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豊臣秀吉と黒田官兵衛の対話

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高松城を湖に沈めんがために長大な堤防を建設中に

秀吉が黒田官兵衛に次のように言っている。






「世を動かすのは、これだ」

と、秀吉は言った。これ、というのは人間の欲望を指している。

秀吉は人間の欲望を刺激した。

すると水が低きへ流れを変えるように、
秀吉の思うがままの方向に人間どもは動き出した。

世を動かすの原理は人間の欲望である、ということを、
秀吉は年少のころから勘づいていたが、その証拠として、
これほど壮大な規模で目の前にくりひろげてくれた光景は
彼自身もはじめて見た。興奮しきっていた。

「官兵衛。デウスは愛であるというたな」

「申しました」

官兵衛はうなずいた。
この切支丹宗徒の発想では宇宙には唯一神デウスがおわす。

その唯一神の作用は愛であるという。

愛をもって万物を創造し、生かしめておられる。

これほど巨大な力の存在を、
天竺人も唐人も日本人もかつての発見したであろうか。

東洋の神仏は幾千幾万も存在し、それぞれ小さな機能をもつに過ぎないが、
このデウスという造物主、
絶対者、唯一神は、天を蔽い、地を蔽い、
人間を創造し、人間に君臨し、
善悪をただし、善は天国へ、悪は地獄へ送る。

何とすばらしい力であろう。

その唯一神が人間を統一している作用は、愛である。

もし人間の帝王にして唯一神の愛を身につけるとすれば、
唯一神と同様の作用を人間どもにおよぼすことができるのではないか。

つまり、愛という神の原理さえ身につければ
この地上を統一できるのではあるまいか。

官兵衛は宗徒としての立場からそのように秀吉に説いてきた。

聡明な秀吉は、それをよく理解した。

もっともその理解の仕方は秀吉流の、
ひどく非宗教的な、
いわば形而下的で現実くさい理解のしかたにすぎなかったが。


その証拠に秀吉はいま、ーーー世を動かすのは欲望だ。

と、官兵衛に異を立てるようなことをいった。

愛よりも欲望ではないか、と秀吉はいうのである。


「さに候わず」

と、官兵衛はいった。

愛でござる。

原理は愛でござる。……………


(司馬遼太郎・太閤記)
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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