我家の近く、いつもの軒先に
つばめが帰って来ました。
1年ぶりの対面です。
はたして同じつばめかどうかはわかりません。
でも、元気に飛び回る姿は心を和ませてくれます。
今日のタイトルにした「おかえりなさい」
魔法の言葉です。
子どもといえども集団生活をする幼稚園や学校は、
思い通りにいかないことも多く、理不尽なこともあります。
家に帰って来た時、「おかえりなさい」と声を掛けられると、
外での思いをおろすことが出来ます。
最近、声にだして挨拶をすることが減っているように思います。
ねぎらいや感謝の思いをのせて身近の人達と
挨拶をすることを忘れないでほしいです。
去年ブログで書いた上野毛駅のつばめは
まだ、戻っていません。
福井
10年程前、まぶたの内側に小さなできものができてゴロゴロしてどうしようもなく、眼科にかかることにしました。近所にテレビにもコメンティーターとして良く出ている有名な女医さんがいるという妻の勧めで、そこに行くことにしました。
診察の結果は、「簡単な手術をしてうみを出してしまえば、あとは抗生物質を飲むだけですぐに治る。」というものでした。そこで、さっそく手術をしてもらうことしました。
手術室に入ると、板を組み立てた高いベッドがあり、そこには4〜5段の階段で上がるようになっていました。手術は先生が立ったままでするようです。
先生「手術は麻酔をかけてやることもできますが、チクッとするだけですから、男性の方は麻酔はしなくても大丈夫ですよね。それなら、手術の後30分も休憩すれば車を運転して帰れますから。」
もう、麻酔無しですることが決まっているといった様子です。仕方なく、「それなら、麻酔無しでお願いします。」と答えたのです。
手術が始まりました。まぶたを強く押して、うみができている部分を浮き上がらせているようです。間もなくチクッとした痛みが走り、うみの先端がメスで切られたようです。もう一度チクッと痛みが走りましたが何とかがまんできそうだなと思いはじめていたときです。
先生「あらっ、こんな所にも小さなうみがたまっているわ。これも切ってしまいましょう。」
今度はメスでまぶたの内側を切るのがはっきりとわかりました。“ザクッ”とするのです。
先生「まだ小さいのがあるわ。全部切ってしまった方がいいですよね。」
と言って、また“ザクッ”と切られました。うみが深い所にあるようで、これはかなりの痛みです。さすがに私もがまんしきれなくなり、もう一度切ると言われたら今度は麻酔をかけてもらおうと決心しました。
先生「もうこれで大丈夫ですよ。」
何とか悲鳴を上げずに済みましたが、終わってほっとした気持ちと、もっと早く麻酔をお願いすれば良かったとの気持ちが複雑に入り組んでいました。
手術後は、たしかに30分もすると痛みもなくなりましたがショックも大きく、目の手術に関してはかなりのトラウマになってしまいました。“男だったら麻酔無し”だなんて、男はつらいですよね。
カーネル笠井
今年で4回目を迎える「クールビズ」の記事を見つけましたので、ご紹介します。
さて、このクールビズですが、本来の目的は室温を5度上げて28度にすれば、330万klの原油の節約になると提案されたのでした。
ですから、単なるファッションの流行だけが一人歩きしないで、室温などの努力を忘れないようにしたいものです。
ちなみに今年の流行は「モダン・クラシック」だそうです。紺のブレザーに白のパンツスタイルのように、少々年配の方でも対応できる流行になるようです。
流行のカラーは
▼グレーー系 ▼茶系 ▼ネイビー&ホワイト系のようです。女性ももちろんですが、年々男性もおしゃれな人をよく見かけます。
ラッコ横山
地球上の人間経済の持続可能性を維持するために、そのバランスを定量的に測定し経済運営に活かしていこうと考案されたのが、「エコロジカル・フットプリント指標」です。
フットプリントは、個人、集団、経済活動などによって必要とされる資源量を生み出し、また排出される廃棄物を処理するために必要となる生産可能な陸地、水域面積と定義されているのだそうです。
例えば、耕作地、牧草地、森林地、二酸化炭素吸収地、生産能力阻害地、漁場の各面積を合計し、その単位をグローバル・ヘクタール(gha)で表します。1ghaは、生産能力・廃棄物吸収能力の世界平均値を有する土地1ヘクタールに相当します。
世界自然保護基金(WWF)とグローバル・フットプリント・ネットワーク(GFN)が発行する報告書には、世界150カ国のエコロジカル・フットプリントの計算値が掲載されています。
2006年版によると、2003年の人類全体のエコロジカル・フットプリントは、141億gha(1人あたり2.2gha)。逆に、地球生態系の土地水域面積は、112億gha(1人あたり1.8gha)しかないそうです。
つまり、人類のエコロジカル・フットプリントは地球生態系面積を約25%も超過していて、地球が1.25個も必要とされる資源消費を行っているという、深刻な数値です。
ちなみに、日本人1人あたりのエコロジカル・フットプリントは4.4ghaで、この数値を地球全体にあてはめると、地球が2.4個必要になる計算となります。アメリカ人1人あたりの数値は9.6ghaですので、5.3個の地球が必要な計算になり、事態はさらに深刻です。
