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今週、日本では韓国政府が2015年日韓合意に基づく慰安婦の『和解・癒し財団』の解散を発表したことがニュースになっている。
アメリカではサンフランシスコ市が約1年前に市有地での設置を許可した慰安婦像をめぐって、大阪市は10月に1957年から続いていた姉妹都市の関係を解消した。シアトルでも12月3日に『The Apology』というドキュメンタリー映画が上映される予定である。この映画は日本政府に謝罪を求める韓国、中国、フィリピンの慰安婦に関するもので、2016年にNational Film Board of Canadaが制作した映画だという。アメリカでは慰安婦問題は現在も進行中であり、そのたびにわれわれアメリカ在住日本人は不快を感じる。慰安婦像にしても映画にしても不確かで一方的な事実とは異なることを主張し、その目的が日本を貶める政治的な意図が見え隠れするからである。
アメリカには中国系の『世界抗日戦争史実維護連合会』や韓国系の『ワシントン挺身隊問題対策委員会』のような反日政治団体があり、慰安婦問題などを利用して日米を離反させるような活動を行っている。今回の『The Apology』の上映会の主催者のひとつに『脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク』なる組織が示されているが、今どきアメリカで日本人が植民地化反対運動を行う趣旨が理解出来ない。
2014年1月8日付ブログルでくまごろうは慰安婦問題を取上げそこでも述べたが、悲しいことは慰安婦問題が大きな国際政治問題となったのはすべて日本人によってである。吉田清治による捏造記事、朝日新聞植村隆記者による偏向記事、韓国人に慰安婦を名乗れば金がもらえる、とそそのかして日本政府に対する慰安婦裁判の原告に仕立て上げた活動家や人権派弁護士たち、戸塚悦郎弁護士による国連に対する日本批判のロビー活動、それに意図的であったとされている朝日新聞の多くの誘導記事や誤報など、彼らは戦後多くの人々によって築き上げられてきた日韓関係を結果的に台無しにしてきた。
日韓政府間では2015年合意によって慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されたはずであるが、アメリカではこの問題は現在でも生きており、今後も注意深く見守ってゆく必要がある。われわれはサンフランシスコに慰安婦像が設置されるとは思ってもみなかったが、今度はシアトルに慰安婦像が設置されるかもしれない。慰安婦像が設置されてからでは手遅れになる。
Osprey V-22 (US Navyより借用)
Vertol CH-46 Sea Knight (Wikimedia Commonsより借用)
最近沖縄でアメリカ海兵隊の輸送機オスプレイが空中給油訓練中の事故で機体の一部を破損し、浅瀬に不時着大破した事故が地元で政治問題となっている。くまごろうは2013年3月8日のブログルにオスプレイについて投稿したが、改めてオスプレイについて考察する。
オスプレイV-22は50年以上前の1964年から運用されているアメリカのバートルCH-46中型輸送ヘリコプターの後継機として開発され、2005年から運用されている。オスプレイは推進器であるプロペラを離着陸時の上向きから巡航時の前向きに変更するティルトローター方式という高度な技術を採用しているため、1989年の初飛行以来、運用開始までに4回の重大事故を起こしているが、原因究明の上改良が加えられ、2005年末に運用が開始された。その後も何回か事故が発生しているが、その都度原因が究明され対策が施されている。少し古いデータではあるが防衛省発表の2003年10月より2012年4月までのデータによれば、オスプレイの事故率は103,520時間の飛行に対し2件で100,000時間あたり1.93であり、1960年代から配備されている輸送用ヘリコプターCH-46の事故率1.11には劣るものの、アメリカ海兵隊所属の全航空機の事故率2.45より低い。オスプレイによる死亡事故は運用開始前の1992年の事故で7名、2000年アリゾナでの事故で19名、2000年ノースカロライナでの事故で4名の30名に達したが、運用後は2010年アフガニスタンでの事故で4名、2012年モロッコでの事故で2名、2015年ハワイでの事故で2名の8名にとどまっている。
運用後のオスプレイ事故で指摘された問題点のひとつはホバリング時の地上の粉塵巻上げによる視界不良とエンジンへの粉塵侵入であるが、これらは従来のヘリコプターでも発生する垂直離着陸航空機の宿命でもある。この問題についてパイロットの証言では引退するバートルCH-46と比較してオスプレイの方がオートパイロット機能などにより着陸は容易とのことであり、またオスプレイのエンジンは粉塵防護のためのエアフィルターが強化され、問題が発生しにくくなっている。また運用上はハワイでの事故後、砂地離着陸時のホバリングをそれまでの60秒以内から30秒以内に短縮しエンジンへの悪影響を減少させている。因みに砂地離着陸でのホバリングは通常10秒以内である。
オスプレイは従来の輸送用ヘリコプターCH-46の約4倍である600Kmの行動半径を持ち、最大速力は約2倍の520Km/hr、輸送人員数や搭載可能貨物重量も2倍以上であり、緊急時の輸送や救助には大きな力を発揮するので、離島が多く、自然災害も多発する日本では有効な選択肢の一つである。自衛隊もオスプレイの運用上の利点を勘案し、平成30年までの中期防衛計画で17機のオスプレイ導入を決定している。マスメディアはオスプレイは危険だ、と国民をあおるような報道をするより、データに基づいてオスプレイの機能や実績を冷静に分析しその上で問題があれば提起すべきであろう。
