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明治に移行する前に撮られた一葉の写真
ここに写された人物像の名前には想像を掻きたてられる
ある作者はこの写真を元に448頁の本を出版している
写真の解説には明治二十八年に、宗教家で歴史家の「戸川残花」は当時の出版物『太陽』に掲載したが、政界の圧迫を受け、やむなく
【佐賀藩の学生】
として掲載したとあります。
明日はこの写真に写っている人々の名前を載せます
昨日、ギャラリーでの個展を覗いて見た
新聞に記事が載っており、画家や画風は分からないが
何か気になり尋ねてみた
作品を拝見し、作風は爽やかさを感じさせてくれる
岩下 尊弘 画業30年記念展
※額装された作品は硝子が嵌め込んであり、背景が写っています
最近古文書に接する機会があり、江戸末の文章を読んでいます
当時の庶民はこのような書物や高札、通達を読解していた訳です。
現代人にはなかなか難しく思われます。
表題 乍恐以書附奉申上候
一行目
桑名御領町軽井大川津両村間より須走
※よりは「与里」を略してこのように表記しています
「桑」の文字はこのブログルでは表記できない漢字です
ご容赦を
松本城の裏手に緑に囲まれた冠木門が目に入った百竹亭この屋敷の持ち主 故池上喜作翁の遺族が松本市に寄贈
現在はお茶などの席として一般市民に提供されている庭には石碑や五輪塔があり、荻原井泉水から贈られた言葉
「無何有壽」と彫られている
扁額も素晴らしい丁度、この席で「お裏」の同好のご婦人が会合をされて
一服のお茶のお誘いを受け、有り難く拝服した
旧開智学校明治9年(1876)に建てられ、昭和38年まで使われていた明治時代を指導した若き政治家は日本国の発展に教育の重要性を
肝に銘じ、公共の役場より教育の建物に重点的に投資をし
子弟の教育に力を入れたそれに引き換え、近年は都道府県や市町村の建築物に力を入れ
教育機関が蔑ろにされた結果が現在の状況である
子供や教師の荒廃の一因はこんな所に起因しているのも否めない
明治村で100年程をタムスリップして沢山の建物を見て
松本に入った松本城は又の名を「烏城」とも言う江戸から明治に変った後も各地にお城が残されて、日本人の
心の支えとなっている
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