4年後のロンドンオリンピックでは「地球1個分のオリンピック」がキャッチフレーズになっているそうです。いかに地球上の生態系に負荷をかけずにできるだけ省エネ五輪を開催できるかということを目指しています。
個人消費におけるエコロジー生活が国全体さらには地球全体で取り組まなければならない状況になっています。
「地産地消」の推進がさらに加速しています。
ラッコ横山
先日、担当している6年生のお父様からこんな相談を受けました。
「先月の月例テストで70あった国語の偏差値が、今月は56まで下がってしまったんです。国語の勉強の仕方が悪かったのでしょうか。勉強方法を変えるなど、何かすぐに手を打った方が良いのでしょうか。」
そこで成績表を見せてもらうと、国語とは逆に算数と理科の偏差値が先月の55〜56からともに60まで上がっていました。
「算数、理科は良くなったので4教科の偏差値は62で変わらなかったのですがね。」
この成績表を見せてもらい、すぐに2つのことがわかりました。
まず1つ目は、この子がこのテストで発揮した全体の力は先月も今月も同じだということです。きっと、先月は国語の成績がとても良かったので、あと算数、理科をもう少し頑張れば目標校への偏差値まで届くと思い、今回のテストではここで集中力を使ってしまい、多少国語がおろそかになってしまったのだろう、ということです。まだこの時期の6年生ですと、国語が得意と言っても、算数、理科を意識して頑張るとそちらに力を使ってしまい、国語までは集中力がまわり切れないということです。
2つ目は、時間が限られている場合には国語に集中して取り組ませれば、すぐに大きく成績をのばせるということです。最終的にはこれを大きな武器として使うことができます。
長い間子供達の偏差値を見てきましたが、偏差値はこういう面に関してはとても正直に、そして正確なデータを提供してくれるものだと思います。
「前回は国語がとても良くできたこと、今回は算数、理科で今までにない偏差値を取れたことを喜んであげて下さい。今の時期だと1つの試験内でも、どこかで頑張ればその他で力が抜けてしまうのは当たり前ですから、勉強の仕方を変える必要は全くありません。頭の持続力がついてくる秋以降には、どの教科もその最高まで持っていけるようになるはずですから心配はいらないですよ。」
とお話しして納得してもらいました。すぐ後で本人に聞いてみましたが、ほぼ予想通りの答えが返ってきました。
大人ではあまり考えられないこのような成績の変動は、子供達には当たり前のことのように良くあります。ですからここであわててあれこれやると長い迷路に入ってしまい、成績がどんどん下がってしまうというケースが多いのです。このようなときには全体の偏差値をみて判断することがとても大切です。
カーネル笠井
よく「人生、七転び八起きだ。」などと口に出しますが、何故七回転んだら七回起きればいいんじゃないのと疑問に思うことはありませんでした。七回転んだら八回起きるという意味であることはわかっていても、これが「七回目に転んだのなら八回目に起きればいいのだ。」とか、「七回転んだら、それよりももっと多い八回起きるくらいの気持ちのたとえだ。」などと勝手に考えてしまうからのようです。よく政治家たちがテレビのインタビューで「200%有り得ない。」なんて、本当に有り得ない表現をするので頭がまひしてしまっているのかも知れません。ところが七転び八起きにはちゃんとした理由があって、これを初めて知ったのはずい分と年令を重ねてからでした。
この説にもいくつかあるのですが、私がきっとそうだろうと思うのが次のような説です。
「人は生まれてきたときがまず1回目の“起き”になるからだ。」というものです。ですから生を受けてから何かがあるとそれが1転びになり、それから立ち直ることは2回目の起きになるのです。もっともつじつまの合う説だと思います。
本当の意味を知らず、何気なく使っている言葉って本当に多くあるものです。
カーネル笠井
生きものを飼うとつい情が移ってしまいます。
初めて犬を飼った時のことです。
それは真っ白の秋田犬のメスです。メスと言っても秋田犬ですからとても逞しく、凛々しい雰囲気のある犬でした。姿勢がいい犬とでも言いましょうか、「お座り」をさせると、背筋がピンとするほどの姿勢のよさでした。もちろん秋田犬ですから耳もピンとしていました。
名を「ぴー公」と名づけとことん可愛がりました。時には家の中へも入れてあげました。きっと自分も人間の家族の一人だと思っていたことでしょう。しかし散歩は大変でした。一緒に走るとあっという間に引っ張られてしまうため、ついには自転車での散歩、というよりも一種のトレーニングでした。冬は雪の上も喜んで走りました。そして雪もおいしそうに食べていました。
そんな「ぴー公」も母親になり、メスとオスのそれぞれの子犬を産みました。田舎でしたから、遅い時間になると今では考えられませんが、自由に放してあげたのです。そのことを「冒険」と呼んでいました。3時間ぐらいすると真っ黒になって冒険から帰ってくるのです。
