「恐れてはならない。おののいてはならない。」
Jan
7
恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、
あなたとともにあるからである。」
ヨシュア1:9
先日はこの聖書の言葉が
イスラエルの人々にとっていかに重厚な意味を持ったものであったかを述べた。
彼らに取ってそれは観念でなく、生死存亡を賭けた言葉である。
私たちも危急のとき、恐れに取り付かれ、心くじけそうなとき
天を見上げることは、単なる気休めでなく実態となる。
数日前もそんな試練の場に立たされたことがあった。
オークランド空港に降り立ったのだが、
預けたスーツケース2個のうち1つが届かないのである。
それがなければカリフォルニアにやって来た意味はなくなる。
仕事は何一つできない。
事務室で紛失手続きを終えてから、
レンタカーを手配しに行き、
再び戻ってきてシアトルからの最終フライトの手荷物を探してみた。
やはり、出てこない。
「主よ」
「主よ」
「主よ」
言葉短く、天を仰ぐ他できない。
午前12時を過ぎてホテルにチェックイン。
午前2時07分に携帯電話が鳴り響く。
手荷物事務室のCLIFFからで、スーツケースが見つかったと言う。
発見次第、至急連絡をくれとお願いしていた通りに彼は動いてくれた。
彼は申し訳なさそうに、私といっしょに荷物を探してくれもした。
これまでの経験則かれすれば例外だ。
空港で顧客の紛失荷物を依頼通りに扱ってくれたことはない。
ヨルダンのアンマン空港では持っていない振りまでされた。
さらに翌朝のことだ。
早速空港まで荷物を受け取りに行く際、
トランクに車の鍵を残したまま扉を閉めてしまった。
あっ!!!!!!!
と気づいたときにはすでに遅く、
どうあがいてもどこのドアも開かない。
もちろんそのような初歩的ミスを避ける方法を通常はしている。
このときも、トランク・ドアの蝶番のところにカギを置いたのだった。
自分の車ならたといドアを閉じようとしても、カギがあるので閉じれない。
だが、このレンタカーはすっぽりと閉じてしまった。
ここのときも、
「主よ」
「主よ」
「主よ」
ただ天を見上げるばかり。
サービストラックが来て、
カギを取り戻してくれるまで2時間ほどのロス。
その時間的損失はこの場合、大きなものであった。
先回のカリフォルニア遠征では腰痛のため亀のような動きしかできず、
今回はこうしていくつものアクシデントに見舞われた。
その度に天を仰ぐしかない。
恐れているからこそ、
「恐れるな」との言葉が響く。
一人ぼっちで頼りなく感じるからこそ、
「わたしがあなたとともにいる」との約束が力となる。