柏餅を食べられましたか。
今日は端午の節句、そして立夏でもあります。
俳句の季語はこの旧暦に即しているので
こいのぼり・吹流しなどこどもの日に関する言葉は
夏の季語になります。
昔はお祭りやこれらの行事が大きな楽しみで
季節の移り変わりを大事にしてきたのだと思います。
今はたくさんのレジャーや楽しみがありますが、
次の世代にも廃れることなく繋げていきたいものです。
我家は息子も成人していますから鯉のぼりはかざりませんが、
ベランダのプランターにミニ鯉のぼりのスティックをさしています。
福井
駅までの歩道の植え込みにはツツジがぎっしりと植えられていて、こぼれ落ちそうなほど沢山の花を咲かせ始めました。ちょっと足をのばした山間の団地の道路には、両側すべてに白い花のツツジが植えられていてとても見事です。この時期にはそこを車で走るのを毎年の恒例行事にしています。
わが家の窓から見える藤棚は、4月の中旬になっても一向に息吹く様子がなく、今年は花をつけないのかと心配し始めていたところ、ここ1週間であっという間に紫色の花の房と黄緑色の葉をつけてしまったのです。どこにあんなエネルギーがたくわえられていたのか、本当に不思議にさえ思えてきます。
この花に加えて今年さらに素晴らしいのは、団地内の違反駐車防止のために設置されたたくさんのプランターに植えられている花が、どれも素晴らしいことです。団地をひと回りすると、ちょっとした花のテーマパークにでも行った以上に数々の花が楽しめるのです。わが家が水やりを担当している3つのプランターにも、今はたくさんのパンジーとチューリップが咲いています。特にチューリップは30本近くも植えられていてとても見事です。
このプランターは私が団地の理事をしているときに、1人の理事の提案で設置したものです。「ベランダで育てる花だけでなく、みんなに見てもらえる所に花を植えたいと思っているお年寄りがたくさんいるはずだ。プタンターを設置して、ご自由にお使い下さいと広報しておけば、きっとみんなが花を植えてくれるはずだ。」という意見でした。この思惑通り、しだいに花が植えられるようになり、顔くらい大きなユリや、夏にはハイビカス、初めて見る大きくて見事な花など、四季を通して楽しめるようになりました。
私が理事をしているとき、もう1つ初めて開始されたことがあります。1人の理事の提案で300万円ほどの予備費というものが設定されたことです。「せっかく理事になって一生懸命にやろうとしても何の予算もなく、緊急で修理をしたいときでさえ総会を開かなくては何も決められない。多少自由に使える予算があって、何かあったときに緊急に対応できれば、そうすることで団地の資産価値も高くなるはずだ。」というものでした。こちらも思惑通り、この予算は主に団地の美化に使われているようで、住人からのちょっとした苦情や意見にすぐに対応できるようになり、いつもきれいに整った状態が続いています。長い人生経験を持つ人の計算はぴったりと当たるもののようです。
それに比べて最近の自民党のおえらさん達がインタビューなどで答える思惑がまったく当たらないのはどうしてなのかと考えてしまいます。もともと当てようという気がないのか、経験に基づかない思惑なのかのどちらかなのでしょう。もっと良い考えをもっている人もたくさんいるはずですから、ぜひそんな人の意見に耳を傾けて欲しいものだと思います。
カーネル笠井
5月は亡くなった祖母の名前の由来から一番記憶に残っている月です。
生まれ月の名前をつけられた祖母は「さつき」というひらがなの名前でした。
おばあちゃん子だった自分をこよなく可愛がってくれました。
昔は自身でお店もやっていました。当時にしてはハイカラなお店で、化粧品(最近リバイバルの椿オイルなど)やコーラやジュースも置いてあったと記憶しています。商売というよりは、近所の子ども達と町の人たちのためと言った様子でした。
5月は緑の香りがすがすがしく心弾む季節です。新中学1年生にとっては初めての中間テストです。たくさんの教科は大変ですが計画的に進めましょう。
『こだわりを 捨てれば心は 五月晴れ』
(近くのお寺に掲示してあった5月のことばより)
ラッコ横山
気候もよくなり遠足シーズンの到来です。