そんなある日の夜、いつも通り3匹で冒険に出かけました。しかし、まだ1時間もたたないうちに母親だけが単独で帰ってきたのでした。しかも何か様子が変でした。すると、なにやらこっちへ来いといわんばかりに、洋服の袖をくわえて引っ張るのです。そのまま様子がおかしい「ぴー公」に引っ張られるままどんどん走っていくと、その先には畑の真ん中に用水池があったのです。なんと、その真ん中あたりには一匹の子犬が息も絶え絶え、もうただ浮いた状態でした。きっと乗り越えようとしているうちに誤って落ちたのでしょう。
すぐさま引き寄せ、「ぴー公」よりも早く走って帰り、真夏だと言うのにストーブを出し、とにかく暖をとり、タオルでくるみ家族全員で体全体をさすってやりました。お腹を押すと、大量に飲み込んだ水が口から出てきました。そんな必死の救助活動の数分後、何と、無事に息を取り戻したのでした。
まるで何かの本の話のような本当にあった話です。溺れて用水池の真ん中まで流れていった子犬を見て、これは人間に助けを求めなくてはととっさに考えたのでしょう。自らも犠牲になる危険を冒すことなく、ちゃんと人間に委ねたあたりは、凄い知恵だと今でも思っています。
それ以来、「ぴー公」を心底尊敬をするようになりました。
ラッコ横山
一人で物事を考えると自分で判断しなくてはなりません。
二人になるとどちらか一方が白ならばどちらかが赤と言ったように、双方の意見が分かれます。
しかし三人になると全員が同じ考えになることよりも、2:1で初めて二つのグループに分かれます。ここで初めて多数決なるものが可能となります。もちろん多数決ではなくとも、討議をする場合も、1:1で意見を交わしていると、残る一人が中立な立場でその意見を客観的に聞き、どちらがふさわしいかのジャッジができます。
ところが、四人だとまた半々に分かれる可能性もありますし、さらに五人ともなるとそう簡単に物事が決まるとは思えません。
その点でも「三人」というのはよくできた組み合わせだと痛感します。
そこで調べてみたところ、「三」の由来は中国の陰陽思想によるものと考えられているそうです。それは、「一」が全ての原点であり、その次に区切りのよい数字が「三」であるからと考えられ、縁起のよい数字もあり、初めて点や線から面ができるからなど、いろいろな考え方があるようですが。
「三度目の正直」
「三人寄れば文殊の知恵」
「三つ子の魂 百マデ」
そして社会では「日本三景」「日本三美林」「日本三庭名園」「日本三急流」、日本アルプスも三つですね。
中学受験でも「男子御三家「女子御三家」もあります。最近では「共学御三家」なるものも一部で騒がれているそうです。
世界にも「世界三大スープ」なるものがあります。
今も家の押入れにしまいこんでいる野球のユニフォームの背番号も、実は33だったりするのです。もちろんラッキーナンバーも「3」です。
ラッコ横山
以前、『♪もしもしかめよ〜、かめさんよ〜♪』で始まる童謡の、この歌の背景についての議論がいろいろとされたことがありました。
「うさぎがかめに負けたのは、うさぎの油断だ。」とか、
「かめが目標に向かって一心不乱に取り組んだ結果だ。」とか、
「なぜこんな無謀な挑戦をかめはしたんだろう。」など、その他にもいろいろと考えがありました。
そのころは北野たけし監督の映画が常に話題になり始めたころで、以前彼がまだビートたけしとして毒舌を中心に活動しているころテレビのインタビューでこんな話をしていたのを思い出したのです。
「僕はステージの上からお客に向かって『お前達はシマウマで、おれはライオンだ。おれはお前達を食って生きているんだ。』と見栄を張るんですよ。でもなさけないじゃないですか。シマウマの群れが移動したら、ぼくはその後について行かなければ生きていけないんですから。」
これを聞いて私は、彼はお客がいて自分が生かされていることを常に意識しているんだと思いました。ですから彼の作る映画も、自分の主張を前面に押し出しながらも、どこかで観客のせめてここはこういう展開にして欲しいという部分も取り入れているのです。つまり観客にも花を持たせる部分を必ず取り入れているのです。これを思い出してからは、このうさぎとかめのかけ比べに関しても、“うさぎがかめに花を持たせたのだ”と考えることですべてつじつまが合うんだと考えていたのです。
でも今はこんなに堅苦しくは考えていません。これはうさぎとかめの遊びなのですから、勝ったり負けたりしてはじめて会話も遊びも成立するのです。あまり勝ち負けにこだわらずにいろいろなことを楽しめたらいいなと思っています。
カーネル笠井
難しいタイトルになってしまいましたが、
簡単にいうと相手に自分の考えを順序だって説明し、
わかってもらう文を書くことが出来る力のことです。
最近の子ども達の文をよんでいると
単語だけ、話し口調、助詞の乱用が目立ちます。
たとえば
「〜で、〜で、〜だから。」
「〜というか〜かもと思う。」
普段からきちんとした文にして会話するこが
大事だと思います。
福井
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