マーサーアイランド市より10月2日から公布されていた病原性大腸菌汚染対策のための水道水を飲食用および食器類の洗浄に使用する場合は沸騰する、更に歯磨きも沸騰した水またはボトル入りの飲料水を使用する、との指示が10月8日に解除された。この間、市は給水主配管のフラッシングを実施し、また毎日18ヶ所で水質検査を行い大腸菌汚染がないことを確認した。市が公表した水質検査のマップによれば、9月26日には島の北部3ヶ所および南部1ヶ所、水道水沸騰指示が出された翌27日には北部1ヶ所で汚染が検出されたが、その後汚染が検出されなかったために9月29日に指示が解除された。しかし10月1日に北部1ヶ所で汚染が確認され、翌2日に再び水道水沸騰指示が発令された。しかし10月2日以降は汚染が一切検出されなかったのでようやく指示が解除されたのだ。
アメリカのような先進国で、その上マーサーアイランドに上水が供給されてからは完全密閉の給水システムでもこのような汚染が発生した原因はまだ特定出来ていない。市の一部地域のみで汚染が検出されているなら、その付近での水道管破損などによる逆流なども考えられるが、汚染は5キロメートル以上離れている島の北部と南部で検出されており、市によればこの原因は永久に解明されない恐れが高いとのことだ。念のため暫くの間、市は通常の約2倍の塩素を加え、殺菌効果を高めると言っている。
しかし水道水が飲めないということは不便なものだ。生野菜の洗浄も出来ず、またいくつもの大きな鍋で水を沸騰させ湯冷ましを作ることは、くまごろう達若くないものにとっては結構な仕事となる。改めて清浄な水道水の有難さを認識させられた。
E. Coli Bacteria (Wikimedia Commonsより借用)
アメリカではこのところテキサスでエボラ出血熱の患者が発生したと大騒ぎだが、くまごろうの住むマーサーアイランド市では9月27日、前日の日常的検査の結果市の水道水が病原性大腸菌に汚染されているため、水道水を飲食用および食器類の洗浄に使用する場合は沸騰すること、更に歯磨きも沸騰した水またはボトル入りの飲料水を使用するよう市民に指示すると共に、市内のすべての飲食店、コーヒーショップなどの閉鎖を命じ、水を使用するスーパーマーケットの生鮮野菜売り場や食肉・鮮魚売り場なども閉鎖された。この関係で9月29日は市内の学校もすべて休校となった。
わがやではこれに対応して9.5リットル入りの蛇口付ペットボトルの飲料水をキッチンや洗面所に置いて対応したが、炊事には水を沸騰させるので問題ないが食器洗いには困った。汚染されている水道水で下洗いした後に沸騰水ですすがなければならず、調理器具なども含めると結構大仕事になる。また生野菜のサラダが食べられなくなった。この問題でつくづく水道の有難さを実感させられた。この汚染水問題は9月29日の検査の結果陰性となったことにより解除されたが、10月2日、再び水道水の汚染が確認され、市は前回と同じ指示および命令を発令した。くまごろうたちは不便なだけだが、レストランなどは売上減となりたまったものではなかろう。
マーサーアイランド市は人口約23、000人の小さな市であり、他のシアトル周辺の市と同様に上水はシアトル市の組織のひとつであるSeattle Public Utilitiesから購入しているが、他の市に供給されている水道水は汚染されておらず、マーサーアイランド市の水道水だけから病原性大腸菌が検出されていると言う。ニュースによれば前回は6つの水質検査のうち4つのサンプルが汚染を示したとのことであり、今回も2つのサンプルで汚染が確認されているので検査結果を疑う余地は少ない。市は数年前にメインタンク内部のライニングを更新しており、われわれ市民が毎年受取る水質検査結果もすべて合格だったので安心していたが、場合によるとワシントン湖を横切る16インチと24インチのメインラインやポンプシステムなどに問題があるとか、原因はもっと重大なことかもしれない。その場合は解決にかなりの時間がかかることになるので、われわれ市民への影響は甚大である。
昨年末に安倍総理大臣が靖国神社に参拝したことについて中国と韓国が口を極めて非難している。中国大使はアメリカ、イギリス、ドイツ、オーストラリア、イスラエルなど多くの国の新聞に寄稿し、『日本は侵略の歴史を否定し、防衛費を増大して再び軍国主義に向かおうとしている。』、『東条英機元首相はアジアのヒットラーだ、A級戦犯を合祀している靖国神社を参拝するのは侵略の否定が目的だ。』などと主張し、更に王毅外相はダボス会議で『日本のA級戦犯はアジアのナチスだ。欧州の指導者がナチスの戦犯に献花したら欧州の人たちは許せますか。』と発言している。東条英機首相は陸軍大臣時代は中国からの撤兵に強く反対していたが、日米開戦回避を望む昭和天皇より総理大臣を拝命すると対米協調派の東郷茂徳を外務大臣に任命し、中国からの撤兵で妥協し、開戦派の急先鋒であった陸軍をおさえて開戦回避に尽力した。しかしアメリカは日本が受け入れられないハル・ノートを提示し、日米開戦となった。このような歴史的事実から、日米開戦の回避に尽力した東條首相は好戦的な独裁者ヒットラーでないことは明らかだ。また靖国神社に合祀されているA級戦犯は開戦前より戦時中の総理大臣、外務・陸軍・海軍大臣、外交官、軍司令官など14名であり、アーリア人至上主義・反ユダヤ主義・国粋主義・独裁主義が党の主張であったナチスとは全く異なる。
1月29日の国連安全保障理事会では、中国の国連大使は『靖国神社は日本の侵略のシンボルであり、安倍首相がファシストの戦争犯罪人を参拝したことは反ファシズム戦争の勝利と戦後秩序への挑戦だ、中国は国際的な正義を確保するため平和を愛する国々と手を携えていく。』と演説し、韓国大使は『靖国神社参拝は国際社会の礎への挑戦であり、歴史を否定することで近隣国を挑発することは慎むべきだ。』と訴えた。サンフランシスコ講和条約受諾後の日本は国際秩序の維持に最も貢献してきた国のひとつであり、遅れてきた帝国主義国家である中国こそが最近の急速な軍備拡張と国際法の恣意的な解釈により、周辺諸国との摩擦を引き起こしていることを自覚すべきである。
