今日シアトルに帰ります。その前の最後の日曜日。暑中見舞いの電話を宮城の和尚に朝したら、相談もあって来ることを期待していたといわれ、ビックリ・・急遽上野から新幹線に飛び乗り、くりこま高原へ・・・
山口出身としては、東北にいく機会はなく、仙台から北に行くのは初めてでした。
いろいろな話のあと、水墨画に興味があることを知られて絵筆と和紙をいただきました。その後80歳を超えられている和尚の運転で、平泉中尊寺をご案内いただきました。
天台宗。そして、敷地内には鎮守のための神社。確か高野山にも神社があると聞いています。西洋の人には理解できない宗教観でしょうか?8月には薪能があるそうです。
トンボ帰りで上野まで帰ってきたのが夜9時。
摩訶不思議な動きの昨日でした。
さて、荷物をパックして、午後には成田空港に向かい、シアトルに戻ります。
忙しい滞在でしたら、京都の滞在、墓参り、仕事、少林寺拳法の研修会と今回は不思議な感覚の日本でした。
居合の宗家からいただいた扇子にある言葉。それは前の宗家が好きで常に言われていたそうです。
百戦 百勝
不如 一忍
百回戦って、百回すべて勝つより、一度我慢することには適わない・・・という意味。勝負は鞘のなかにありといわれる居合。
刀を抜くというのは切るか、切られるかの生死をかけたものになります。
少林寺拳法の開祖も言われていました。「勝たなくてよい。負けなければそれでよい。」
武術の勝負の世界だけでになく、日常生活やビジネスの世界などいろいろな場面に通じるのではないでしょうか?
負けない生きる力をつけたいと思います。
(日本は大暑の今日。朝5時でもう30度になっています。小学生のころつけていた夏休みの日記帳で30度を越した日は、2−3日くらいしかなかった記憶があります。気になるこの亜熱帯化した日本です。)
少林寺拳法の研修で海外11カ国から代表が東京に集まって研修が始まりました。
その際に6月に允可された准範士の位の允可状授与を昨日いただきました。研修会で組織のTOPがお集まりいただいたタイミングだったとはいえ、私1人のために組織のトップが5名が列席いただいての授与式でした。感謝です。
6段大拳士から6段准範士に・・・それに見合う拳士になるように修行を続けるのみです。
移動に追われた三連休でした。
金曜日京都でのMTG。夕食に出たので夜の祇園宵山をみる機会はありませんでした。翌朝、コンチキチンの鐘の音色に誘われて、河原町で祇園祭りのクライマックスに触れました。
あまりの人と暑さにずっと見るのを諦め、南禅寺を散策。そして、午後一番に新幹線に飛び乗り、一路帰省・・・と思いきや、叔父の命日にあたっていたので急遽広島で途中下車して、墓参りして従兄弟達と歓談し、夜故郷へ移動。
翌日は、従兄弟と祖先の墓参り。そして、東京に戻り本日は、別の叔父の命日で墓前へ。そして空港に向かう前にはお世話になった方の墓参りを息子さんに連れられて・・・
祖父母の墓参りだけかと思っていたのに思わず、亡くなられた方々に呼ばれていたのでしょうか・・・でもまだ生きている自分をあちらまで呼んでいただなくても結構ですからと丁寧にお祈りさせていただきました。
京都に着きました。ホテルにチェックインできるまでちょっと街を歩いてみると、今晩の山車が通りにずらり。
しかし、暑いです。シアトルの夏に慣れた身体は、とろけそうです。
さてシャワー浴びて、Meetingに出かけてきます。
夜の会食に行くときに祇園祭りを肌で感じながらの移動になりそうです。
ちょっと過激なタイトルでしょうか(笑)
「お金とは基本的に汚れているものだ。人から人へとわたる中で汚れていき、その汚れが人を汚す。・・・(中略)そう考えると、お金はウンコと同じようなものである。・・・金にやたら群がる人は、さしずめウンコにたかる蝿・・・」
でもウンコは大切。ウンコをしないと病気になります。でもそれにたかる蝿にはならない。
その大切な排出物は、掴めない。つまり、お金を握り締めない・・・でもとても大切なものという認識はある。
以前にも松下幸之助が言われたという「お金は掴むものでなく、触るもの」ということを記した記憶があります。