東急沿線には「こどもの国」もあり、午後から夕方の電車には、突如として遠足列車と様変わりすることもあります。
そしてやはり・・・。
車内に午後の静寂と平和が漂っていたのは長津田駅まででした。そして駅に到着しようかという時に目の前に見えるのは子ども達の大群、大群、大群。来たぞ〜とばかりにあっと言う間に子どもずくしとなってしまった車内。
先生もあまり注意しないようで、子ども達はやりたい放題。幸か不幸か車内を走り回れるほどの空間はなかったので、人をかき分けかき分けようやく移動できるほど。最悪の事態は避けられそうでした。
少し落ち着くと、子ども達もいくつかのグループに分かれました。ちょうど3年生ぐらいでしょうか、まだあまり男女の仲も悪くないらしく、仲良くじゃれあっていました。
でも、そんな片隅にやはり何人かの子が一人ぼっちでたたずんでいるのです。
にぎやかな車内にあって、そのところだけが対照的に空気が止まったままでした。
見てる方が心配になってきます。
ところがです。やっぱり子どもの世界ですね。世話好きな男の子が声をかけようと近づいてきました。
こんな世話好きな子こそ、希少価値ではないでしょうか。
ラッコ横山
3〜4才の頃の記憶は全くないのに、1〜2才の頃の記憶でまだ覚えていることが3つあります。その1つはこんなことです。
『真っ暗な押入れの座布団の中でうとうとしていると、ふいにふすまが開けられて明るくなり、誰かが手を差しのべてくれたのでそこから出て行く。』というものです。
中・高生の頃にはその他にもまだ沢山の記憶があり、その中にまぎれてあまりこの意味など気にもしませんでした。ところが、年を重ねるにしたがって多くの記憶が忘れ去られ、一番古いはずの3つの記憶だけが残ったのです。その記憶の意味が最近になってようやくわかった気がしたのです。
それはきっと、まだよちより歩きだった私がたまたま開いていた押入れの中に入って、そこにしまわれていた座布団につつまれて眠ってしまったのでしょう。それに気が付かずに誰かが押入れのふすまを閉めてしまったのです。しばらくして、大人たちは私のいなくなったことに気がつき、ありとあらゆる所を探し回ります。姉達もかり出され、近所の人達も集まってきていたのだと思います。このころはまだ5人組というものが残っており、何かがあると必ず力を合わせてやる習慣が残っていたからです。そんな中で誰かが押入れを開けて、そこで寝ていた私を発見したのでしょう。そのときの周囲の大騒ぎが子供心に、“今の状況は何か重大なことを意味するんだ。”と感じ、そのことが頭の中に焼き付けられて残されたのだと思います。
残りの2つは、『庭のすみで裸のまま自分のしたうんちをビンにつめているもの。』と『病院の屋根瓦の上にしいた布団に寝かせられていて、すぐ近くにおきた火事の火と煙が見えた。』というものです。3つ目のものは2才のときに盲腸の手術で入院したときのものですが、この入院に関してもこの火事のこと以外は全く覚えていないのです。病院の屋根はきっと、屋根に干した布団の良く見える場所に寝かせられていたのでそうなったのだと思いますが、もしかするともっと深い意味があるのかも知れません。いずれにしても、周りが大騒ぎになっていて、子供心に事の重大さを感じて記憶に焼き付けられて残されたものだと思います。
今頃になってこんな理由がわかるなんて思いもしませんでした。みなさんもこのころのことを何か覚えていますか。
カーネル笠井
国語を教えていて感じることがあります。
この登場人物はどんな気持ちかしらという問いかけに
うれしい・悲しいの2種類のこたえがとても多いのです。
どんな風にうれしいの?と聞いてもそれ以上の言葉がでてきません。
自分の気持ちを色々な言葉で表現できたら
きっと文中の気持ちもあらわせるのに。
子どもが小さい時に空に浮かぶ雲が何に見えるか話してもらう。
お花がしゃべったら何ていうかなと考えさせてみる。
感じる心を言葉であらわすことが
語彙力を高めるもとになってくるとおもいます。
福井
先日、生徒と話していて面白い経験をしました。それは、頭の構造を見ているようなものでした。
生徒「おじいちゃんてやさしいよ。」
私「えっ、おじいさんはやさしい?」
