「助けてもらったことは、生きている限り忘れねえよ」
Mar
7
「3.11 あの日から2年、何が命をつないだのか
~発掘記録・知られざる救出劇~」は良かった。
副題に「名も無き人々の記録」とあるように、
自衛隊などが到着するまでの間、
瀬戸際の状態にある被災者たちが
どのように乗り越えたかを検証してました。
ある静岡県の漁師の親方は地震直後、
救援物資を満載して
被災地救援に向かうことを決断。
それは50年以上前の伊勢湾台風の際に、
彼の祖父が三陸の漁師たちから船で救援物資を送ってくれた恩返しでもあった。
乗組員の半数はインドネシア人で、
その無償奉仕に賛同してくれるか懸念だった。
ところが数年前のインドネシア地震・津波のときの
日本の援助を覚えていて、快く賛成してくれた。
肌の黒い青年がつたない日本語で、
力強く「助けたい」と言ってくれたのがうれしい。
彼らが向かったのは宮城県、牡鹿半島。
20キロも太平洋に突き出した半島は、
道路がいたるところ寸断されて孤立状態。
電気も電話も一切の通信手段は何も無く、
食料は底をついた地震数日後に
支援物資がその漁師たちにより初めて届けられる。
70代と見える防災責任者の男性が、うれしさのあまり
冷たい海に胸の辺りまで浸かって支援物資を載せた小型船を出迎える。
憔悴しきってやせた彼の姿に、本船の船長は朝食を勧める。
彼は、「いや、浜には仲間が待っているから」と言って固辞。
「そのこと言葉を聞いたときは、ジンときたよ。」
初老の抱く仲間との強い連帯感に感心する船長。
「あんとき助けてもらったことは忘れねえ。生きている限り忘れねえよ。
もしお返しするときがくれば、してあげてえよ」
強い決意の初老の言葉で番組が締めくくられていました。
悲惨な現場で人命救助のために、
自らの命を捨てて使命に尽くした人々。
命を救っていただいた恩に報いようと、
復興に励む人々。
2年前、これらの美しいストーリーがある一方で、
そのためにはあまりに大きすぎる代償となった震災。
ビジネスでも結果を出すかどうかを決する要因はいろいろでしょうが、
最も大きなものは「本気度」ではないでしょうか。
あるいは「真摯さ」と言ってもいいかもしれません。
そのビジネスに命を懸けるほどの意義を見出せるか。
そのビジネスが人の命にかかわるほどの重要なものなのか。
そのビジネスは私の命を支えたゆえの恩返であるのか。
パウロという人は次のように告白しています。
「主イエスから受けた、
神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、
私のいのちは少しも惜しいとはおもいません」
使徒の働き20章24節。