《襍・/・囈 “写真機!?!”❖’22-107》

《”婚姻生活より長く付き合っているもの"❖’22/11/30》

現像~焼き付け、こんな事書いても分る人は少なくなった。
子供の頃、初めて手にしたレンジファインダー35mmカメラNikonSP&S3。
今にして思えば、子供が使うものではなかった(父が仕事で使っていたカメラ)。
今では死語だろうが”写真機”と呼んでいたカメラ。一眼レフ機の前時代。
風呂場・脱衣場を改造??して暗室にして全紙大までは、自分でプリントしたものだ。
写真機などと言われていた頃、カラー写真の事を”天然色写真”とも呼んでいた。
青年時代、仏像写真・植物写真を好んで撮っていたが自由自在に今は撮影できない。
カメラ自体もフィルムカメラからデジカメに移行したと言って良いのだろう。
時代とともに進化しているカメラ機材だが、便利になりすぎた、と老人は思う。
贅沢なことだが、もっとシンプルなシステムで安価なものが出来ないだろうか。


今日は、カメラの日だそうだ!!!
1977年(昭和52年)に小西六写真工業が世界初の自動焦点カメラコニカC35AFを発売した。
自動焦点(オートフォーカス)カメラ「ジャスピンコニカ」なんて呼ばれていた。
高度な撮影技術を不要としカメラの普及に大きく貢献した。「カメラの日」の所以に由。
スマホの普及でカメラを別に持たなくてもすむ。でもこだわった機能を持つ、それがカメラ。
カメラはカメラであって、スマホのそれは、カメラ機能的装備だとおもう。

「令和肆年(皇紀2682年)11月30日、記」

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《襍・/・囈 “黄葉・紅葉 '22(8)”❖’22-106》

《”泉の森・・散歩??"❖’22/11/26》

時間的に余裕がなく、紅葉・黄葉鑑賞に出掛けられないでいる。
タイミングが悪い。紅葉・黄葉は、晴天の方がよく似合うのだが。。!
出掛ける折には、電車の一駅間を遠回りだが森を通って行く。
今年の11月は、天気が余り良くなかった、と感じている。
それでも里地・里山散歩は、気持ちいい。
「令和肆年(皇紀2682年)11月29日、記」


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《襍・/・囈  “社会を思う!!” ❖’22-105》

横浜港夜景。ランドマークタワー周辺。



《”夜景・・世の事象"❖’22/11/27》

異国の友だちが、観光と休養を兼ねて日本各地を探訪している。
新嘗祭の日に、新宮にいて神事を見て感動したと連絡をよこした。
日本の伝統文化を新たに・・再発見していると。更に旅先の情報をきいてきた。
仲間(異国人達⇔西欧人)の感覚がいい。日本人に先導・案内して欲しくない、と。

暫く前、横浜で30年ぶりに仲間・学友が一同に会して議論を戦わせた(同窓会??)。
夜、宿泊した場所から見下ろす景色が、今の日本そのものか??って思った。
光にごまかされて、影が余りにも深く沈みこんでしまっている。闇が大きい。
政治の世界で、統一教会関連の規制・法制が言われているが、骨抜き法案だ??
創価学会等、宗教団体問題の本質が問われるのではなく、ザル法、、、相変わらずだ。
議会人の見識を疑う。”もりかけ”と言われた問題処理となんら変わらないッて思う。
今の日本社会は、マスコミ報道主導で右往左往してよいか???危惧するばかりだ。
異国人達が、一同に驚いていたのが日本国内でのマスク対応、コロナ対応。
この問題でも、利権がうごめいているように聞こえてくる。マスメディア不信だ。

「令和肆年(皇紀2682年)11月27日、記」




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《襍・/・囈 “11月23日とは!!”❖’22-104》

