住所、否、生活地を鎌倉外にして居る、自分。
そんな人間が言えることでは無いのだが??
想い・心境は複雑で、、、。何とも「鎌倉のイメージが?」
久し振りに鎌倉の緑の中を散歩。目に入る物・・・!
何処も彼処も・・まるで浦島太郎の世界。
景観・雰囲気、脳裏に表れるは、「世界遺産登録」
キャッチフレーズの「武家の古都」ってなんだろう?
中世の歴史・史実を思えば机上では納得できる。
しかし、景観的現存が見られなければ「遺産」にはなるまいに。
そんな事ごとを思いながら市の中心部、源氏山周辺を歩いた。
前日、里山の紅葉に気を良くして鎌倉に舞戻ったのだが、
住所地(*村**)の緑環境とは、かなり異なっている。
かつてあったスダジイマント群落が見られない。
谷戸(やと)奥深くまで宅地化されてしまったが為か??
植生態系が全く崩れてしまった??
「古都保存法」は有名無実。法の活用に大きく乖離してしまった。
それでも「紅葉・黄葉」は、上々。陽の光は凄い。「葉」が際立つ。
柔らかい陽光を浴びていると、リフレッシュ出来た。
鎌倉七口の一つ、化粧坂(切り通し)を上がったのだが、
がけ崩れで通行止であった。
地の利を心得ている爺さん達は、獣道を通った!?!
散策路に出ると、人の往来で!!まさしく観光地の様相。
「やぐら」でも見に行くか、と歩いていると公園管理小屋とか!
知らない建物が、色々と増えていた。
「世界遺産登録」に向けて色々と準備してたか、等と思ったのだが?
尾根道を進むと、「堀切」と呼んでいる窪地に来た。
???何の説明板も無い! 「武家」=武家的政権だろう。
往時の合戦、守備攻防の一つ、三方を山に囲まれた「自然要塞」処方。
その要となる、鎌倉七口。そうした解説あっても良き場所なのに??
もう40年も昔、「中世鎌倉歴史地図」が出来ていたのに未だ???
鎌倉市内の要所に大正時代から昭和16年に掛けて建てられた「史跡碑」
これに優るべく現代の案内板を模索提案してた。
行政も要所要所に解説板を作った様に聞くが、整備の方法を間違えている。
遺構(やぐら)を見に行くのをやめて、海蔵寺側に下った。
久し振りに詣でた寺だが、ここも観光地化されてしまっていた。
だが、興味を引く植物に出会えた。
訪れてる参拝者、誰一人として見向きもしない。
皆さん、紅葉・黄葉の境内を夢中で写真を撮っていた。
我々だけ、目を皿のようにして見入ったシダ植物。
これは、ファルコンさんに見習って、定期的観察しよう^^)。
午前の部は、楽しく、だが一寸考えさせられた散歩だった。
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