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ネトエンの日常

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大阪に来て10年経ちました。速いなぁ。

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10年前、何もない部屋のベラン... 10年前、何もない部屋のベランダより撮影した写真。
不安だらけのスタートでした。
2012年10月1日

一着のスーツ。最低限の着替、3万円。これだけを持って4列シートの深夜高速バスで、
金沢から大阪へ向かいました。見送りもなく、たった一人の船出でした。

「これから何があるんだろう」

と、不安だらけの中、何にもないワンルームアパート。ふとんもなく床で寝た初日。
テレビもなかったので、iPhoneでラジオを聞きながら一夜を過ごしたことが思い出
深いです。

当時、36歳。サラリーマンだと主任または係長として部下を持つ人もいるだろうし、
プライベートだと家庭を持っている人もいるでしょうが、自分は転職を繰り返し、
ニートになり、派遣の仕事で食いつなぐという生活でした。

そんな時にFacebookのある募集から、大阪行きの話が決まり採用が決まっていた別の
仕事を断りました。

今思うと別の仕事を受けていたらどうなっていたんだろう・・・・。わかりません。
たぶん、ニートに逆もどりしてるかも・・。

感覚的に自分の中では

「これがラストチャンス。これを逃すと一生後悔する。」

と思いました。結構葛藤がありました。金沢駅に向かうまで。
人生の中で一番大きな決断だったと今は思います。

大学生だったら当たり前のように一人暮らしをするのでしょうけど、
ニートから一人暮らしをするのってハードル高かったかなぁ。
それだけ大阪行きに賭けていたわけです。

両親に大阪行きを告げたのは出発の当日。それだけ決断まで葛藤がありました。
反対されたのは確か。でも

「明日から仕事が決まっている。もう後戻りできない。」

と告げると、

「わかった」

と。


後日、両親が狭いワンルームに来てくれて、最低限の道具を持ってきてくれました。
妹が心配していたので、妹が両親に話したのでしょう。カーテンの寸法や窓の写真、
間取りを教えてほしいと連絡があったので、程なく設置完了。

たぶん、両親も

「本当に大丈夫なんだろうか」

と思っていたのは確かだったと思います。
ニートから遠い大阪で一人暮らしをかつ仕事するなんて想定外だったでしょうから。

そんなことがあり、ほぼプライベートを犠牲にして、仕事に打ち込みました。

「頭の中にある自分の得た経験やノウハウは誰にも盗まれないから。」

という、派遣時代の言葉を胸に。

残業や徹夜は当たり前、一ヶ月で残業が100時間超えはもちろん、
全国を一人で周り、誰も助けてくれない、
自分で何とかするしかないという過酷な日々でした。
でも上記の言葉があったから続けられたんです。

それから10年。

振り返れば、担当している仕事を極め、お客様からも多大な信頼を得るまでに成長し、
フリーランスとしても食べてゆけるまでになりました。
こんな自分に関わっていただいている皆様に感謝です。ありがとうございます!

「よくやった自分」

と褒めたいです。

さあ、これからの10年をどうするか考えないとなぁ。
#エンジニア #ブログ

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