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龍馬が休憩した?南予の茶堂のエピソード (四国村)

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龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 龍馬が休憩した?南予の茶堂のエ... 四国村開村式 1983年 四国村開村式 1983年 三越の包装紙デザインをした、世... 三越の包装紙デザインをした、世界的画家 猪熊弦一郎ご夫妻も写っています。
丸亀市には猪熊弦一郎美術館が有ります。
庵治町には、流政之氏のアトリエが有ります。
四国村は何度か拡張されて来ましたが、最初の最高地点に建つのがこの茶堂です。四国の山奥では今でもこうした茶堂を見かけます。道端に有り、行き交う旅人やお遍路の休憩所として、お接待(おもてなし)の場所として使われて来たようです。
幕末、龍馬は高知から愛媛に向けて山間を抜けて脱藩しています。説明には「龍馬も休憩したかも知れない茶堂」としています。
この茶堂にはもう一つエピソードが有ります。
今茶堂には1体の石仏が祀られています。世界的彫刻家 流政之氏による作品です。この石仏の開眼供養を瀬戸内寂聴氏が行っています。この事について 寂聴さんの作品「場所」の最初「南山」の中で少し触れています。寂聴さんの父親の出身は香川県の引田、黒羽と言う所です。同郷に江戸時代、平賀源内と同じような発明家、学者の久米通賢が居ました。この旧宅が今、四国村に移築されて居ます。その事を四国村を造った加藤海運の加藤達雄社長に話したら驚いていたと言う話が載っています。また、仏像制作者の流政之氏とは寂聴さんが若き頃京都の出版社で一緒の職場で旧知の間柄でも有りました。後、寂聴さんが文化勲章を受けた時、地元徳島では記念碑を建てようと言う気運が盛り上がり、新町川 沿いに流政之氏に依頼して出来た寂聴記念碑が建って居ます。

初めて四国村ギャラリーに入館しましたが、入り口にこの開眼供養と併せて行われた落成式の記念写真が額装され展示されていました。

久米通賢 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/久米通賢

流政之 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/流政之

瀬戸内寂聴 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/瀬戸内寂聴

四国村 : http://www.shikokumura.or.jp/intro/intro_05.html
#南予の茶堂にまつわるエピソード

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