稲穂!!
最近里山等でよく見かけるようになった、天日干し!!
日本の伝統的魅せ方。まさに”用と美”。
今年、献上米を作る場になった、福岡県那珂川市南畑。
田植え装束を身にまとった “早乙女”と呼ばれる若者たち。
神奈川県湘南地区で作られているブランド米 ”はるみ”
《”新嘗祭・勤労感謝の日??=新・旧"❖’22/11/23》

勤労感謝の日=新嘗祭;第二次世界大戦後に勤労感謝の日と変化した。
勤労感謝の日「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」とある。
1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日のひとつだが。。。!
戦前はこの日を新嘗祭と呼び、宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えた。
新嘗祭と呼ばれていたのは、1873(明治6)年から1947(昭和22)年までの祭日。
天皇が新穀を天神地祇に勧め、親しくこれを食する祭儀と。
現憲法では、皇室典範から儀式は除外されたが各地の神社で新穀感謝の祭事は続いている。
新嘗祭は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的とする宮中祭祀の一つ。
新嘗祭は「しんじょうさい」とも言われ。「新」は新穀を「嘗」は奉ることの意。
収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄を祈る祭儀。
現在、このお祭りは毎年11月23日に、宮中を始め、日本全国の神社で行われている。
宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉り、その新穀をお召し上がりになる。
神嘗祭も新嘗祭も神事、宮中行事でもあることから一般人にはあまり馴染みのない行事。
天皇の即位後、初めて行う新嘗祭を大嘗祭と称する。
神宮では神嘗祭と称して新穀が奉られる。
古来より日本では稲作が生活の基本になってきた。”黄金の国ジパング”と言われた所以である。
日本各地で初穂の収穫を祝い感謝する「収穫祭」や神社では「秋季大祭」が行われている。
収穫を祝い感謝する気持ちは、日本人の心の中に根付いていると行っても過言ではない。
初穂(新米)をいただくときは、古来より続く伝統ある行事と重ねてもよいと思う。
日本人は2000年以上の歴史のなかで、天皇陛下から国民に至るまで神を祀って来た。
五穀の豊かな稔りを祈る。稲の育成周期が日本人の一年といえる。
農耕が生活の総てであった時代、豊作を祈る事は国家安泰、国民の繁栄を祈る事であった。
祈年祭は国家規模で執り行われていたようだ。
伝統的行事を未来につなげよう!!米がパンに取って代わられた様に感じる昨今ではあるが、
米は日本人に不可欠なものでは!?!稲田公園、棚田等々、日本の原風景でもある。
米文化は、もっともっと語られて良いと思うし、日本の伝統行事をもっと盛り上げたい。
11月23日(木・祝)は、勤労感謝の日だが、「新嘗祭」と併記してみては!!お祭りとして。
現在でも「新嘗祭」の為に、献上米(献穀米)を作っている(皇室に献上する)。
毎年11月23日に皇居で行われる重要儀式「新嘗祭」に献穀米として献上するお米。
新嘗祭での献穀は明治25年(1892年)からはじまり、宮中献穀事業とも呼ばれ、
全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。
その献納される新穀(新収穫した粟やお米等の穀物)を天皇陛下御自らが神様にお供えし、
五穀豊穣に感謝祈願をする重要な宮中祭祀の一つ。
全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。
その製法には細かい規定があり、厳格な管理のもとで栽培された最高級のお米。
仔細は別にして、このような伝統的な祭祀を広く知らせるべき、と思って止まない。

※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

お米に関しては、神奈川県平塚生まれのブランド米「はるみ」がある。
平成28年度の日本穀物検定協会(穀検)で最高評価となる「特A」の評価を受けた。
コシヒカリとキヌヒカリの交配種で平成27年2月、県水稲奨励品種に決定。
全農営農・技術センターは、品種改良に約10年を費やしてきた。
神奈川県では初めての特A米。甘み!!を持つ、とっても美味しいお米だ(私感)。
全国各地で栽培されてる地域米種、競争ではなく地元として誇りを持って食したい。

「令和肆年(皇紀2682年)11月24日、記」

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《襍・/・囈 “秋に見えた花”❖’22-103》

サカタのタネグリーンハウス前広場からのフランス庭園噴水。
原種シクラメン  サクラソウ科(Primulaceae)
秋咲き種学名;Cyclamen hederifolium(ヘデリフォリウム)??

