昨日のFacebookのコメントに なぜ今、富士山なのですか?と言う問いかけがあり、歴史も振り返りながらいろいろ考えてみた 富士山頂、八合目以上は、富士山本宮浅間大社奥宮の境内であり 山頂には浅間大社奥宮と、奥宮の末社である久須志神社がある 古来富士山は、神霊の宿る山として崇められ 室町時代あたりから、富士信仰が盛んになり 江戸時代には、富士講として、富士山詣をするようになった 頂上の火口には、大日如来がおられ、 大日如来さまにお会いし、もう一度再生し生まれ変わる そう言う世界観があったようだ ところで富士山は、立山、白山とならぶ日本三霊山であり、実は神聖な氣を感じるパワースポットなのである そんな神社に、しっかり参拝させて頂くことが、実は目的の一つであった 一つのけじめと位置付け、新たな出発を、日本で一番高いところで誓う 今回は久須志神社しか、参拝できなかったが、 持参したご朱印帳にご朱印を頂き、拝殿の前で祝詞をあげさせていただいた もともと日本人のDNAには古来から、信仰の心があり、 そんなDNAと個人の思いが重なっての、富士登山だったかもしれない 外国人もたくさん来る、観光スポットになっている富士山ではあるが、 改めて、富士登山を「登拝」すると言いたいね