最近の中国は何かにつけて日本を貶めようとしているので、靖国神社問題も彼等の宣伝戦におけるひとつのテーマであるが、韓国がこの問題で日本を非難する理由が理解出来ない。そもそも韓国は1910年の大韓帝国の大日本帝国への併合により先の大戦では日本とは交戦しておらず、むしろ日本軍に所属して戦死した朝鮮人は靖国神社に英霊として祀られているが、韓国人の憎む朝鮮統監であった伊藤博文や日韓併合を推進した桂太郎首相は祀られていない。韓国は靖国神社問題については、単に歴史認識で日本を非難するために中国と協力しているに過ぎない。
国のために命を捧げた戦没者に対し尊崇の念を持って参拝することは国家の指導者としての当然の行為であり、更に不戦の誓いを新たにした安倍総理大臣は非難されるべきではない。日本国内には中国や韓国を刺激しないために主要閣僚の靖国神社参拝をするべきではない、との意見もあるが、靖国神社問題がなくても中国と韓国は歴史認識を持ち出し、相互理解や友好親善に努める努力をしてこなかった。韓国に配慮し過ぎたためにいまだに国際問題として残っている慰安婦問題の例もあり、日本は外国に過度な配慮をすべきではない。中国や韓国に謙譲の美徳は通用しない。西郷隆盛は西郷南洲遺訓に『正道を踏み国を以(もっ)て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まった)かる可(べ)からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受るに至らん。』と記している。中国や韓国の国際宣伝戦に負けないよう、日本もパブリックリレーションズの専門家もメンバーに加えて安倍首相の靖国神社参拝の真意を海外に伝えるべく、広報活動を積極的に展開すべきであろう。
それにつけてもオバマ政権の中国政策には失望する。アメリカ財務省証券を多く保有し、貿易相手国として大切にしたいという思いは理解出来るが、国際法を勝手に解釈して領土拡張を意図する中国には遠慮し、アメリカの安全保障にとって極めて重要な日本に対し冷淡すぎる。尖閣諸島の領有権にしても沖縄返還以前は沖縄領土としてアメリカが軍事訓練に使用しており、今は日本の領土であることを明言すべきなのに領土問題には立ち入らない態度を取り、中国の防空識別圏設定に対しても無視すべきなのにアメリカ民間航空には中国にフライトプラン提出を勧め、果ては安倍総理大臣の靖国神社参拝に対し失望したというメッセージを発し、中国を喜ばせている。韓国系アメリカ人や韓国の支援のもとにアメリカに次々と設置される慰安婦碑・像についても黙認し、日韓離反の一因となっていることに配慮しない。オバマ政権は日米同盟の深化のために、もう少し日本に配慮すべきである。
韓国の朴槿惠大統領は安倍政権が正しい歴史認識を持っていないという理由で就任以来10ヶ月が経過しても日韓首脳会談を行おうとせず、外国を訪問すればオバマ大統領、米国議会、習近平国家主席、メルケル首相などに対し日本の歴史認識を非難し続けてきた。
歴史の解釈はそれぞれの国によって異なるものであり、韓国は昨年来急接近している中国とでさえ共通の歴史認識は出来ておらず、そもそも他国に共通の歴史認識を求めること自体が非常識と言える。広島・長崎での原爆投下について、日米間では今でも異なる歴史認識であるのはその一例である。朴大統領が問題としている歴史認識は竹島の領有権、慰安婦、戦前の日本による朝鮮半島統治などに関することがらと思われるが、アメリカに在住していて気になるのは慰安婦問題である。
2007年7月、アメリカ連邦政府下院でマイク・ホンダ下院議員らが提案した慰安婦に関する日本政府に謝罪を求める121号決議案が通過し、2010年10月、ニュージャージー州パリセイズパーク市が、また2012年6月、ニューヨーク州イースト・メドウ市が日本を非難する慰安婦碑を設置し、更に2013年7月にはカリフォルニア州グレンデール市に慰安婦像が設置された。韓国系アメリカ人は韓国系住民の多い市で、その市の姉妹都市である韓国の自治体と協力してアメリカ各地に同様な碑などを設置しようとしているが、そのひとつであるカリフォルニア州ブエナパーク市は2013年8月、この提案を却下した。しかしアップルの本社があるカリフォルニア州キュパティーノでは中国系住民が慰安婦記念碑設置を提案している。この状態を放置すれば、いずれアメリカには日本を非難する慰安婦碑・像が多く設置されることになる。
日韓間の慰安婦問題の発端は1983年に発表された吉田清治著の『私の戦争犯罪』であるが、日本軍が朝鮮で無理やり若い女性を拉致し慰安婦にしたという内容が事実であるなら、日本は非難をまぬがれることは出来ない。しかしこの本の内容が全く事実に基づかない虚偽であることは1992年の文芸春秋4月号に発表された国際基督教大学の西岡力講師(当時)の論文、およびそれに続く拓殖大学秦郁彦教授の現地調査、そしてその際に発見された強制連行の現場とされる済州島の1989年8月14日付済州新聞の許栄善記者による聞き取り調査に基づく署名記事などによって明らかになり、最終的には1995年に吉田本人が虚偽であることを認めている。
1991年5月、朝日新聞は吉田の著書を取り上げ、8月には同社の植村隆韓国特派員がそれを裏付けるような証言に関する記事を掲載するなど、慰安婦問題キャンペーンを繰り広げ、韓国内でもこの問題が大きく取り上げられるようになって、1992年訪韓を目前にした宮沢内閣は事実関係を十分確認することなく謝罪を余儀なくされた。
1992年から1993年にかけて日本政府による慰安婦問題公文書調査が実施されたが、朝鮮半島での公的機関による強制連行は証明されず、吉田証言が虚偽であることが明らかになった。また韓国政府の選任した16人の元慰安婦の聞き取り調査を行ったが、2013年10月に産経新聞が入手したこの日本政府による聞き取り調査報告書では、証言があいまいで他の機会での発言とも食い違い、信憑性は低かった。しかし当時の日韓政治情勢に鑑みて1993年8月、河野洋平官房長官は『河野談話』を発表し、慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接これに加担したこともあったこと、などと慰安婦の存在を認めた。しかし河野官房長官は談話発表後に記者クラブで、談話での官憲等が直接これに加担したこともあったことは朝鮮での事例ではなく、インドネシアにおける日本軍人によるオランダ人女性の監禁・強姦事件(白馬事件)を指していることを説明している。なお、白馬事件に関しては、1948年に事件関係者は連合国側によりB、C級戦犯として死刑を含む有罪判決を受けている。『河野談話』は当時の韓国政府の強い要請により強制性をあいまいに認めたものであるが、2014年1月1日付産経ニュース電子版は、河野談話の原案は在日韓国大使館に提出され、韓国政府の要求によって修正された上で発表されたことが関係者の証言で明らかになった、としている。
