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国上寺の周りには、石仏や地蔵尊が沢山安置されている
いずれも、年代を感じさせる風情を醸し出している
乙子神社を少し登ると、国上山(くがみやま)の中腹に
「国上寺」(こくじょうじ)がある
本堂の向かって右にこの小さなお堂がある
立て看板をよく見ていないので、一切経蔵か鎮守堂か
分からない
詳しくはインターネットでこの寺の由緒がホームページに
なっています
良寛ゆかりの国上寺の下に位置する「乙子神社」
縁起については勉強不足で画像のみです
小さな神社ですが、式内神社でしょうか
昨日、アップした松の木
直接、良寛禅師には関係ありませんが現在の松の木の
脇に歌碑があります。これに因んで
江戸末にこの松と思しき画があります
参考までに、このような存在感のある「松」でした
但し、この土地の「字 あざ」は『石瀬』
遺された本の画に書かれている地名は『石地』です
近隣を尋ねてこの違いを確認していますが、今の所
この違いは検証されていません
『石地の松』にはお伊勢参りの女性の話が伝わり
その女性は「松の精」であったそうです」
良寛
江戸の中期後半に存命し、地方で生涯を送った禅師
沙門などとも表現される
近隣で喜捨を受け、庇護されて生活をしていた
書や和歌に
優れたものが多く残され、多くの研究者、好事家が
現在も探求・研究の対象とされている
当時の環境を垣間見ると、地主や庄屋など管理者側の
人々は書類を書く(作成する)為に書や漢学を勉強していた
その、数軒には万葉集の写本数種が存在し、良寛禅師は
それらや、漢籍を借りて勉学に励んでいた様子が
窺がえる
石瀬の松
江戸時代には素晴らしい枝振りの古木が存在していたが
枯損して、現在の松が植えられた
脇に良寛禅師の歌碑が建てられている
恐らく、松尾芭蕉もこの脇の北国街道を通り見たこと
であろう
江戸末に描かれたこの松と思しき画が残されているので
11日にお見せします
昨年、急激に上昇したガソリンの価格が、今度は日毎に
下落している
石油の相場が下がった事に加え、円高、消費の落ち込み
ガソリンスタンドも大波小波に煽られて大変です
この値段がいつまで続くのでしょうか
東証二部上場のマンション会社が破綻した
今朝、あまりに天気が良いので、我が家の二階から景色を
撮ろうとカメラを巡らすと、マンションの看板が目に入った
300億円の負債
会社更生法を適用するが、建設会社、納入業者の悲鳴が
聞こえてくるようだ
撮影 08/12/20 07:42
昨日・一昨日とアップした水鳥に因んでこの小動物の
名前の由来について「考察」して見る?
なんて、堅苦しいことではなく「兎」は数える時に
1羽、2羽と数えますがその訳はご存知ですか
食用にする口実で、1匹、2匹としなかったようです
確かに食味は「鳥肉」に似て居ります
ただ、「鵜」も「鷺」も水鳥なのには疑念を生じます
明治初期から遡る、日本の歴史は「海運」「川運」「湖沼運」に
ついては、これまで余り歴史の表舞台に登場する事はありません
しかし、物流を考え、人の移動を考えると水面を使った事が
古代、中世、近世には大きなウエイトを占めていました
考えてください
人や牛、馬で陸上を移動するには運ぶ荷物は限られています
川を下るには「筏」や「川舟」は棹や櫂で岩などをかわして
下流に行けますが
その川舟を上流へ遡るにはどうしたでしょうか
この、透かし彫りがそれを現しています
これをテーマに追っかけを暫く続けます
昨日の燈篭は高さが3Mを超える巨大なものでしたが
今日の「層塔」も二基とも3Mを超える大きさです
滝をしつらえ、ポンプで流れを演出していました
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