日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。 卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。 そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。 教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。 本の題名は「人生は80歳から始まる」。 確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。 私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。 今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。 まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。 皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。 その第14回目は、臨時雇いの仕事を転々とした場面です。 ユダヤ人の家族にイエス様を証して あるユダヤ人家庭でイエス様のことをお証することがしばらくの間できたのは喜びでした。 父親は外科医で、子供たちは土曜日の安息日にはユダヤ教シナゴーグに通います。 家族で年取ったおばあさまだけがかなりの正統派でした。 彼女はほとんどの時間を部屋で過ごします。毎週金曜日の夜になるとろうそくに明かりが灯され、彼女がひとり儀式を守っていることがわかりました。 他の家族たちは彼らが好きなことを自由にしていました。二人のお嬢さんたちは両親とともに断食をする事にして、金曜の日没から土曜の日出までの安息日に断食をしていました。 彼らはその断食の前か後にはとても盛大なご馳走を楽しんでいましたが、コーシャや食物規定には何もとらわれてはいませんでした。 料理担当の私としてはそんな彼らの非正統的な食事作りにも関わっていたのです。 ひとりのお嬢さんは、イエス様に関するエッセイを書くのを手伝ってくれるようにと願ってきました。 私は彼らとともにシナゴーグにも通いました。 それからお金持ちの家で 次なる私の臨時仕事は、ある歳を召されたご夫妻の家で働くことでした。 ご主人はビバリーヒルズのサンセット通りにある高級レストランのオーナーでした。 彼女の奥さんは毎日介護が必要な人です。 彼はレストランから食事を運んでいました。私の仕事は簡単な家事一般で、住まいとしてはガレージに隣接した快適な家具付きの借家を充てがわれました。 教会にも自由に行くことが許されました。 夏が近づいた頃、私は再びイエローストーンのレイクホテルでのパストリー料理主任の仕事を申し込みました。その頃奥様の健康状態がかなり悪化していたため、彼は私にその申し込みをキャンセルして継続して滞在してくれるようにと求めてきました。 彼は、その快適な借家に続けて私が滞在できること、そしてかなりの自由時間が与えられ好きなことに使って良いことを約束してくれました。その病の奥様を気の毒に思うところから、私は滞在することにしたのでした。 やがて奥様は亡くなり彼がひとりとなったとき、私が到底同意できないことを彼は求めて来たのです。すると、私は直ちに解雇されることになったのです。 「もうあなたは去っていいよ」と彼は言ってきました。 「いつからでしょうか」と聞くと、「明日から」と答えてくれました。