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神戸角打ち学会(至福の立ち呑み)

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『浜町 恵美須神社』大分市の歴史を訪ねて(其の弐)!

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【大分市の歴史を訪ねて (其の弐)】

     『浜町 恵美須神社』   大分市勢家

★元々は伝説の島?と言われる 「瓜生島(沖ノ島とも)」 にあったと伝えられる神社!
★瓜生島は今の高崎山、生石町、王子町、春日浦、勢家町、浜町の沖に浮かぶ島
  (周囲約12km、12ヶ村、約1000戸、人口5000人)だったと伝えられ、
  慶長元年(1596年)日本列島を広範囲に襲った大地震で沈んだとされる島です!
★瓜生島にある恵美須社の十二神将の顔が真っ赤になると島が沈むといわれ、
  この言い伝えを信じなかった者が、慶長豊後地震
    (文録大地震ともいうがこの年は後に文録から慶長に改元されています)
  の前に神将の顔に朱を塗り、神罰が当たり島が沈んだとされる伝説があります!
★恵美須社はその後、瓜生島の住人により現在の地に再建
  (慶安四年〔1651年〕とも正保二年〔1645年〕ともいわれる)されたとか。

※ここの祭りは海上渡御があり神輿は粗っぽいく、子供のころは神輿が海に入るところを(神輿洗い、
  海中渡御)何度か見ました! 現在のお祭りはどんなのでしょうか?

※御手洗いの石作のおおきな赤い鯛が目立ち、さすが恵美須さまだと!


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「小鹿」の麦焼酎も美味しい!

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「小鹿」の麦焼酎も美味しい! 「小鹿」の麦焼酎も美味しい! 「小鹿」の麦焼酎も美味しい! 「小鹿」の麦焼酎も美味しい!

あの芋焼酎で有名な 「小鹿」 の麦焼酎です! (すわやま酒場)

二条大麦を原料とし、照葉樹林が広がる大隅半島中央部・国見山山系の伏流水を仕込み水に醸す。

麦のさわやかな香りにスッキリとした自然の甘味を感じますが、しっかりとした味わいの麦焼酎です。
  
           『小鹿酒造』  鹿児島県鹿屋市吾平町


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赤兎馬に合う料理は!

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赤兎馬に合う料理は! 赤兎馬に合う料理は! 赤兎馬に合う料理は!

赤兎馬に合う料理は今まで沢山紹介してきましたが!

今回はこれです!

「鶏の背肝!」  鶏の心臓の接続部位、つなぎとか鶏ホルモンとか言います!

弾力となんとも言えない食感で味がとても良く美味しいです♪ 焼酎に会います♪


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『王子神社』大分市の歴史を訪ねて(其の壱)!

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【大分市の歴史を訪ねて (其の壱)】
  
     『王子神社』  大分市王子北町3-22

★日本でただ一カ所の鋳鉄製鳥居がある神社です!  我が実家の氏神様です!

★創建は延久元年(1069年)、拝殿に架かる扁額を見ると本来は 「若一王子大権現」 と称すようです。

★この辺りは江戸時代駄ノ原(だのはる)村と称し、「駄ノ原鋳物師」と呼ばれる職人が多く居住した地域で、
入口の鳥居は明神鳥居の様式をとるもので、寛政8年(1796)府内藩主・松平近儔(ちかとも)により奉納された市重要文化財指定の鋳鉄製の鳥居です。
昭和20年(1945)7月16日の大分空襲の際に被災し、笠木、鳥木は新造しましたが、柱と貫は制作当時のものです。

★この鳥居を製造した駄ノ原鋳物師(植木氏、渡辺氏、吉松氏等)は、この駄ノ原一体を拠点とし古くは大友家に仕え石火矢(大砲)の製造をはじめ、梵鐘や仏像、日用品に至るまで多くの金物を手がけた。

★大友氏などにより多くの造営が行われてきたが、昭和二十年の空襲で焼け、その後ようやく昭和三十五年に神殿・拝殿その他が再建された。

※実家の氏神で父は亡くなるまで宮総代を務め、今では例祭であたりまえに行われている神輿の復活や子供祭りや子供神輿の復活・巡行に携わりました。
また、父は大蔵省財務局に努めていた関係から、慣れている文章作成や会計の仕事も任され、宮総代と総務、会計経理も兼任していました。

※父は大のお祭り好きで町内の皆さんから慕わられてました。大分独特の拍子であるチキリン囃子を子供のころ父から教わり、よく例祭のときに叩いた思い出があります♫


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