カヤックでにーぶい村を出発。 冬の沖縄は冷たい北風が吹き、南国ムードはない。 冬の沖縄無人島でのキャンプは、意外とストイックなものなのだ。 そんなクリスマスもいいもんだ。 男3人だけの無人島。 強い北風が、砂浜に風紋を残していた。
おいおい、12月も半ばを過ぎたのだぞ、冬の遊びはしないのかい? ・・・と、言われそうだ。 ありきたりな話なのだが、今年最後の紅葉なのだ。 ついでに、布引きの滝まで付けちゃう。 えーい、持ってけ泥棒!僕に文句を言うな。 暖かい冬に文句を言うべきだ。 平和に乾杯!
いつもトレーニングで使用している、六甲山中の登山道の1つ「徳川道」。 ここは、慶応3年(1867年)、神戸開港の時代に、大名と外国人のトラブルを避けるために作られた迂回道。 もとより、財宝を期待できるはずもないが、その名前から、どうも財宝を連想してしまう。今週は雨が続いた。 明日の日曜日も、雨の予報。 ところが、今日(土曜)はすこぶるいい天気ではないか!早朝より登山靴を用意して山へ向かった。 摩耶山の手前で、徳川道を外れて寄り道をしてみる。 腰まである笹藪を掻き分けながら進むと、始めて見るシェール道に行き着いた。 シェール道の先にあるのが、写真の穂高湖だ。 ひっそりとした湖は、この時期、魚や昆虫などの生物の気配がない。 泡も立たない湖面と森林が一体化していた。ウィンドブレーカーもフリースも装着せずに、駆け足で3時間連続の山行。 今日もたっぷりと汗をかいた。
この冬一番の寒波。冬といえば、海に向かうのがREBECCAヨットクラブ。 船長はサバニのレースで、春から夏まで忙しい。 クルーも、暖かいシーズンはヨットレースで忙しい。 となると、皆が集まれるのは、真冬の洋上というわけだ。 この週末は、連日海の上にREBECCAを浮かべた。 土曜日は前線の通過があり、日曜日は完全な冬型の天候だった。 腰の強い北西の風が吹き続ける。 時より大きなうねりが押し寄せる。 うねりの中で限界まで傾き、風上を向こうとする船体の舵を強引に引き寄せる。相変わらず風邪が治らないが、なんだかとてつもなく寒いところに行きたくなってきた。
サバニの映像を求めて、糸満市立中央図書館を訪れる。 サバニを研究している事を説明し、ライブラリの中から、特別な資料を見せていただいた。 だが、見たい映像までは到達できなかった。今回の沖縄滞在の時間切れだ。 この次の調査で、さらなる事実が見つかることを願って、沖縄を後にした。
ビデオに登場したサバニ大工、大城氏の経営する大城三味線店を訪ねる。 もちろん、サバニの話を聞くためだ。 材の選び方、目的別のサイズの選び方、工期に関してなど、貴重なお話をいただいた。理想のサバニを探すために、僕らも真剣だ。
ビデオの中には、サバニ職人の大城氏のサバニ建造の様子が映し出されていた。 上原氏の案内で、その大城氏が、これから建造するサバニの材を見せてもらった。サバニの建造では、材料の入手も重要なポイントになるのだ。
アウトリガーの無い古式サバニは、帆柱を立てるとひっくり返る。 ならば、昔の人たちはそれをどのように乗りこなしていたのだろうか? それを知るために、糸満市へ向かう。まずは、個人で博物館【海人工房】を運営する上原氏を訪ねた。 この中には、古式サバニに関する資料があふれている。 古いビデオを見せてもらいながら、古式のエーク(櫂)、ユートイ(垢汲み)などの説明を受ける。ハーリーで有名な糸満と言う土地柄なのか、糸満のプライドを強く感じる。 見たい映像は貸し出し中で見れなかったが、たくさんの貴重な資料を見せていただいた。
工房では、杖をついたおじいが一人で作業していた。 79歳、脳血栓で半身不随になり、リハビリでここまで動けるように回復した。 左目は白内障で見えないようだ。 「見えなくても、体が覚えている」と、おじいは言った。 下條氏の造るサバニは、すばらしい材と、すばらしい仕上げが印象的だった。 現在は、平底の艇を多く作成しており、下門氏は平底の艇だけを作るものだと思っていた。 しかし、事実は違っていた。 「遠くに行く舟は、もっと厚くするんだよ。昔はそういうのも作った。今の人は乗りこなせないから、平底にしているんだ。」また、こうとも教えてくれた。 「昔の舟は、帆柱を立てただけでひっくり返った。だから昔は膝を付いてバランスを取っていた。」ニヌハ2はアウトリガーを外すと、帆柱を立てただけでひっくり返る。 これは、軽量化しすぎたためと解釈していた。 しかしそれは、サバニの由緒正しい姿だったのだ。さらに驚いたことは、舟の先端に2本目の帆柱を立てる用意があったことだ。 それは、まさにニヌハ1に装着され、レギュレーション違反とされた構造だった。 「昔は、付いていたよ」このおじいの中には、膨大な知識がある。 もっと語ってくれ。 コードを繋げてダウンロードできないものか? 完全な継承者はまだ存在しない。 ならば、物で残すしかないのだろうか?おじいに仕事を依頼したいが、材料は切り出して、乾燥するまで1年はかかる。 時間の波に消えようとしている貴重な歴史を、継承する方法を考えよう。 制限時間は、長くない。
僕らにとって、サバニの3号艇の意味するものは大きい。 これまでの知りえた歴史、これまで蓄えた知識を全て表現したいからだ。 それを現実のものとできるサバニ職人は、高齢化が進み、形として残すためには少々時間が迫っている。 今日は、カヤックセンター代表の仲村(忠ぶらりん)氏と、サバニレースの最強チーム「海想」代表の森氏と共に伊江島の下門(しもじょう)さんの工房を訪ねた。