“おじいさんはやさしい”という言葉に何か別の意味のある言葉のような気がしてそれを思い出そうとしたのですが、すぐにはそれ以上は思い出せませんでした。ところがしばらくすると、それは「おじいさんはやさしい」ではなくて「まごはやさしい」だったような気になり、これなら確かに別の意味で何回も聞いたことがあるはずだと確信がもてるようになりました。すると、やがてこれがいろいろな食材を表す言葉で、確か、まごの“ま”はマメの頭文字の“ま”だったことを思い出したのです。すると間もなく、これは健康を保つために不足しがちな食材を忘れないように表したもので、まめ類、ごま、ワカメなどの海藻類、野菜、魚、シイタケなどのきのこ類、いも類の頭文字を並べたものであることを思い出したのです。少し時間はかかりましたが、意外としっかり覚えていたことにびっくりしました。「おじいちゃんはやさしい。」という言葉が頭が引っかかり、それが意味することを思い出す手順をスローモーションのように見せてくれました。
普通はこれを一瞬に行っているのでしょうが、時間はかかったけれど思い出せなかったよりはましかななどと楽観的に考えることにしました。これを思い出してみると、やはりこれらの食材はなかなか毎日は取れていないことに気付きました。それでもわが家ではこのうちの1つで最近飽きずに食べ続けているものがあるので紹介します。それは“めかぶ”です。市販のカップに入っためかぶを買ってきて、これにダイコンの千切りを同量加え、レモン汁と甘みの少ないだししょう油を加えるのです。とてもさっぱりしていてお腹の中が洗われるような気がし、息子の大好物にもなっています。是非試してみて下さい。
カーネル笠井
少しだけ長く生きるようになったせいでしょうか、年を重ねるごとに知り合いの方とばったりと出会う機会が増えています。
先々月は上野毛駅のホームで昨年卒業した生徒のご家族全員と、先月は中央林間駅構内でやはり昨年卒業した生徒とお母さんと、昨日は学校から帰る我が娘と乗換駅で出会いました。
そう考えるとこれまでもいろいろな出会いがあったことを思い出します。
最も驚いたのは学生の頃、帰省するために乗った新幹線でのこと。いつもと変わらぬ車内販売が通りがかった時です。「すみません!コーヒーをください」とお金を払おうとしてその女性を見た瞬間、どこかで見た面影が?・・・確か、小学校か中学校の頃の同級生だったような?・・・すると向こうも気がついたらしく、小学校の同級生だったのです。アルバイトで乗り込んだ新幹線が同じ列車だったというわけです。
やはり学生の頃のできごと。父親が手術入院のため帰省し、実家で留守番をしていた頃。夜に買い物があって車で繁華街に出ました。
きっと交差点での一旦停止を怠ったためか、取締りをしていたお巡りさんに呼び止められました。
とっさに減点→罰金→親に叱られる・・・などと頭の中をかすめたときです。
「横山さんて昔 自分の担任の先生も横山さんでしたよ」
えっ!それって自分の父親では・・・?
すると、やはりお互いが思いついた人物は同一だったのです。お巡りさんが中学生の頃の担任が実は父親だったそうです。
「当時は大変お世話になりました!」と敬礼されてしまい、おまけに「では、気をつけてお帰りください!」と、難を逃れたことを思い出しました。
偶然か必然か、とりあえず偶然と思いたいものです。
ラッコ横山
先月まで一枚の葉も花びらもなかった『こでまり』に一挙に花が開きました。見事です。植物の生命力にただ驚くばかりです。
ようやく暖かさも本格的になってきました。そこで、これからが最も旬な【森林浴】の話をしたいと思います。
森林浴とは、新鮮な空気や静けさなどを求め森林に入ることで、心身をリフレッシュし、健康の維持などを図ることを言います。
森林浴の効用には、森林の緑が目の疲れを癒したり、音を遮断し、静寂を保つことにより精神的な安定が得られます。さらに樹木が放出するフィトンチッドという物質による殺菌作用などがあげられます。中でもフィトンチッド効果は、ドイツなどでも医学的に注目され、リラクゼーション効果や循環器系の病気療養に森林浴を活用する試みが行われているそうです。
新学期も始まり何かと変化に対応することで精神的な疲れもたまっている頃です。GWはぜひご家族で【森林浴】でリフレッシュはいかがでしょうか?