宮沢首相の謝罪を受けて韓国では15人の学者による挺身隊研究会が組織され、元慰安婦と称する人たちの聞き取り調査を実施することとなった。韓国では軍需工場などでの労働に従事する挺身隊と慰安婦が混同されているが、韓国挺身隊問題対策協議会という民間団体は元慰安婦に対して日本政府から補償金を得る目的で設立され、元慰安婦の登録を行っていた。同協議会に登録していた元慰安婦110名のうち55名が存命で、挺身隊研究会はそのうちの40数名に対して聞き取り調査を行った。この研究会のメンバーであった後の安秉直ソウル大学名誉教授は、客観的資料がなく意図的に事実を歪曲しているケースが多く、調査に採用されたのは19名の証言のみ、と証言集に記述している。この証言集によれば、権力による強制連行があったとしているのは4名、そのうちの2名は釜山と富山への民間遊郭への連行であり、戦地でないこれらに官憲が連行するはずがなく、他の2名は貧困のため職業的売春婦となった人たちであり、日本政府に対する補償裁判での証言との食い違いが大きく、これらも信憑性がないことが明らかとなった。
1994年になって、村山内閣は平和友好交流計画を発表し、この中で慰安婦問題に関し日本政府と民間の募金により1995年、財団法人女性のためのアジア平和国民基金を設立し、この基金は民間資金による償い金5億7000万円(一人につき200万円)、政府資金による医療・福祉支援事業5億1000万円、および内閣総理大臣のお詫びの手紙を元慰安婦に贈った。これは慰安婦問題を穏便に解決する方策として実施されたものであるが、それでは反日活動の大義が失われるため、韓国挺身隊問題対策協議会は元慰安婦の償い金の受け取りに反対した。
他方、日本弁護士連合会は1992年、戸塚悦郎弁護士を海外調査特別委員に任命し、彼は国連に対するロビー活動を開始したが、NGO国際教育開発代表として国連人権委員会で発言する資格を得、韓国の運動団体とともに慰安婦問題を性奴隷として扱うよう同委員会およびその下部委員会に数回にわたり告発した。その結果1993年7月、国連人権委員会の小委員会はスリランカのラディカ・クマラスワミを戦時奴隷制問題の特別報告者に任命したが、クマラスワミ報告者は日本、韓国、北朝鮮での調査を実施後、1996年『女性への暴力に関する特別報告書』を提出し、国連人権委員会はこの報告書を採択した。しかしこの報告書は聞き取り調査の裏付けも検証せず、当時日本では既に虚偽であることを本人が認めた吉田清治の著書、吉田の著書を事実として転用している香港在住のオーストラリア人ジョージ・ヒックスの英文著書『従軍慰安婦』、および北朝鮮政府がプロパガンダとして積極的に提供した裏付けのない情報などを事実として記載した極めて不正確な報告書であった。この報告書は日本政府に対し慰安所制度が国際法違反であることを認め、被害者個人に謝罪し補償を行い、関連資料を公開し、歴史的事実を教育に反映させ、この制度の責任者を処罰することを勧告している。これに対し当時の日本政府は報告書の事実誤認をきちんと指摘せず、既に『河野談話』で道義的責任を認め、アジア平和国民基金で被害者への補償を実施済みである、と述べただけである。
このクマラスワミ報告書への日本政府の不適切な対応が1998年の国連人権委員会の小委員会での旧ユーゴスラビアとルワンダを扱ったマクドゥーガル報告書『武力紛争下の組織的強姦・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書』の付属文書に日本の慰安婦問題を再提起させることとなり、国際社会ではクマラスワミ報告書の内容が事実であると受け止められることとなった。
2007年3月の参議院予算委員会で安倍総理大臣は河野談話をこれからも継承するが、政府の調査では朝鮮半島での官憲による狭義の強制性を裏付ける資料は見つからなかった、と発言したが、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書が国際世論となっている状況下でワシントンポストやニューヨークタイムズなどの海外メディアは、拉致問題で国際的支援を求めるなら、日本の犯した罪を認めるべきだ、と安倍総理大臣を強く非難し、以来、これらのマスメディアは安倍総理大臣を極右の保守政治家とみなすようになっている。
日本とアメリカは戦後、多くの人たちの努力により同盟関係を深化させてきたが、残念なことに、アメリカにおける親日的な保守派の政治家や官僚なども慰安婦問題についてはクマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書が真実だと信じており、それが2007年のアメリカ連邦政府下院121号決議案の成立につながっている。知日派の代表格であるアーミテージ元国務次官補も2013年10月に自民党の政策勉強会で日米同盟の重要性などについて講演した後、慰安婦問題に対する日本政府の態度を非難したという。ケビン・メア元アメリカ国務省日本部長も、慰安婦問題については国際社会では誰も日本に同情しない、と言っている。
日本が国連で拉致問題に関し北朝鮮を非難しても、北朝鮮代表は戦前、日本が20万人の朝鮮人女性を性奴隷にしたと言い、それに対して日本代表が数字は誇張されている、既に謝罪し補償した、と反論しても、国際社会では日本が大勢の朝鮮人女性を性奴隷にしたのは事実だと理解し、日本の拉致問題の主張に十分な賛同を得ることが出来ていない。
