よく、死などの危機に直面したときに、過去の記憶が走馬燈のようにめぐりめぐって思い出されることがあると言いますが、実は私も同じような経験を何回かしたことがあります。一番良く覚えているものは30代半ばのときに経験したものです。
深夜になってしまった仕事帰りに、最寄駅からは自転車に乗って帰ったときのことです。交通量の少なくなった車道を自転車で横断しました。反対側の歩道は10cmほどの段差があって高くなっていました。いつもは、それくらいの段差は走りながら前輪を持ち上げて簡単に乗り越えていたのです。この日もそのつもりで歩道に向かって進んでいました。しかしこの日は、段差に向かって少しななめに進んでいたことと、ジャンプするタイミングが少しズレてしまったことで、前輪が段差に引っかかってしまい、ハンドルが大きく曲げられてしまったのです。当然自転車はそこにたおれ、乗っていた私は歩道の上にいきおい良く放り出されてしまいました。そのときです。
『かなりのスピードがあるな。このまま体が転がらないように手で支えると、手にかなりの負担がかかり、すりきず程度じゃすまないかも知れない。だったらむしろ柔道の受身のように左肩から入って一回転した方が安全だ。多少スーツはよごれるけれど仕方がない。』
といった内容のことを一瞬に頭の中で考えていたのです。内容はもっと断片的だったのかも知れませんが、後でもこれだけの内容があったことをはっきりと覚えていたのです。そして結果はそのときの予想通りにうまく一回転して止まったのです。たいしたすりきずもなく、スーツもそれほどよごれなかったのです。
すぐにどこからともなく一台のタクシーがやってきて止まりました。
運転手「お父さん、大丈夫ですか。何か手伝いましょうか。」
私「すみません。たぶん大丈夫です。」
運転手「あぶないですよ、気をつけてくださいね。それでは。」
と言って走り去っていきました。実はこのときの私は、転んだことよりも「お父さん」と呼ばれたことの方にショックを感じていたのです。自分ではまだまだ若いと思っていたのですが、回りから見ればしっかり「お父さん」といった感じなのでしょう。それに加え、やはり体力のおとろえも感じ、その後あまり無茶をしなくなるきっかけにもなる事件でした。
長く生きていると本当にいろいろな経験をするものです。
カーネル笠井
昨晩(正確には本日未明)深夜に遅い夕食をとりNHKで、前日このブログに書いた「JUDO」の再放送を見た後です。ニュースで最初の地震情報を放送していました。東京・横浜では小さな揺れだったようです。するとその時です。今度は自分の足下でゆっくりとした横揺れが始まりました。徐々に徐々に大きく揺れるとTVのアナウンサーもその揺れに反応し、「ただ今スタジオでも揺れを感じています」とコメント。と同時ぐらいに「緊急速報」で地震の警戒注意を促すアナウンスが出ましたが、残念ながら予告にはならず事後になってしまいました。しかも、その速報のあと、一旦ニュース番組が終わり、深夜の番組に変わったのです。現地では震度5という揺れにも関わらずNHKでニュース速報から一般の番組に変わることすら、まだ対応の課題があるようです。
幸い、東京・神奈川では大地震には至りませんでしたが、もしものことを考えると、緊急時の万全な対応が必要だと実感しました。
なお、生徒に聞いてみたところ、深夜の揺れに気が付いて起きた生徒はいなかったようです。きっと深い眠りの中で大船にでも揺られていたのでしょう。とっさの時、それもまた問題かも知れませんね。
ちなみに、今回の茨城県沖地震は、今年3月8日にマグニチュード5.3、昨年11月30日にもマグニチュード4.5の地震が続いていたところでした。
ラッコ横山
先日、低迷する日本「柔道」の特集番組に釘付けとなってしまいました。近年世界の舞台で苦戦を強いられている日本「柔道」の原因を探る、面白い企画でした。
結局、どこまでも一本勝ちに拘る日本「柔道」と、たとえ相手に技を投げられ倒れてまでも相手を返してポイントを奪うという、貪欲なヨーロッパ「JUDO」の違いを目の当たりにして驚きました。さらに、現世界チャンピオンのフランス人選手の言葉に愕然としました。
「たとえ自分の技が出せなくても相手のペースで試合をさせないこと。勝つことよりいかにして負けないかが大事なんだ。また、オリンピック以外の試合ではトップレベルの日本人選手に手の内を見せないことを意識している」と言っていました。
ヨーロッパで開催された世界各国選手の練習でさえも、日本人選手は練習を申し込んでも断わられるのです。徹底的に日本選手がマークされていたのでした。
しかしそれでも一本勝ちにとことん拘った井上康生選手の魂も素晴らしい限りです。
「応援してくれる人は自分の一本勝ちに期待している。だからどうしても一本勝ちにこだわってきた。」
井上選手の引退が「柔道」における新しい時代の到来を告げるようでもあります。
オリンピックではとことん勝ちに拘る日本「JUDO」が観られるかも知れません。
とても考えさせられた番組でした。
とことん1点にこだわる中学受験にも共通することです。
ラッコ横山