フユザクラ(冬桜) バラ科(Rosaceae)
学名:Prunus x parvifolia cv.Parvifolia
冬に咲く桜、ジュウガツザクラ・カンヒザクラ・カンザクラ・コブクザクラ等がある。
サカタのタネグリーンハウス。




《”紅葉・黄葉の下に色づく花々"相模原公園❖’22/11/06》
麻溝公園の隣に県立相模原公園があり、中にサカタのタネグリーンハウスがある。
このグリーンハウス(温室)の熱源は、隣接の相模原市南清掃工場のごみ焼却熱を利用している。
この循環システムは、見習うべきシステムといつも感心しながら散歩している。
この季節、相模原公園に咲く花が楽しみで出掛けている。

「令和肆年(皇紀2682年)11月22日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(7)”❖’22-102》

麻溝公園内にある小動物園入口(利用している駐車場に隣接)。
公園入口脇道の黄葉(結構進んでいる!!)。
散歩道にあったケヤキ??樹皮。
グリーンタワー、周りの環境に溶け込んできた。
展望台・38mの展望室からの相模原公園の林。
麻溝公園の樹々&遊び場。
芝生広場。テントがみえるが、時代的に隔世の感がある。
真ん中奥に見えるのは、丹沢山地の大山。
右に見える白い建物は、女子美大の建物。
麻溝公園から相模原公園に通じる道で、うさちゃんの散歩に遭遇。


《”色づき始めた公園の樹々"麻溝公園❖’22/11/06》

神奈川県相模原市南区にある相模原麻溝公園は、時折散歩する場所。
当日の目的は、隣接の相模原公園に咲く花が目的だった。
が、駐車場の問題で麻溝公園に駐車。麻溝公園を通って相模原公園に行く。
麻溝公園には、グリーンタワー(展望台・38mの展望室)があり眺めがいい。
そしてこの公園に足が向くのは、関心ある植物が幾種類あることによる。
展望台から見ゆる景色。当日は、少し早かった。
「令和肆年(皇紀2682年)11月20日、記」

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《襍・/・囈 “蝶”❖’22-101》

ムラサキシジミ(紫小灰蝶)シジミチョウ科( Lycaenidae)
学名:arathura japonica 
《”初めて気づいた小さな蝶”泉の森❖’22/11/05》
ムラサキシジミ(紫小灰蝶);
翅(はね)を広げても3-40mm。翅の表が青紫色で周囲を黒褐色で縁取る。
ムラサキシジミは、薄暗い照葉樹林の中の低い所の葉等に止まっている由。
その姿は、日光浴している風に見える。又、チラチラと飛ぶ姿も可愛い。
アラカシ、森のなかで極普通に見られる樹だが、その葉を好んで食するらしい。
アラカシは、高樹。それ故、見なかったか??偶然、低い位置の葉に見つけた。
蝶の名前が分からず調べてみたが、ムラサキツバメかムラサキシジミだろう?
泉の森・シラカシの家職員(学芸員)に尋ねたらムラサキシジミ、と教えて頂いた。
「令和肆年(皇紀2682年)11月18日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(6)”❖’22-100》

