大都会の目抜き通りを歩いていると ウインドショッピングか、足早に行き交う人が大半。 夕暮れも近い時間帯、どことなく気ぜわしい。ビルの屋上を見上げると、 そこには、綺麗な空間があった。雑踏・・喧騒・・など耳に入らない。知人に不幸あり、義姉の入院、 忘れさせてくれた、一瞬だった。
湘南の里山で紅葉・黄葉が始まった。 代表的な紅葉等は、色づき始めて入るがまだまだ。 一般的には、葉の色を鑑賞!?!するのだが ぼくは、樹幹、幹の美しさをも楽しみに散策している。 黄葉の代表は「ハウチワカエデ」だろうが、 好んで探すのは、「ウリハダカエデ」 くねくねと縦じま模様が入っている幹と葉の風合いが好きだ。 今年は、まだそのコントラスト・風情が見れない。 今は、芒と赤い実をつけた「もちのき」が綺麗だった。 ぼくの癖で近づいて見てしまう。 果実を見ていて子供時代を思い出した。 この木の樹皮を剥ぎ取って水につけ腐らす。 それを石臼で突いてゴム状にした。 それを木や竹棒の先に塗って、昆虫等を捕まえた。 粘着性が強く、かつては?「とりもち」と呼び 小鳥を取るのに用いられたが、今は、禁止されている。 もちのきを「鳥黐の木」と称した所以か。 こうした方法も子供達は、知らなくなってきた。 語り継ぐ、遊びの知恵・・などと回想していた。 もちのきの果実は、鳥の好物でもある。散歩の途で、保存容量がいっぱいになり、 果実を撮れなかった。借り物の画像です。
もの凄い昼間であった。 早朝は、強い雨が降り、 昼頃には晴天!! だが突風のような強風が時折襲ってくる。 台風の置き土産のような天候だった。そんな中で、北海道では竜巻らしい 大きな災害があった、と報道された。自然の脅威!!我々は、自然に対して真摯に接するべきではないだろうか。 地域気象が、予測できる時代になっているものの、予測不可能なことだったのだろうが・・・。被害にあった方々にお見舞い申し上げたい。自然は、凄い!!
今年の夏は、夏らしい日が続かなかった。 海岸近くの地元人!!も心なしか日焼け色が薄いように見える。 遠方より来る友人と海辺を散歩していると、東の空に綺麗な虹が現れた。 9月の初めというのに、何所となく暑さを感じない。歩く者にとっては、ありがたいが^^。 サーファーに聞くと、「海水は、はや秋を思う」であった。 この時の虹、来年の夏への掛け橋、と言わんばかりに見事な半円を見せてくれた。
自然界の不可思議な現象は、色々ありましょう^^。 偶然のであいもありますね・・・。何気なしに水平線を眺めていたらでかい!!空母?と思える光景を目にした。 帰宅して、よくよく見ると・・・これって蜃気楼ではないか・・・? 身近なところでも見れる(・_・)...ン?ジャン!! もっと観察しておけばよかった^^。気になって、以前の画像を見てみると・・・らしきものを今一枚、見つけた(コメントに^^)。
夜の海岸を通ると、波が、青白く見える瞬間があった。何気なしに綺麗な光景を見ていたのだが、辺りを思うと不思議ではないか。真っ暗な中で波の周辺だけがスポットを当てたようにとても明るい。 5〜6月頃にこの地では見れる現象だ。見慣れていて、これが「夜光虫」であることを忘れていた。甲殻類の専門家であった故、酒井 恒 先生は、相模湾は、世界でもまれに見る海洋・深海生物の宝庫であると語っておられた。海水浴場としては、赤潮を毛嫌いするが、生物学的には、この赤潮が、神秘的な光景を見せる、と教えてくださった。 「夜光虫」は、英名でも学名でもノクチルカといい、原生動物鞭毛虫類の仲間で、世界各地の沿岸や内湾海域に広く見られる。大きさは約1ミリの半透明な球形で、細かい溝と紐状の鞭毛(触手)を持っている。この触手を使い体を動かしエサを捕まえる。夜光虫はバクテリアや小型の植物プランクトンを食べているとか。時には甲殻類の幼生やカタクチイワシの卵なども食べるといわれ、かなり獰猛(どうもう)な食性をもっているのだそうだ。 この夜光虫は、分裂によって増殖し、春から夏にかけて増える。増殖しすぎて赤潮となる。それを鎌倉では見て取れる。この赤潮には毒性はない。赤褐色の赤潮が、淡いピンク色をした夜光虫の集まりであることは、地元の人々にはあまり知られていない。 昼間、この赤潮を見た。海面に油の帯びのように広がり見た目には汚らしい。だが、夜間に浜にでると打ち砕ける波頭に光る夜光虫の幻想的な青緑色の光を見ることができる。まさに「美」、神秘の世界である。夜光虫は、発光細胞を持ち、刺激を受けると細胞から発光物質を分泌し、これが酸素と結合して光る。刺激を受けたときだけ発光する。それ故、波たった時に発光しているのである。その光景は、実際に見た人では分からないほど、神秘的。今頃の鎌倉海岸線を夜・通るときは必見で、余り知られていない、夜の風物詩と思っている。 日本各地の沿岸で見られると聞いています。そんな機会を持ったかたあらば、掲載してください。