柏餅を食べられましたか。
今日は端午の節句、そして立夏でもあります。
俳句の季語はこの旧暦に即しているので
こいのぼり・吹流しなどこどもの日に関する言葉は
夏の季語になります。
昔はお祭りやこれらの行事が大きな楽しみで
季節の移り変わりを大事にしてきたのだと思います。
今はたくさんのレジャーや楽しみがありますが、
次の世代にも廃れることなく繋げていきたいものです。
我家は息子も成人していますから鯉のぼりはかざりませんが、
ベランダのプランターにミニ鯉のぼりのスティックをさしています。
福井
駅までの歩道の植え込みにはツツジがぎっしりと植えられていて、こぼれ落ちそうなほど沢山の花を咲かせ始めました。ちょっと足をのばした山間の団地の道路には、両側すべてに白い花のツツジが植えられていてとても見事です。この時期にはそこを車で走るのを毎年の恒例行事にしています。
わが家の窓から見える藤棚は、4月の中旬になっても一向に息吹く様子がなく、今年は花をつけないのかと心配し始めていたところ、ここ1週間であっという間に紫色の花の房と黄緑色の葉をつけてしまったのです。どこにあんなエネルギーがたくわえられていたのか、本当に不思議にさえ思えてきます。
この花に加えて今年さらに素晴らしいのは、団地内の違反駐車防止のために設置されたたくさんのプランターに植えられている花が、どれも素晴らしいことです。団地をひと回りすると、ちょっとした花のテーマパークにでも行った以上に数々の花が楽しめるのです。わが家が水やりを担当している3つのプランターにも、今はたくさんのパンジーとチューリップが咲いています。特にチューリップは30本近くも植えられていてとても見事です。
このプランターは私が団地の理事をしているときに、1人の理事の提案で設置したものです。「ベランダで育てる花だけでなく、みんなに見てもらえる所に花を植えたいと思っているお年寄りがたくさんいるはずだ。プタンターを設置して、ご自由にお使い下さいと広報しておけば、きっとみんなが花を植えてくれるはずだ。」という意見でした。この思惑通り、しだいに花が植えられるようになり、顔くらい大きなユリや、夏にはハイビカス、初めて見る大きくて見事な花など、四季を通して楽しめるようになりました。
私が理事をしているとき、もう1つ初めて開始されたことがあります。1人の理事の提案で300万円ほどの予備費というものが設定されたことです。「せっかく理事になって一生懸命にやろうとしても何の予算もなく、緊急で修理をしたいときでさえ総会を開かなくては何も決められない。多少自由に使える予算があって、何かあったときに緊急に対応できれば、そうすることで団地の資産価値も高くなるはずだ。」というものでした。こちらも思惑通り、この予算は主に団地の美化に使われているようで、住人からのちょっとした苦情や意見にすぐに対応できるようになり、いつもきれいに整った状態が続いています。長い人生経験を持つ人の計算はぴったりと当たるもののようです。
それに比べて最近の自民党のおえらさん達がインタビューなどで答える思惑がまったく当たらないのはどうしてなのかと考えてしまいます。もともと当てようという気がないのか、経験に基づかない思惑なのかのどちらかなのでしょう。もっと良い考えをもっている人もたくさんいるはずですから、ぜひそんな人の意見に耳を傾けて欲しいものだと思います。
カーネル笠井
5月は亡くなった祖母の名前の由来から一番記憶に残っている月です。
生まれ月の名前をつけられた祖母は「さつき」というひらがなの名前でした。
おばあちゃん子だった自分をこよなく可愛がってくれました。
昔は自身でお店もやっていました。当時にしてはハイカラなお店で、化粧品(最近リバイバルの椿オイルなど)やコーラやジュースも置いてあったと記憶しています。商売というよりは、近所の子ども達と町の人たちのためと言った様子でした。
5月は緑の香りがすがすがしく心弾む季節です。新中学1年生にとっては初めての中間テストです。たくさんの教科は大変ですが計画的に進めましょう。
『こだわりを 捨てれば心は 五月晴れ』
(近くのお寺に掲示してあった5月のことばより)
ラッコ横山
気候もよくなり遠足シーズンの到来です。
東急沿線には「こどもの国」もあり、午後から夕方の電車には、突如として遠足列車と様変わりすることもあります。
そしてやはり・・・。
車内に午後の静寂と平和が漂っていたのは長津田駅まででした。そして駅に到着しようかという時に目の前に見えるのは子ども達の大群、大群、大群。来たぞ〜とばかりにあっと言う間に子どもずくしとなってしまった車内。
先生もあまり注意しないようで、子ども達はやりたい放題。幸か不幸か車内を走り回れるほどの空間はなかったので、人をかき分けかき分けようやく移動できるほど。最悪の事態は避けられそうでした。
少し落ち着くと、子ども達もいくつかのグループに分かれました。ちょうど3年生ぐらいでしょうか、まだあまり男女の仲も悪くないらしく、仲良くじゃれあっていました。
でも、そんな片隅にやはり何人かの子が一人ぼっちでたたずんでいるのです。
