昨夜に続いて
NHKスペシャル「大川小学校の記録」を見ました。
生徒数108人のうち、78人が津波で犠牲となった
最大悲劇を生んだ小学校です。
当時11人いた教職員のうち10人が犠牲となったため、
それだけの甚大な被害が出た理由が詳しくわかっていないのです。
佐藤さんという私と同年代の男性に番組はスポットを当てました。
末っ子のみずほちゃん(6年生)が帰らぬ人となりました。
直前の日曜日には家族ら4人でバレーの練習をした。
二人の兄妹たちは皆バレー部。
みずほちゃんもバレー部に入る予定でした。
でもそのバレーが最初で最後となった。
中学校教師の佐藤さんは、
これまで開かれた教育委員会の説明会にも関与できないでいた。
遺族からは学校の防災体制の不備を指摘する声が強まる中で、
自分がその場にいたら教師として何ができたろうか、
と考えざるを得ない。
「俺自身、防災を真剣に考えていたかといえば、そうでなないし、、」
しばらくしてから教育委員会から避難が遅れた理由の説明があった。
それをきっかけにして、これまでのスタンスが変わることになった。
その説明はとても納得できるものではなかったから。
これでは子供達の死が無駄となる。
しかし、
教師である立場の自分に
そういう声を上げる資格があるのか葛藤します。
ついに妻の助言を得て、会見に出ることを決意
「子供らのことを考えて、覚悟しないと、、」
記者会見では
11人の遺族代表が教育委員会に対して意見を述べる。
決して問い詰めるのでなく、
真相究明のために共に手を携えて行きましょう、
というものだ。
佐藤さんは振り絞るようにして言われた。
「学校は、教員は、信頼されるべき大人が
黒い波に呑まれて行った子供達の恐怖と辛さを思えば、
親や教師が立場的に辛いんだという、
それを理由(真相を究めないでおく)にしてはならないと思う」
2年前の6月、
私も家族と一緒に,
この大川小学校へ行ってきました。
巨大ブルが瓦礫を山のように積み上げた丘が
点々と荒野に散在する中で、
小学校だけが建物として残されてました。
夢と将来のある命を奪った黒い波の無情に言葉がありません。
信頼で結ばれていた学校と家庭を粉砕した濁流のむごさにも。
「私たちは、被造物全体が今に至るまで、
ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。]
(ローマ 8:22-23 )
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