上2画像は、宿泊した宿の露天風呂からの富士嶽。
宿目の前の精進湖湖畔は、河口湖等の喧騒は全く無かった。






国道246号線沿いの御殿場線山北駅近くの”サクラカフェ”
庭に咲いてたサワアジサイ!?!時期外れだが可愛く咲いていた。
紫陽花の脇に見えたコムラサキの実。


念願のランチを頂けた。食後に飲んだコーヒーも美味だった。




《”露天風呂"”富士嶽"~”昼食"点描❖’22/11/01》

精進湖周辺は、保養地といった感じの場所。ペット連れの散歩者も多くみえた。
宿泊した宿の露天風呂からの富士嶽は、なんとも言えない美景だった。
末広がりが見える単独峰・富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が好きだ。
しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は別、微妙な山肌がみてとれ美しい。
紅葉・黄葉自体は深まって居なかったが、富士嶽の迫力・優美さに魅了された旅。
3日目は、天候も良くない事もあって観光スポットをスルーして帰宅の途に。
帰り道、天気も曇り程度だったので時折おじゃまする山北カフェにて昼食をとった。
素朴なCafeだが、好きな場所。今回の三日間で唯一、まともな昼食がとれた。
このカフェの昼食、初めて頂けた。ここのカフェのソフトクリームは美味である。
自転車ツーリング仲間には有名(私見)な人気あるカフェ。ランチも美味しかった。

「令和肆年(皇紀2682年)11月17日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(5)”❖’22-99》

以上は、西湖の周り。人影もまばらな湖畔に車を止めてしばし眺めた。
(西湖西湖根場浜からの富士嶽)
旅の計画に、お札に描かれている本栖湖・中ノ倉峠から見る逆さ富士を入れていた。
その姿に会えるかと本栖湖展望公園に行ったが、天候のかげんで逆さ富士は見れず。
富士山写真家の岡田紅陽さんの撮影画像を基にデザインされたのが、お札画像。
撮影場所は公園上の峠からだが、今回は、峠まで登らなかった。
昔、東京・数寄屋橋にあった富士フォトサロンで正月・富士山展が毎年あった。
岡田紅陽さんの富士嶽画像は、圧巻だった。昭和は、遠くなったなぁ~~。




以下は、精進湖湖畔の宿から眺めた夕暮れの微妙な変化!!
のんびりと目の前の変化をながめられ至福の時だった。




《のんびりと”富士嶽"を拜いせる場所❖’22/10/31》

富士五湖に時折寄るが、西湖・精進湖・本栖湖周辺は若い頃歩いたのみ。
紅葉・紅葉は、少し早かったが湖・富士山拝観だけで良い、に変更。
同じように見える富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が最も好きだ。
しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は、美しい・・・微妙な山肌がみてとれた。

「令和肆年(皇紀2682年)11月15日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(3+1)”❖’22-98》

甲府盆地から少し上の山肌は、未だ色づいていなかった。
色づきは、低木から始まっていた。
新道峠にあるFUJIYAMAツインテラスからの河口湖全体と富士嶽。
山は、人間の手が必要。証が見れた!!
河口湖北岸にある大石公園のコキアと富士嶽。
この季節の風物詩になった、コキア。




《紅葉・黄葉行脚”信玄餅~富士嶽"❖’22/10/31》

昇仙峡から甲府盆地の石和温泉まで走り(車)温泉で癒やされた。
笛吹川フルーツ公園も良かったが、この地に来たら”信玄餅”である。
昨今は、どこでも手に入るが・・最近、限定新製品が発売された。
販売場所も数カ所のみ、極端に入手困難。地元に来ても入手出来なかった。
諦め通常の信玄餅を購入して、紅葉・黄葉探しに出掛けたが・・・!?!
車からの眺めで、黄葉・紅葉は諦めた。せっかくなので富士山眺望に切り替え。
探すと笛吹市芦川町上芦川・新道峠にあるFUJIYAMAツインテラスが良さそうだ。
ツインテラス直下迄、町営バスが運行している(バス終点から徒歩5分)。
林道が狭く一般車の走行不可、駐車場所が無いことで町営バスが登ってくれてる。
テラスからの眺望は、”言葉を持てない”程の圧巻景観だった(天候も良かったので)。
河口湖を眼下に、富士山のすそ野・麓が一望出来た(初めての場所)。
感動景観でお腹いっぱい。峠から下り、河口湖の”コキア”を見に寄った。
軽い昼食を、と思うも混雜。パンでも買ってと思ったが売り切れ!!観光地は凄い。