遊郭や公娼などは現在社会では女性蔑視と理解されるが、第二次世界大戦以前の世の中では多くの国で合法であり、貧困家庭の女性が売られたことも事実である。特に戦前の朝鮮半島では貧困層が多く、多くの女性が娼婦として不幸な人生を歩んだことは気の毒なことであるが、慰安婦の実態は日本軍での需要のために民間業者が貧困家庭の女性を勧誘したことであり、慰安婦は官憲に強制的に拉致された性奴隷である、と非難されるのは正確ではない。
中国、韓国、北朝鮮の国際社会における広報活動は積極的であり、アメリカでも中国系アメリカ人や韓国系アメリカ人は地方議会、連邦議会、ホワイトハウス、ロビイストなどに積極的に働きかけを行っている。アメリカには世界抗日戦争史実維護連合会(Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia)という中国系アメリカ人による反日団体があり、日本軍が30万人の中国人を虐殺したというアリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』の宣伝、戦時中の強制労働賠償、慰安婦などについて積極的な反日活動を行っており、2007年のアメリカ連邦政府下院121号決議案成立や各地での慰安婦碑・像の設置などで成果を上げている。これらの団体の中には中国政府や韓国政府から資金援助を受けているケースもあると聞く。現状を放置すれば、アメリカ各地に慰安婦碑や像が設置され、日本だけが非人道的な国家で、日本政府はその行為を謝罪していない、と非難され続けられなければならない。また北朝鮮は韓国で自国に有利なプロパガンダを積極的に行っており、韓国の野党やマスメディア、韓国挺身隊問題対策協議会を初めとする反日団体に影響を与えており、その真の狙いは日韓、米韓を離反させ、朝鮮半島を支配することである。
中国や韓国に較べて日本政府の国際世論醸成の努力は極めて心もとない。このたびの安倍総理大臣の靖国神社参拝についても、中国や韓国はアメリカ、ロシア、ドイツなど主要国に働きかけ、国際社会で日本を孤立化させようとしている。尖閣諸島の領有でも明らかだが中国は三戦と称して世論戦、心理戦、法律戦により自国にとって有利に国際世論を導こうとしているが、韓国もこの点では日本よりはるかに進んでいる。韓国は世界中で日本海を東海と呼ばせるキャンペーンを展開しているが、既にアメリカを含めかなりの成果を上げている。
日本人は和を持って尊しとなす国民性であり争いを避けたがるが、国際社会では以心伝心は成り立たない。日本政府も中国流の三戦を十分意識して、積極的に安倍総理大臣の靖国神社参拝の真意を同盟諸国に伝えてゆくべきである。また、慰安婦問題についてはクマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書が事実を誤認していることを正確かつ丁寧に説明し、少なくとも同盟国であるアメリカには事実関係を完全に理解してもらうよう、議会、ホワイトハウス、マスメディアなどに対し政治家や外務省・在外公館が広報活動に努力するだけでなく、優秀なパブリック・リレーションズの専門家やロビイストなども活用すべきであろう。日米同盟を確固たるものとするためにも、また拉致問題解決の一助のためにも日本政府はしっかりとした戦略を立案し、実施すべきでる。
それにつけても悲しいことは、慰安婦問題が大きな国際政治問題となったのはすべて日本人によってである。前述の吉田清治、朝日新聞記者植村隆、戸塚悦郎をはじめ、それ以前には千田夏光、韓国人に慰安婦を名乗れば金がもらえる、とそそのかして日本政府に対する慰安婦裁判の原告に仕立て上げた活動家や人権派弁護士たち、それに意図的であったとされている朝日新聞の多くの誘導記事や誤報など、彼らは戦後多くの人々によって築き上げられてきた日韓関係を結果的に台無しにしている張本人たちである。
1982年に購入して読んだ山本七平氏の『論語の読み方』を引っぱり出して再読してみた。この本を購入した31年前、くまごろうは企業戦士として既にシアトルに赴任していたが、当時は常識として論語を一通り理解したい、という気持ちでこの本を手にしたような気がする。『論語の読み方』は知的サラリーマンシリーズとして出版されており、このシリーズには渡部昇一の『歴史の読み方』、堺屋太一の『80年代の読み方』、竹村健一の『80年代時代の読み方』、長谷川慶太郎の『80年代経済の読み方』など当時の売れっ子評論家たちの著書も並んでいた。
論語は江戸時代には寺子屋でも教えていたくらい日本人の教養の基本であったが、進駐軍および戦後民主主義を振り回す日教組が封建制や家族主義の亡霊扱いしたために戦後教育では軽視され、くまごろうも古文または漢文で少しだけ触れた程度で、しっかりと教わった記憶がない。『子曰く、ただ女子と小人とは養いがたきとなす。これを近づくれば即ち不遜なり。これを遠ざくれば即ち怨むと。』は女性と子供の蔑視であると左派が批判したが、女子と小人の意味は女と子供ではなく、淑女と君子の対極であり、孔子は学問や教養のない人間は扱いにくい、と述べているに過ぎない。また『子曰く民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。』を、民には政治の内容を知らせてはならない、ただ信頼させておくべきだ、と左派は曲解したが、べし、べからずは原文では可、不可であり、民衆からはその政治に対する信頼を得ることは出来るが、政治の内容を理解させることは難しい、とこれまた当たり前のことを述べているだけである。
孔子の生きた時代の中国では、指導者が君子となって民は女子と小人のままで構わなかったが、論語が日本における一般教養の基礎となった江戸時代の日本では武士階級だけではなく、百姓や町人のような庶民が論語を学び、それぞれが完全な社会人となるために君子となることを求められた。そのおかげで他の国とは異なり、日本では明治維新において無規範にならずに秩序を保って近代化を達成することが出来たのだ。