にぎやかな車内にあって、そのところだけが対照的に空気が止まったままでした。
見てる方が心配になってきます。
ところがです。やっぱり子どもの世界ですね。世話好きな男の子が声をかけようと近づいてきました。
こんな世話好きな子こそ、希少価値ではないでしょうか。
ラッコ横山
3〜4才の頃の記憶は全くないのに、1〜2才の頃の記憶でまだ覚えていることが3つあります。その1つはこんなことです。
『真っ暗な押入れの座布団の中でうとうとしていると、ふいにふすまが開けられて明るくなり、誰かが手を差しのべてくれたのでそこから出て行く。』というものです。
中・高生の頃にはその他にもまだ沢山の記憶があり、その中にまぎれてあまりこの意味など気にもしませんでした。ところが、年を重ねるにしたがって多くの記憶が忘れ去られ、一番古いはずの3つの記憶だけが残ったのです。その記憶の意味が最近になってようやくわかった気がしたのです。
それはきっと、まだよちより歩きだった私がたまたま開いていた押入れの中に入って、そこにしまわれていた座布団につつまれて眠ってしまったのでしょう。それに気が付かずに誰かが押入れのふすまを閉めてしまったのです。しばらくして、大人たちは私のいなくなったことに気がつき、ありとあらゆる所を探し回ります。姉達もかり出され、近所の人達も集まってきていたのだと思います。このころはまだ5人組というものが残っており、何かがあると必ず力を合わせてやる習慣が残っていたからです。そんな中で誰かが押入れを開けて、そこで寝ていた私を発見したのでしょう。そのときの周囲の大騒ぎが子供心に、“今の状況は何か重大なことを意味するんだ。”と感じ、そのことが頭の中に焼き付けられて残されたのだと思います。
残りの2つは、『庭のすみで裸のまま自分のしたうんちをビンにつめているもの。』と『病院の屋根瓦の上にしいた布団に寝かせられていて、すぐ近くにおきた火事の火と煙が見えた。』というものです。3つ目のものは2才のときに盲腸の手術で入院したときのものですが、この入院に関してもこの火事のこと以外は全く覚えていないのです。病院の屋根はきっと、屋根に干した布団の良く見える場所に寝かせられていたのでそうなったのだと思いますが、もしかするともっと深い意味があるのかも知れません。いずれにしても、周りが大騒ぎになっていて、子供心に事の重大さを感じて記憶に焼き付けられて残されたものだと思います。
今頃になってこんな理由がわかるなんて思いもしませんでした。みなさんもこのころのことを何か覚えていますか。
カーネル笠井
国語を教えていて感じることがあります。
この登場人物はどんな気持ちかしらという問いかけに
うれしい・悲しいの2種類のこたえがとても多いのです。
どんな風にうれしいの?と聞いてもそれ以上の言葉がでてきません。
自分の気持ちを色々な言葉で表現できたら
きっと文中の気持ちもあらわせるのに。
子どもが小さい時に空に浮かぶ雲が何に見えるか話してもらう。
お花がしゃべったら何ていうかなと考えさせてみる。
感じる心を言葉であらわすことが
語彙力を高めるもとになってくるとおもいます。
福井
先日、生徒と話していて面白い経験をしました。それは、頭の構造を見ているようなものでした。
生徒「おじいちゃんてやさしいよ。」
私「えっ、おじいさんはやさしい?」
“おじいさんはやさしい”という言葉に何か別の意味のある言葉のような気がしてそれを思い出そうとしたのですが、すぐにはそれ以上は思い出せませんでした。ところがしばらくすると、それは「おじいさんはやさしい」ではなくて「まごはやさしい」だったような気になり、これなら確かに別の意味で何回も聞いたことがあるはずだと確信がもてるようになりました。すると、やがてこれがいろいろな食材を表す言葉で、確か、まごの“ま”はマメの頭文字の“ま”だったことを思い出したのです。すると間もなく、これは健康を保つために不足しがちな食材を忘れないように表したもので、まめ類、ごま、ワカメなどの海藻類、野菜、魚、シイタケなどのきのこ類、いも類の頭文字を並べたものであることを思い出したのです。少し時間はかかりましたが、意外としっかり覚えていたことにびっくりしました。「おじいちゃんはやさしい。」という言葉が頭が引っかかり、それが意味することを思い出す手順をスローモーションのように見せてくれました。
普通はこれを一瞬に行っているのでしょうが、時間はかかったけれど思い出せなかったよりはましかななどと楽観的に考えることにしました。これを思い出してみると、やはりこれらの食材はなかなか毎日は取れていないことに気付きました。それでもわが家ではこのうちの1つで最近飽きずに食べ続けているものがあるので紹介します。それは“めかぶ”です。市販のカップに入っためかぶを買ってきて、これにダイコンの千切りを同量加え、レモン汁と甘みの少ないだししょう油を加えるのです。とてもさっぱりしていてお腹の中が洗われるような気がし、息子の大好物にもなっています。是非試してみて下さい。
カーネル笠井
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