「令和肆年(皇紀2682年)11月13日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(3)”❖’22-97》

フルーツラインは、果樹農園・農道の中を通り抜けて行く。
駐車場の上からの眺めは素晴らしい。
何かイベントでもしているのか!?!
ハロウイーンの準備か??
黄葉が進めば、素晴らしいだろう。
モダァ~ンな建物が!!
夕暮れ・・富士山が浮かび上がってきた!!
夕まずめ、この景観全体が、茜色に染まる。出会ってみたいものだ。
《紅葉・黄葉行脚”フルーツ公園"❖’22/10/30》
昼飯を取らずの渓谷浴は、すこぶる気分良いものだった!!
宿に行く道すがら甲府盆地を見渡せる丘陵(笛吹川フルーツ公園)に寄った。
途中のフルーツラインと称される道路は、まさに果樹農園の中を走っているよう。
目的の笛吹川フルーツ公園は、想いの外立派な公園で驚いた。駐車場も無料!!
観光地と言うより近在生活者の憩いの場の様に映る(ごく一部分しか見ていないが)。
資料には、公園内に近代的な老舗富士屋ホテルがある由(泊まりたかった)。
世界ブランドになったワイン産地、海のない山梨県でのホテル料理は如何に、と思う!!
甲州は、素朴な温泉郷、懐深い山々に囲まれ盆地と云ったイメージだった我が青年期頃。
親になった頃には、白州町のサントリーワイナリーが人気を博していた。
その白州町の山間に、BMXレースの立派なコースがあった。35年以上前の事。
夕暮れ近くで、浮かび上がるように富士山が顔を見せてくれた。
やはり富士山は、優美だ。

「令和肆年(皇紀2682年)11月12日、記」

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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(2)”❖’22-96》

昇仙峡グリーンライン、車中からの眺め、現代的感覚!!
ロープウエー脇の荒川。
雲の向こうに、富士山・北岳・間ノ岳が、おわすのだが!!
目の前の茅ヶ岳稜線、故人・深田久弥さんを偲んだ。
ロープウエー頂上駅からみる荒川ダム湖。
仙娥滝・・紅葉していたら!!
仙娥滝(2)黄葉していたら。。。!
遊歩道・・昔を思うと感慨がある。
石門と呼ばれる石。なんとも凄い。





町中の公園感覚で散歩できる。
黄葉・紅葉、色づき始め。
渓谷美
覚円峰(荒川)・・川というより沢。
覚円峰


《紅葉・黄葉行脚”昇仙峡"❖’22/10/30》

甲府市内観光の後、昇仙峡を目指した。40年近く訪れていない。
甲府盆地自体が、小綺麗になって都市化していると、爺には感じた。
市街地から山間に入ると、昔の自然景観が甦る。道路は、見違える程に綺麗!!

ロープウエーは、初めて乗った。年寄りには、やさしい。感謝だった。>
紅葉・黄葉は一寸早かったが、羅漢寺山(弥三郎岳)からの展望は良い。
日本最高峰の富士山、2位 北岳、3位 間ノ岳の山々が一望できる,好天気なら。
あいにく富士嶽・南アルプスはお隠れ、茅ヶ岳は辛うじて拝め、感慨・思い出に浸れた。
ロープウエーで下って、そこから昇仙峡渓谷(荒川)の遊歩道を歩き下った。
整備された遊歩道から見る柱状節理の花崗岩や輝石安山岩の奇岩群、やはり圧巻。
久し振りの散策、ハイカー・家族連れ・老若男女、たくさんの人と行き会った。
気分よく、渓谷入り口迄下ってしまい、バスでロープウエーの駐車場に戻る事にした。
昼飯を取らずに歩いたのは、我ながら驚き。トップリと森林浴、それで良し!!
渓谷入口から更に下流方向、川に添って遊歩道が続いている。>
長潭橋(ながとろばし)の間に色々な奇岩があり紅葉・黄葉もが良いが今回はパス。