孔子は聖人ではなく教育者である。混乱した社会での人間の救済とは政治的救済であってそのためには社会秩序の創出が何よりも重要であり、また秩序の中での個人の救済は教育的救済である、と説いている。だから現世で苦労すれば来世では報われる、前世のたたりで現世では苦労する、といった宗教的概念とは無関係である。孔子は『未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。』とも言っている。
社会的な秩序を旧約聖書のモーゼは絶対者との契約に求めたため、そこから出た宗教は契約宗教となり、社会は契約社会となって現代に至っている。他方孔子は社会的秩序を徳に求め、徳治主義社会を創ろうとした。その基本となるのが礼楽であり、礼楽とは本来礼節と文化の意味であるが、孔子は道徳、文化、教育、秩序、政策、制度を含めて礼楽と言っている。『礼楽は天地の情により、神明の徳に達す。』、『礼は民心を節し、楽は民声を和す。』、『仁は楽に近く、義は礼に近し。』、『楽は同を統べ、礼は異を分つ。(楽は人々を和同させ統一する性質を持ち、礼は人々のけじめと区別を明らかにする。)』などは、昔から日本の社会に根付いている社会道徳となっている。例えば会社の中では社規や社則があるものの、現実には楽で全社の一体感を持たせ、礼で上下関係のけじめをつけている。忘年会や社員旅行は楽に、敬語や先輩の上から目線などは礼に由来しているのだ。
孔子は仁とは何か、について、『己に克(か)ち、礼に復る(かえる)を仁と為す(己という私心に打ち勝ち、外に対し礼に従った行動をすることが仁である。)。非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。』と言い、仁は人と人の間を律する最高の規範の基礎となり、それによって社会の秩序が成り立つ、とした。孔子は恭倹・寛大・信用・敏捷・恩恵により仁に達すると言っている。『恭なれば即ち侮られず、寛なれば即ち衆を得、信なれば即ち人任じ、敏なれば即ち功あり、恵なれば即ち以って人を使うに足れり。』『己の欲せざる所は人に施すなかれ。』が仁に到達する心得なのだ。
孔子が評価する人物とは、潔癖だがつむじ曲がりではなく、筋を通すが角がなく、正直だがお人よしではない人間であり、反対に評価しない人物とは、自信過剰の上に正直さを欠き、田舎者のくせに素朴さがなく、真面目そうに見えてその場限りの人間であるが、この基準は現在の日本でも十分に通用するだろう。孔子自身も孔子の四絶と言われる、意地にならない、執念しない、頑なにならない、我を張らない、を心がけたという。また『過ちて改めざる、これを過ちと言う。』など、われわれも心すべきことであろう。現代社会でも通ずる知恵と言えば『子曰く、三人行けば必ずわが師あり。その善なる者をえらびてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改む。』もそのひとつである。
紀元前8世紀に都市国家として生まれたローマが次第に勢力を広げてイタリア半島を支配し、王政から共和制、更には帝政となって北アフリカ、ガリア、イスパニア、エジプト、マケドニア、バルカンなどを治めて地中海を帝国の内海とするほどまでに発展し、ブリタニアまで含む広大な領土を統治してきたが、徐々に帝国にキリスト教が浸透し、4世紀になって皇帝がキリスト教徒となるに至ってローマ帝国にとって重要な統治基盤であった法治主義よりもキリスト教の教義が優先されるようになり、加えて次々にライン河やドナウ河を越えて襲来する蛮族や、官僚や教会など非生産者階級の増大もあって主要産業である農業の生産性が低下し、帝国全体の国家財政が弱体化していった。
395年、テオドシウス帝はローマ帝国を二つに分け、長男アルカディウスに帝国の東半分を、次男ホノリウスに西半分を統治させるようにした後、その生涯を閉じた。父から東西ローマ帝国を引き継いだ時、二人はまだ少年だったため、テオドシウス帝は信頼が厚い軍総司令官のスティリコに後を託した。ローマ皇帝とは本来ローマ軍の最高司令官であり、帝国国防の指導者でなければならないが、そのような皇帝はテオドシウス帝が最後であり、その子らは生涯、馬を駆って全軍を指揮することはなかった。単に父皇帝の子であり、キリスト教の王権神授説に従って帝位に就いているに過ぎなかったのだ。権力継承の空白期を狙ってドナウ河の北にいた蛮族西ゴート族が族長アラリックの指揮によりバルカン地方を襲い、更にギリシャ全土を略奪した。スティリコは駐在していたガリアから反転して西ゴート族を駆逐したが、東ローマ帝国ではアルカディウス帝を取り巻くスティリコ嫌いの宦官が実権を握っていた宮廷がスティリコを遠ざけ、アラリックに東ローマと西ローマの中間に位置するイリリクム地域の軍司令官の地位を与えたのである。これにより東ローマと西ローマは蛮族の支配する土地によって分断され、再び統一されることはなかった。
西ローマ帝国だけの総司令官となったスティリコは398年、西ローマ帝国への小麦の出荷を停止したアフリカ担当軍司令官ジルドを討伐して北アフリカの西ローマ帝国による統治を復活させ、402年には北イタリアを狙うアラリック指揮下の西ゴート族をバルカンに追い返した。しかし財政難により十分な兵士を集められないためガリア全域を防衛することが出来ず、ガリアでのローマ軍の拠点をライン河近くのトリアーから南ガリアのアルルに移す。これに対し元老院階級であるローマの上層階級には、彼らが誇りに思う祖先が苦労してローマ帝国に組み入れたガリアの大半を放棄し、更に彼らが所有する大農園の農奴を兵役に求めるスティリコへの反発が芽生えはじめていた。405年から406年にかけて東ゴート族やゲルマン系蛮族は西ローマ帝国領土に侵入し、加えて407年にブリタニア駐在のローマ軍が反乱を起こすが、スティリコはこれらを少ない手勢で制圧した。しかし西ローマ帝国宮廷でのスティリコに対する反感は増大し、不信感を持ったホノリウス帝は408年に反逆罪でスティリコを処刑する。この処分を不当とするスティリコ配下の軍団兵はアラリックの軍団に加わり、その勢いでアラリックは軍団を率いてローマを包囲し西ローマ帝国から多額の金銀財貨を手に入れたが、410年には再び無防備なローマを襲い劫掠した。この年、ホノリウス帝は属州総督と軍司令官に帝国がもはや属州を経済的にも軍事的にも保護する能力がないため、各属州は自身で防衛するよう指示する皇帝書簡を送った。帝国が安全および経済を保障するから成り立つ帝国と属州の関係はこの時失われたのである。
