日本海航路は健在なんですね。 北前船の殷賑は新潟<>小樽にしか残っていないようです。
歴史をやっていると面白い話に遭遇します KUMAさんは歴史がお好きなようですので、ひとくさり 現在の経済的先進国と称する国で、モノ造りの技術が 後退若しくは消滅した稀有な国が日本でした 秀吉の時代にリーフデ号が豊前の臼杵湾に漂着し ウイリアム・アダムスとヤン・ヨーステンが家康に庇護され ガレオン船が造られました 朱印船は洋式の外洋船で、東南アジアへ通商で交流して います 山田長政なんかが有名ですね その後、鎖国政策が徐々に強化され、 その結果 この造船技術は退化、消滅しました この後はご存知の通り、和船(ベザイ船)が造られ 近海を航行するようになります 舵は外付けの大きなもの、帆柱は一本 海が荒れると舵は折れ、帆柱を切り倒し後は天にお任せ これが、ペリーの黒船来航時まで続いたものです 鎖国の功罪はこんな事にも影響しています 長くなりました、ご容赦!
幕末に露国プーチャチンの船ディアナ号が伊豆で遭難した時、伊豆の戸田の船大工が見事にキールのある外洋帆船を建造していますね、これは驚くべきことだと思っています。 このディアナ号の錨の引き揚げに一枚噛んでいたので、この辺りの事情に詳しくなりました。 日本幽囚記も読みました。
佐渡の奉行をしていた「川路聖謨」は小普請奉行・奈良奉行 大阪町奉行を経て勘定奉行に転出 有名な「日露和親条約」をプチャーチンと下田で結んだ その時のプチャーチンの川路に対する印象は 油断ならざる人物と書いている 川路聖謨は江戸開城前に、拳銃自殺をとげ、絶命 68歳
船に関していえば大は小を兼ねるようです。 以前太平洋航路の船長さんと話をしたことがありますが、 大きい船ほど海の上では安全だと言っていました。
5〜6mの波ですと、波の山と山を跨いでいますので あまり、上下をしないようです 相当以前に小樽からこのフェリーに乗った時は 個室の壁から壁へ転がった、大荒れを経験しました カーテンは壁から1m以上も離れました でも、安全に着岸を果たしたので大したものです 船酔いはしませんでした
Posted at 2009-03-11 18:07
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Posted at 2009-03-12 09:35
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Posted at 2009-03-12 10:22
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Posted at 2009-03-12 12:49
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Posted at 2009-03-11 19:17
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Posted at 2009-03-12 09:40
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