画像はexcite newsより拝借 5月4日が、緑の日になるとか。その緑の日に引越しをした。新たな生活環境、毎日ではなくまた、定期的ではないが、航空機の騒音が半端ではない。 諸々の事情で、書き込みが遅くなってしまったが歴史的なことを記してみる。年頭の初詣で知られる、東京明治神宮に、「代々木」という樹がある。正参道を北に少し入った所にある樅の木がそれである。高さ約17メートルで、脇に由来を記した高札があるのですぐわかる。明治神宮ホームページ等によると「代々この場所にモミの巨木があったことから、このあたりの地名が『代々木』と呼ばれるようになった。明治以前は、この場所は原野で大きなモミの木が立っていてとても目立ったことから旅人の目印となっていた。江戸から明治にかけて生えていた「代々木」は、とても大きく、「明治神宮御境内林苑計画」によると、枝の広がりが最も広いところで約54メートル、幹まわりが10.8メートルもあったといわれている。 江戸時代には井伊家の下屋敷があり、あまりに高く、江戸城が丸見えなので、登ることは禁止されていたらしい。黒船来航の際には、遠めがねを持った見張りが登って黒船を監視するのに利用したらしい。歴史の生き証人(証樹?)であった。現在でも「代々木」は代をかえても明治神宮の森に息づいている。鬱蒼(うっそう)と樹木が茂り、野鳥たちが棲む代々木の森(神宮の森)。この森は人工林である。明治神宮の造営・この地が明治神宮の敷地に決定したのは大正4年で、その当時はほとんどが草原と田畑ばかりの土地であった。100年後の森を想定した壮大な計画が立てられたのである。当時から「森の掟」がある。「敢(あえ)テ人為(じんい)ノ植栽(しょくさい)ヲ行ハスシテ永久ニ繁茂(はんも)シ得(う)ヘキモノタルヲ要ス」明治神宮の森は「明治神宮御境内林苑計画書」にあるこの言葉により幽邃森厳(ゆうすいしんげん)な森となったのです。この先人たちの残した掟には、「落ち葉の清掃は参道や建物の周りだけに限り、樹木の養分になる森の中の落ち葉はそのままにしておくように」といったことまで記されています(明治神宮HPより)。 神宮の森の環境は、都会を忘れさせる、心のオアシスと言える場所かもしれない。自然環境の大切さを思うとき、100年あまりで立派な生態系(生きた本物の森)が造られる事を改めて思う。 自然界のバランスが崩れている昨今、人間は、自然と共存する手立てを早急に処置すべきだろう。自然環境破壊が言われて久しいが、この明治神宮の森は、人間が出来る手立てを示しているようだ。歴史的に色々と差し障りもあるだろうが、「代々木の森ものがたり」にあるように、この森は、大都会の中心にあって、生態学的構造、または、秩序と言えるか、即ち、生産者としての植物、消費者の動物、還元者としての菌類、これらが共存できる状態(食物連鎖)、生物社会でのバランスを崩さない生存環境を守る為に、自然の多様性、生物社会の多様性を残すことが自然保護の基本理念である事を、示している。日本人が行った(今現在において)自然環境造りが、明治神宮の森であろう。故郷の樹による故郷の森、樺太から朝鮮、台湾に至るまで様々な土地から14万本の献木を得て、土地の能力に応じて、椎の木(ブナ科の常緑樹)、楠木(クスノキ科の常緑樹)、タブの木(クスノキ科の常緑喬木)、樫の木(ブナ科の常緑緑喬木)を中心に、温かい所は、台湾のものを、夏の暑さに弱いカラフトから木々は、つっかえ棒として、本命を守る様な形で植樹し、更には湿った所にはケヤキ・シカラシ、林床には、ヤブラン、シュンラン、青木、ヤツデ、榊のような低木が混じって、本物の森が出来た。この森は今や防音・集塵・空気の浄化機能を持ち、火事には火防林・地震には直行林といった環境保全機能を果たし、人間が、造った森の象徴とされる。長い年月を経てその土地に適した環境が自然淘汰的に形成されている場を、最小限の負担に抑えて開発するのは人間に課せられた義務とでも言い得ようか。都会の形態を示す見本が、神宮の森そのものだろう。 この騒音環境の中で住民・市民・行政が一丸となって「緑の創造」を模索すれば、生活環境は、将来的には良い環境になっていく事は間違いない。30年後を見越して緑濃い場所にしていくべきと思うのである。