その後のガリアはフランク、ヴァンダル、ブルグンド、スヴェビ、西ゴートなどの諸属が群雄割拠し、そこにブリタニアからのローマ軍まで加わって戦乱の世となっていた。415年、ホノリウス帝は西ゴート族に対しガリア西部に定住地を与える代わりにローマ側について蛮族と戦うという同盟を結んだ。更に429年、イスパニアに侵入していたゲンセリックに率いられたヴァンダル族がジブラルタル海峡を越え、439年には北アフリカ全域を征服する。北アフリカは西ローマ帝国にとってはシチリアとならんで重要な小麦の供給地であったが、この地が蛮族の支配下になったことで帝国の主要産業である農業が破綻し、国家経済が一層衰退することになる。かつてはローマ帝国が支配していた地中海の制海権は失われ、ヴァンダル族は次々に地中海に面する港湾都市を海賊のように襲撃した。455年には彼らはローマの外港であるオスティアを襲い、更にローマまで侵攻して14日間でローマを丸裸にしたのである。468年、西ローマ帝国は東ローマ帝国と組んでヴァンダル族が支配する北アフリカを襲ったが、老獪なゲンゼリックの策略にはまって敗走し、その結果としてシチリアやサルディーニャもヴァンダル族の手に落ちた。ヴァンダル族との戦いに敗れた西ローマ帝国は宮廷内の勢力争いにより迷走を続けたが、反東ローマ派の有力者だったオレステスは475年、息子のロムルス・アウグストスを帝位に就けた。しかし476年、蛮族出身であるローマ傭兵軍の軍人オドアケルが土地を要求して反乱を起こし、皇帝軍に勝利してロムルス・アウグストス帝を退位させたことにより、西ローマ帝国は名実ともに滅亡した。
西ローマ帝国は複数の原因が関連しあって滅亡したと言える。ローマ帝国は戦った相手に対し寛容であり、彼らの言語、文化、宗教、社会システムなどを温存しつつローマへの同化政策を推進し、有力者にはローマ市民権を与え、元老院議員とすることさえあった。属州民には10%の税を課すがローマは属州防衛の義務を負い、補助軍団に志願した者には属州税を免除してきた。212年、カラカラ帝はアントニヌス勅令を発し、それまで属州では有力者、医師、教師、それに25年の軍役を勤めた者にしか与えなかったローマ市民権をすべての属州民に与え、同時に10%の属州税を廃止した。この勅令によりローマ市民権は取得権ではなく既得権となって属州民のローマ市民になろうとする向上心が失われると共に、慢性的な税収不足となっていったのだ。313年にリキニウス帝とコンスタンティヌス帝により公布されたミラノ勅令により、キリスト教は優遇され、結果的に有能な中間層が公務や納税を免除されるキリスト教聖職者となることを奨励した。388年、テオドシウス帝はキリスト教をローマの国教としたが、これにより法治国家ローマは宗教国家へと変貌し、以後の皇帝の帝位は王権神授説に基づきキリスト教の司教より授けられることとなった。408年のスティリコ失脚後は西ローマ帝国は自国の防衛を自身でまかなえなくなり、傭兵や蛮族に依存することとなって、国力は急速に衰えていったのだ。ローマ帝国の歴史はどのようにすれば近代国家が盛衰するのか、参考になる点が多々あると思う。日本もローマ帝国をひとつの史実として、如何にして国を守るか改めて考える必要があるのではないだろうか。
US Navyより拝借
アメリカ海兵隊の輸送機オスプレイが岩国基地に移動し、九州や四国などの上空で訓練飛行を行っていることが報道されている。NHKのニュースでは、不安げな飛行地域の住民がオスプレイの飛行は迷惑だ、というコメントを報道している。くまごろうは日本でのオスプレイの報道を詳しく知らないが、少なくともNHKの報道は国民に無用な不安をあおっているように思われる。
オスプレイの開発に際しては1989年の初飛行以来、ティルトローター方式という高度な技術が必要なために試作機段階で2回の重大事故を起こしているが、原因究明の上改良が加えられ、2005年末に運用が開始された。その後も何回か事故が発生しているが、その都度原因が究明され対策が施されている。防衛省発表の2003年10月より2012年4月までのデータによれば、オスプレイの事故率は103,520時間の飛行に対し2件で100,000時間あたり1.93であり、1960年代から配備されている輸送用ヘリコプターCH-46の事故率1.11には劣るものの、アメリカ海兵隊所属の全航空機の事故率2.45よりはるかに低い。
オスプレイは従来の輸送用ヘリコプターCH-46の約4倍である600Kmの行動半径を持ち、最大速力は約2倍の520Km/hr、輸送人員数や搭載可能貨物重量も2倍以上であり、緊急時の輸送や救助には大きな力を発揮する。既にイラク戦争やアフガニスタンでも実戦に配備され、実績は少なくない。
日本は離島が多く、また自然災害も少なくない。そのような時にオスプレイは従来の大型ヘリコプター以上の実力を発揮することが出来る。日本政府は2013年度予算にオスプレイの自衛隊への配備に関する調査費を計上し、運用を研究することにしている。オスプレイは危険だ、と国民をあおるような報道をするより、NHKがオスプレイがどのような飛行機であるのかを伝える特別番組を企画することを望む。
313年に、時の東方正帝リキニウスと西方正帝コンスタンティヌス帝によりミラノ勅令が公布される。これは信教の自由を認めると共に、キリスト教徒に対してはこれまでに没収した教会や資産を返還するというものである。しかしこの勅令は、ローマの多神教を信じないものは毎年正月のローマの神々への犠牲式とそれに引き続き行われる皇帝への忠誠を宣誓する儀式への参加義務をなくすことにより、国家としての一体性を弱体化することとなる。更にコンスタンティヌス帝は聖職者へのローマ帝国に対する公務や納税免除などによりキリスト教を振興するが、これら聖職者に対する特典は意外な影響を及ぼすことになる。国家行政官や軍務につけない有能な中間層が公務・納税免除のキリスト教聖職者となることを結果的に奨励したのである。これに加え、コンスタンティヌス帝は皇帝財産からキリスト教会に寄贈を行っているが、これまでの皇帝とは違いなぜこれほどまでにキリスト教に好意的だったかについては、生母がキリスト教徒だったという説が有力である。