「令和肆年(皇紀2682年)11月11日、記」


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《襍・/・囈 “紅葉・黄葉 '22(1)”❖’22-95》

甲州夢小路;甲府駅北口東へ300m、(甲府時の鐘が目印)。
明治・大正・昭和時期の甲府城下町を再現、ショップ・カフェ・レストランがある(画像左側)。
右側建物は、小さな蔵の美術館。1階はアンティークジュエリーコレクション室、2階は版画コレクション室。
時の鐘。
葡萄屋Kofu、和カフェ黒蜜庵きなこ亭、くるむ(雑貨店)、甲州ワイン蔵がある。
山手渡櫓門;
藤村記念館の東側位置周辺にかつて甲府城があった。往時の出入り門を復元している。山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)。
山手御門(やまのてごもん)。
藤村記念館は、明治8年に巨摩郡睦沢村(現甲斐市亀沢)に睦沢学校校舎として建てられた。
昭和42年に国指定重要文化財指定、昭和44年から郷土・考古資料の展示館として親しまれる。
平成2年9月、教育資料館に展示替え。平成22年10月1日、甲府駅北口に移転された。
武田信虎公の銅像;甲府開府500年を迎えるのに合わせて2018年末に設置された。
信虎公は、武田信玄公の父で、甲府に城下町を築いた。

甲府駅北口バスロータリーの東側、藤村記念館前に建っている。


《紅葉・黄葉行脚の前に観光"❖’22/10/30》
先月末、所要で甲州へ。久し振りに甲府周辺を散歩した。
今年初の紅葉散策に秩父~笛吹川西沢渓谷を考えたが??
災害があって散策路が不通だったり、時間の問題もあって断念。
楽したい事もあって甲府盆地北側、荒川上流の昇仙峡を目指すことに。
正しくは、特別名勝・御嶽昇仙峡(みたけしょうせんきょう)と言う。
秩父多摩甲斐国立公園に属し、渓谷は遊歩道が整備されている。
柱状節理の花崗岩や輝石安山岩の奇岩群は、圧巻である。

甲府は、学生時代から幾度となく訪れた所。登山の途中での事だったが。
今は、甲斐市に属するが、茅ヶ岳という素晴らしい山も隣接している。
茅ヶ岳は、山の大先輩で尊敬する偉人、深田久弥さん・・・思い出の山。
そんな茅ヶ岳を遠望できる!!と、昇仙峡に行くことにした。

所要を済ませ、山に行く前に久し振りの甲府市内も観たかった。
甲府と云えば”印伝”目的のお店を探すも中々見つからず、更にはお休みだった。
今一箇所、訪ねたい場所もあったが時間の都合で又の機会に譲った場所、清運寺。
この寺には、”千葉さな子”のお墓がある。幕末の志士・坂本龍馬の許婚者??
千葉さな子は、江戸の北辰一刀流、千葉定吉(千葉周作の実弟)の娘。
坂本龍馬は、定吉の桶町道場の塾頭、さな子も免許皆伝の腕前であった。
竜馬とさな子の関係は、いかなるものであったか仔細は分からず想像するしかない。
墓石にある”坂本龍馬室”、再度この目で拝したくも思っていたが・・・!!
明治・・文明開化時代の一端を思える場所が甲府でもある。
さな子の墓を建てたは、自由民権運動家として知られた小田切謙明である(仔細略)。
その明治期を懐古する所が甲府駅の北側に”甲州夢小路”として出来たと聞き訪ねてみた。
謳い文句に、甲州夢小路、甲府時の鐘が目印で甲府城下町を再現、情緒ある空間とされる。
楽しみに出掛けたが、少し物足りなく感じた。

