1987(昭和62)年の5月13日。国鉄時代は「国電」と呼ばれていた首都圏の近距離電車について、JR東日本は新たな愛称を「E電」にすると発表しました。 同年の国鉄分割民営化により「国電」ではなくなったことから、JR東日本は新愛称を公募。有識者らによる選考委員会によって、「E電」が20位ながらも選ばれています。しかし、この「E電」という愛称が定着することはありませんでした。 ちなみに公募1位は「民電」、2位は「首都電」、3位は「東鉄」でした。