324年、リキニウスを滅ぼし唯一の皇帝となったコンスタンティヌス帝はキリスト教会の建設も含む新都コンスタンティノポリスの建設を開始するとともに、これまで帝国西方のキリスト教コミュニティにもたらされていたキリスト教振興政策を帝国東方でも実施していく。ミラノ勅令以来ローマ帝国内にキリスト教徒が増加するにつれ、キリスト教の教義の解釈をめぐる論争が重要性を持つようになり、ローマ帝国の最高神祇官でもあるコンスタンティヌス帝は325年、ニケア公会議を召集し、神とイエスと精霊が一体とする三位一体説をキリスト教の正当な教義として採択した。ところで当時のローマ帝国でのキリスト教徒数は、ある研究によれば5%程度とのことだが、これは帝国東方の都市での数字で、イタリア半島やガリアなどの都市ではこれよりはるかに少なかったと思われる。帝国全体ではわずかな信徒しかいないキリスト教をコンスタンティヌス帝がこれほどまで優遇してきたのは、帝国支配の道具にするためだった、と考えられている。330年、コンスタンティノポリスが完成したが、ローマには神々を祀る神殿があるのに、コンスタンティノポリスにはキリスト教の教会しかなく、これはまさしくキリスト教を中心としてローマ帝国の再生を狙ったコンスタンティヌス帝のキリスト教ローマの首都であった。337年、ペルシャ戦役に向う途中、コンスタンティヌス帝は病で死を迎えるが、死の直前にキリスト教の洗礼を受け、キリスト教徒として死に、ローマ式の火葬ではなくキリスト教式に遺体は埋葬された。コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認しただけでなく優遇したが、その子コンスタンティウス帝は父の政策を継続し、自身も361年死の直前にキリスト教の洗礼を受けた。
コンスタンティウス帝より帝位を引き継いだユリアヌス帝は361年、キリスト教への優遇策を廃止してあらゆる宗教を同列に扱うこととしたが、これは若き日にギリシャ哲学を学んだユリアヌス帝がギリシャ・ローマ文化と宗教の再興を図るためであった。この勅令は313年のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令への回帰であったが、国費を使ってのキリスト教会や教会資産の寄進や寄付は禁止され、教会や聖職者への免税措置も廃止される。しかし363年、ペルシャ戦役でユリアヌス帝が戦死すると皇帝護衛隊長だったヨヴィアヌスが帝位を継承し、キリスト教徒のヨヴィアヌス帝はユリアヌス帝の勅令をすべて無効として、コンスタンティウス帝時代のキリスト教優遇策を復活させた。
374年、ゲルマン民族出身のヴァレンティニアウス帝の統治下で州長官であったキリスト教徒ではないアンブロシウスは、三位一体を唱えるアタナシウス派キリスト教指導者の要請によりミラノ司教に就任する。アンブロシウスは高い教養と優れた頭脳を駆使して司教の中でも頭角を現してくる。
幼少よりキリスト教を学び好意的だった西方皇帝のグラティアヌス帝に加え、379年、東方皇帝にテオドシウスが就任するものの就任後に重病にかかり、それをきっかけにキリスト教徒となった。両皇帝はキリスト教の司祭というだけでなく、有能なアンブロシウスに事あるごとに相談することにより密接な関係となり、徐々にアンブロシウスの影響を受けるようになってゆく。ローマ帝国東方は元来三位一体派ではないアリウス派キリスト教の信者が多かったが、テオドシウス帝はアンブロシウスの影響により異端のキリスト教を勅令によって排斥した。一方帝国西方ではキリスト教の普及が東方ほどではなく、そのため異端のキリスト教徒は多くなかったので、グラティアヌス帝はキリスト教以外の異教を排斥する。ローマ帝国では皇帝が最高神ユピテルを初めとするローマの神々を祭る役職である最高神祇官に就任するのが慣しであったが、グラティアヌス帝は最高神祇官就任を拒否し、かつローマの神々を祭る神殿への国庫負担を廃止した。そのため、数百年も続いたローマの神々への信仰が急速に衰えることになる。383年にグラティアヌス帝はブリタニアでの反乱鎮圧の途中、ガリアで殺害されるが、その後帝国西方は実質的にテオドシウス帝により統治される。388年、キリスト教徒のテオドシウス帝はアンブロシウスの意向に従って三位一体派以外のすべての宗教を邪教とする勅令を発したことにより、ギリシャやローマの神々を信仰する多神教は違法となり、これらの神々を祀る神殿は破壊されるかキリスト教会へと改修された。このようにしてキリスト教がローマの国教となったことにより、歴史的な文化財であり芸術作品であったギリシャやローマの神々の像は破壊され、廃棄された。
アンブロシウスはミラノ司教でありテオドシウス帝はキリスト教徒であったため、テオドシウス帝はキリスト教の教義を示すミラノ司教に従わねばならない。シリアで起きたキリスト教徒によるユダヤ教会堂焼き討ち事件やギリシャでの乱闘事件などでテオドシウス帝がローマ法に基づく行政処置を行ったが、ミラノ司教はキリスト教の立場からテオドシウス帝を非難し、テオドシウス帝は行政処置の撤回や贖罪をせざるを得なかった。これらのことはキリスト教徒でないローマ人は法の下での平等な権利を失うことと共に、キリスト教の司祭はローマ皇帝よりも上位であることを示したことになる。ローマ皇帝は神の思し召しがあるからこそその地位にあるということだ。かくしてローマ帝国は皇帝が支配する法治国家から宗教国家へ変貌してゆく。
テオドシウス帝はローマ帝国を二つに分け、長男に東ローマ帝国を、次男に西ローマ帝国を統治させてから395年、その生涯を閉じた。その後、二つのローマ帝国は以前のように一つの帝国に戻ることなく滅んでいった。
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