「令和肆年(皇紀2682年)11月10日、記」

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《襍・/・囈忘備録“今、見れる花”❖’22-94》

シロバナスイセン(白花水仙) ヒガンバナ科(Amaryllidaceae)
学名:Narcissus tazetta subsp. papyraceus (Ker Gawl.) Baker
Narcissus tazetta var. papyraceus (Ker Gawl.) Baker
別名: ペーパーホワイト
レンギョウ(連翹)   モクセイ科 (Oleaceae)
学名:Forsythia suspensa (Thunb.) Vahl



《身辺の小公園"草樹"❖’22/11/5》
シロバナスイセン(白花水仙);
一般的にスイセンと云えば、フサザキスイセンを指すのが一般的。
学名の中にあるtazetta は「小さいコーヒー茶碗」を意味する。
樹々が、紅葉・黄葉し始める今頃に咲き始める清楚な花。
西ヨーロッパ、地中海沿岸、北アフリカが原産。米国等に帰化している。
多くの初期の文献ではフサザキスイセンと同種とされてきた事で混同されてきた。
副花冠の黄色のフサザキスイセンと混同、房咲き水仙の亜種、変種とも云われて来た。
平安時代に渡来したといわれ、園芸品種のTazetta daffodils(タゼッタ系)に含める。
球根は卵形で、外皮は暗褐色。葉 は4個付き、扁平、骨があり、粉白を帯びる。
花序は散形花序、花を 5~15個つける。苞(spathe)は淡褐色で紙質。花は強い芳香がある。
花被は、基部で次第に細くなり白色。花被片の分かれた部分は、平開(反り返りもある)。
雄蕊6個、3個は短く花被筒部の中にあり、長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。


レンギョウ(連翹);
庭木としてよく植えられており畑の縁などでも見られる。
幹は茶褐色、縦に割れ目が入る。枝はよく伸び、長くなると下垂する。
葉は対生で卵形、葉先が鋭く尖り葉縁に粗い鋸歯がある。
若枝の葉は、3出複葉もある。雌雄別株。開花した後に葉が見えてくる。
花冠は鮮黄色で4深裂し裂片は倒卵状惰円形。雄蕊は2個。

「令和肆年(皇紀2682年)11月6日、記」

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《襍・/・囈忘備録“和の文化”❖’22-93》

帯の結び・・・画になる!!


楽しい好景。
足袋もいい!!


《日本の和装文化"結び"❖’22/11/3》

今日は、文化の日。第二次大戦以前は、明治天皇の誕生日を記念した明治節と呼ばれた。
戦後、1946年(昭和21年)11月3日、平和と文化を重視した日本国憲法が公布された。
そんな経緯の中で、今の文化の日の出来事は勲章の授与、文化庁主催の芸術祭が中心か?
秋は文化祭シーズン、学校や自治体が毎年文化の日前後に文化祭が開催されている。
*     *     *     *     *
観光地、とりわけ古都とか歴史的伝統のある街を歩くと和装姿の人々を良く見掛ける。
自前の着物かって思っていたら、貸し衣装屋が存在していた。それでもちょっとうれしい。
僕の若い頃は正月程度、和服を外で着るなんて。でも洋服でも自宅では下駄は履いている。
和装・着物は、日本独自に培われた伝統的衣服だ。織物文化・紐文化は日本独自の特徴だ。
最も身近に感じ取れるのが、和服の帯ではないか。色々な結び方があるが、其々が美しい。
着かたにしても色々だ。”粋”という表現も日本的だが、中々説明でいないでいる。
ゆったりと着物を着ている方が少なくなった。それは日常に着ていないからだろう。
東京浅草とか鎌倉で見る和服姿の人々の多くは、着ているというより着せられている??
失礼だが、着こなしていない。日頃着ていないからで仕方ない。それでも和服姿、好きだ。
下駄・足袋・草履、そこにも結び文化が在る。鞐

「令和肆年(皇紀2682年)11月3日、記」



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