「近鉄・西信貴鋼索線(西信貴ケーブル)」営業休止
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1941(昭和16)年8月、日本政府は武器生産に必要な金属資源の不足から「金属類回収令」を公布。輸送量が少ない、観光などが中心で軍事的な重要度が低い、代替輸送が可能である、といった鉄道路線が営業休止にされ、線路の撤去が行われました。この対象になった路線のことを「不要不急線」と呼びます。
「不要不急線」のなかには戦後、復活を果たしたものもあれば、そのまま廃止になったもの(有馬線:三田~有馬)もあります。この現・西信貴ケーブルは1957(昭和32)年、営業が再開されました。
ちなみに西信貴ケーブルは、その山側に貨車を連結して運行する珍しいケーブルカーです。また、車体には信貴山の守り神である「寅」の絵が描かれています。