■林野庁・緑の文明学会が制定する
「全国森林浴の森百選」は次の通りです。
(東京・神奈川)
・高尾山 東京都八王子市
・明治神宮の森 東京都渋谷区
・御岳山 東京都青梅市
・藤野(相模湖)の雑木林 神奈川県津久井郡藤野町
・真鶴岬 神奈川県足柄下郡真鶴町
・西丹沢神奈川県県民の森 神奈川県足柄上郡山北町
※個人的なお勧めスポットは東京は白金・自然教育園、横浜は緑区の四季の森公園、子どもの国です。
森に入るときは、ランチや飲み物はもちろんですが、植物図鑑や昆虫図鑑さらにはスケッチブックを持参するとよいと思います。実際に目にふれ手にとったものを記録しておくことは子どもにもよい経験だと思います。
ただし、場所によっては自然そのものを保護している場合もありますから、持ち帰れるかどうかは事前に確かめておくとよいでしょう。
ラッコ横山
昨日、いつもとは違う曲を聴こうと思ってCDラックを探っていると、昔のグループサウンズのCDが見つかりました。いつ買ったのかも良く覚えていないものでした。さっそくヘッドホンをつけて聴いてみました。たしかになつかしく思う曲ばかりでしたが、ボーカルもストリングスも最近の曲に比べてはるかに劣ると感じてしまいました。きっとこれを買ったときにも1度聴いて、もう聴く気にはなれずにそのままになっていたのだと思います。
そんなとき、ちょっと前に聞いた元オリンピック選手の言った言葉を思い出しました。オリンピックでは、同じ実力を持っているとしたら、若い選手と年配の選手とではどちらが有利なのですか?という質問に答えるものでした。短期戦ではだんぜん若者の方が有利なのだそうです。年配者はいろいろと失敗経験があるので、それが頭によぎりなかなか思い切ったプレーができないのだそうです。それに比べてまだ成功経験しかない若者は思い切ったプレーができるのだそうです。そして長期戦になると年配者の経験が生きて、こちらの方が有利になるというのです。
これを頭に入れて聴くと、確かにほとんどの曲のあちこちにいろいろな工夫が見えかくれしているのでした。それが逆効果になっているものも多くありましたが、失敗することなどは全く念頭にないといった思い切ったアイデアにあふれるものばかりでした。そして、グループサウンズのブームが終わるとフォークソングのブームがやって来ます。これも始めは素人ばかりのグループが活躍していましが、やがてその中に素人のふりして実力的には完全なプロのグループがデビューしていたのです。それが「フォーククルセイダーズ」や「赤い鳥」、フォークの女王と呼ばれた「森山良子」などです。彼らの歌声、楽曲の完成度はやはり他の素人のグループに比べて軽く2ランク位は上位のものがありました。そして彼らは今でも日本の音楽界に君臨しているのです。これが長期戦ということになるのかななどと考えながら久し振りの曲を楽しみました。
では、中学受験は短期戦なのか、それとも長期戦なのでしょうか。第一志望に合格していった多くの子供達を見ると、やはり短期戦のような気がします。苦手などあまり気にせずに自分の得意なことをどんどんやって一気に突っ走っていったような気がします。どうやら夏休み頃まではどんな子でも好きな教科をどんどんやらせることでいいのではないでしょうか。そして苦手な部分は併走する大人の知恵でカバーしてやるのが理想的な受験勉強のような気がします。
カーネル笠井
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