん咲いていたのだが、、、、。
畑にレンゲソウを栽培するは、根に根粒バクテリアが寄生して、小さな丸いこぶを作る。
これが空気中の窒素を固定し自然の肥料としてくれる昔からの自然農法であった。


3月27日誌「伊東市・池」


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“片栗”《襍草 ・/・古往今来2+358》


カタクリ(片栗) ユリ科(Liliaceae)
学名:Erythronium japonicum Decne

高さ15cmほどの茎の先に、径5cmほどの紅紫色の花が開く。
葉は淡緑色で表面には紫色の斑紋があるが生育地によって全くないものもある。
種子にはエライオソームと呼ばれるアリが好む物質が付いており、
アリによって運ばれ散布される。春を告げるスプリング・エフェラメルの1つ。
昔は片栗粉を、この花の根から作っていたので花名が付いた。
若葉は、味のいい山菜だが、余り知られていない。
雨の日は花を閉じてしまうし、育つ環境を選ぶ花でもある。
初夏を思わせるような暖かい日が多くなると、花を咲かせる。
庭等に移植しても花が咲くようになるまで7~8年かかる。
それまででは1枚の葉だけが出るだけ。庭で咲かせるのは根気が必要である。
北海道、本州、四国、九州に分布、山野に群生が見られる。
りん茎から良質のでんぷんがとれるため片栗粉の材料とされたが、
現在市販されている片栗粉はじゃがいもやとうもろこしのでんぷん。

※先年、No.2(4/2誌にも掲載していた)※
3月26日誌「大和市・泉の森」
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“三角草”《襍草 ・/・古往今来357》


ミスミソウ(三角草) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Anemone hepatica L. var. japonica (Nakai) Ohwi
別名: ユキワリソウ(雪割草)

花名は、3つのとがった葉に別れていることから付いた由。
落葉広葉樹林の林床に生える多年草。花径は、1.5cm程度とかわいい。
花色は白色・淡紫色・淡青色・淡紅色と様々だが、画像の色が好み。
中部地方以西~九州北部で自生が見られる。
絶滅危惧種でもある《準絶滅危惧 (NT)》日本固有の花。
雪割草という名前、サクラソウ科のユキワリソウでもある。
オオミスミソウ、スハマソウ、ケスハマソウもユキワリソウと呼ばれる。

3月25日誌「大和市・泉の森」


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