お金を掴んだままで、離さないのはウンコをしないようなもので、いつかは病気になる。お金を失う恐怖から、多くのものを見失い、大切なものを引き換えに無くす。
ウンコをするというのは、生きたお金の使い方ができるということかもしれません。だったら、ウンコも大切だということになると思います。でもそれに集らない。
本のタイトル「手離す技術」・・・・執着は良くない。そのためには、調和・バランス・・・一昨日の本「心の野球」とも繋がります。自分がそれが出来ていないから、二日続けてこうした本にめぐりあい手にしているのでしょう。
「不調のときが自分の実力」・・・成功はイリュージョンというか、自分の実力ではなく、周りのお陰・・・
そんなことをウンコから感じました。
お食事前の方失礼しました・・・・(笑)
以前にも記したことがあると記憶していますが、この世の中で起こることで、偶然はなく全て必然であるということ。
本の第4章に次のような文があります。
「目の前に起こったことはすべてパーフェクト」
たとえ試練の遭遇したとしても、
それは必然であり、
乗り越えることで人は磨かれていく
一見悪い、不幸だと思えることも・・・全てパーフェクト。それは、次の成長のためにある試練。でも何故そうなったかは、善因善果・悪因悪果の因果応報。全てを受け入れることから始まり、その試練を乗り越えることで人々は成長できる。どうしてこんな事に・・・それは、自分に原因がある必然。
今回、シアトルから成田に向かう機中で隣り合わせた日本の若者。久しぶりに気持ちの良い礼儀正しい、自分自身を持った若者でした。長い旅がおしゃべりでとても短く感じれたほどでした。これも偶然?それとも必然? あとはその因に縁をもって、よい結果を導けるかどうかという理屈抜きの自然な行動が出るかどうか?
幸福?その物差しは、満足・・・吾唯足知・・・調和のとれた姿勢。行き着くところは「お蔭様」という感謝だと思います。
昨晩、立寄った本屋で引かれて手にした本。マスコミが作り上げた桑田選手のイメージが払拭されました。
感謝と努力・・・
あと白黒の判断より、見えない力、畏敬の念含めた判断。同じようなことを経て来たので、肯く部分がいろいろありました。
一読のお勧め本です。
ITがいくら発達してもビジネスは足で稼ぐ。会ってナンボの世界というのが私の持論ですが、今日も会えて良かったというMeetingばかりでした。
夕方からは、最初の会社で一緒だった気心の知れた0川と会食。彼もチャレンジと苦労をくりぬけて、今は米国の会社の日本支社の取締役をやっていますが、お互い話が弾んだのは人生の価値観と家族に対する感謝。
親として子供の好きな道をみつける手助けが出来たか?支援できているか?となると、私の場合は落第点。
人生目標のなかで仕事の割合も大きいですが・・・仕事は変えれても家族は変えれない。その家族目標は?となると子供も大学生になり巣立つのも目前なのに、具体的なビジョンがカレンダーで描けていない自分がいます。
仕事を言い訳にしたくない・・・大切な自分の基盤をどうしているか?出張とかで離れるとまた身につまされる想いです。
日本に到着。例によって数日、朋友宅に泊めてもらうことに・・・でも月末にはLA単身赴任だった奥さんが3年ぶりに帰国転勤するので、これで一時的独身男同士の共同生活も最後になるでしょう。
ぎっくり腰が完治しておらず、コルセットをしての太平洋横断の旅。そして、彼の自宅マンションに昨晩到着。なんと、ソファーには同じくコルセットしてぎっくり腰で寝ているではないですか!大笑い!しかし、そこはお互い痛みが、手にとるようにわかる者同士。
かわいそうに今日は選挙日で、彼は仕事で午後から徹夜でTV局泊り込み。あの身体ではやばいのではと、自分の腰以上に気になる始末。
夕食は歩いて鳥居坂を下り、麻布十番の居酒屋で軽く一杯。しかし、帰り道歩くのが大変な彼のためにタクシー。
少年老い易く・・・・
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