今年も、竜宮城から・・アカウミガメが湘南の浜に来てくれました。産卵をしに。産卵の時、目から涙を流してるように見えます。以前は、近づいて観察させてもらったのですが、次男が小学生の頃に見せてやろうと・・・でもそこで子供に注意された。「お父さん、亀がかわいそうだよ・・泣いてるじゃん!!」絶句でした。以後、遠くから浜にきた亀を見るだけに・・・。次男は、魚が好きで、大学は、海洋学部に進んだ。深海を泳いできたのか・・・貝が?付着してます。 アカウミガメはウミガメの中でも大型の種で、甲羅の大きさは大きなもので1メートル以上、重さは180キロまで成長し、大きな頭と強い顎が特徴です。一生を通して肉食で、軟体動物(巻き貝や二枚貝)やカニ、ウニ、海綿などといった海底付近にいる動物や、海中を泳ぐクラゲなどを捕食しています。このアカウミガメが、はるか彼方から回遊してきたのは、間違いありません。ウミガメは、首を引っ込める事がない。出来ないか!?精悍な顔をしてます。 国際自然保護連合(IUCN)の種の保存委員会(SSC)ウミガメ専門家グループによると、アカウミガメは絶滅危惧種(EN)に指定されています。静かに見守って上げたい。それと気をつけてほしい事、ビニール袋は捨てるのを止めましょう。 亀のためだけではありませんが、、、。以前、浜に亀の遺体が打ち上げられていました。近くの水族館に運び剥製にと思ったんですが、調べてみると、ビニール袋を幾つも飲み込んでおり、窒息死だったようです。心痛みますね、人間の不注意で・・・。
「関東たんぽぽ」その2.今住まい居る場所の近くで宅地開発が行われている。恐らくは、0.3ヘクタールに満たない開発地であろう。色々画策するものだ。全体では、大規模の開発だが、小さく分けて、異なる企業が開発している。然し、関連業者であることは、明明白白なのです。この0.3ヘクタールには重要な意味を持つ。都市計画法の中に「表土の保全」(法33条1項9号)が義務付けられているからです(大規模開発のみ、仔細は略)。 この表土の保全とは、山等を削るとき、削り取った表土30センチ以上を整地後、元の場所に戻せと言う事。この経費は、おっきい!!かなりの利益低下でしょう。法の盲点(異業者、序々なる開発)で逃げて居る。 昨年までは、今の季節、あたり一面に野草が咲きほこっていたが、殺風景な住宅地になってしまうだろう。庭木を植えても生育が悪い。表土が死んだ土であるからだ。最も重要な地表近くの良質な土では地表下30cm付近までは微生物のかたまりのようなものである。岩石が風化して出来た土壌・植物の落葉や動物の排泄物等が溜まって土を形成している。この地表の土中に、俗に「一踏み一千匹」と言われるダニが生息している。つまり、人の足跡位面積、地下30cmは分解者としてのダニ(血を吸わない・ササラダニ類)が生息できる大切な所である。新しい住宅地造りが引き起こす画一化は、地下数メ−トル・数十メ−トルの地下であった所が表面にでる。微生物がいない死んだ土を表面に出すことを危惧した植生学者の声が15年かかってようやく法制化された。昭和54年の4月に都市計画法に表土の保全規定が盛り込まれた。新しく開発される所では、元の表土を戻す事が義務づけられたのである。但し大規模開発に限って。自然の中にあって人間・動物・植物・微生物の最低限度のバランス、そして、自然の多様性が保たれなくてはよい環境にならないだろう。開発規模の問題ではなく、個々の家庭レベルでの問題だと思う。環境に留まらず、自分自身の小さな環境保全、心したい。関東たんぽぽは、環境指数のバロメーターですね。興味深い研究結果がある。関心あれば、見てください。 http://nh.kanagawa-museum.jp/tobira/7-3/katou.html