〔時節・_・襍華⇔出会えぬ花“桜”〕
§ § § § § § §
各地でお花見と称して観賞したり宴会に、今年は盛り上がって。。。
ここ数年、コロナ禍で観賞自粛だった、が今年は解禁になった。
扨てさて、今年は観れるとほくそ笑んでいたのだが体調不良で✖。
全国には、種々の桜がある。旅を兼ねて訪ねてみたい桜もある。
未だ実現できていない夢描く桜の花々。手足を怪我さえなければ!!
ドジこの上ないが、来年こそは、と思ってやまない。
自室からでは桜が見れないが、メモ書きを取り出し遠きを夢見てた。
ふと思ったのは、歳で撮影機材を考えないといけない、ってこと。
三脚・雲台は、旅でも帯同しないといけない、と痛感している。
記録として緻密な植物撮影には欠かせなくなった三脚。
そして、好みの三脚に是非につけたいと思っていた自由雲台。
生産を再開したとHPに載っていた。素人にはもったいないと思うが。
是非に使ってみたい、と撮影機材も準備しなければ。。!
機材もさることながら、訪れてみたい、長年思い続けてきた場所。
東北地方北部、好みの自然環境地も点在している懐かしい地。
植物で言えば、桜と紫陽花の花を見たい場所。盛岡周辺である。
§ § § § § §
早すぎるが、来年の花見を想って探訪したい桜をメモしておきたい。
奥州里桜(オウシュウサトザクラ)学名;Cerasus serrulata ‘Oshusatozakura’
オオヤマザクラと里桜が交雑してできたものといわれています。
岩手県盛岡市内でみられる品種で、
原敬記念館にある「戴き桜」と呼ばれている桜もこの品種で、
南部藩の殿様から原敬の父に賜ったものといわれています。
水晶(スイショウ) 学名;Cerasus serrulata ‘Suishō’
岩手県盛岡市下米内・杉本邸にあり、
すこぶる気品があり水晶のようだということから、
1920年三好学によって名付けられました。
カスミザクラ系と推定される品種です。
※三好学博士は、自然保護を提唱した植物学者・桜研究の第一人者※
盛岡枝垂(モリオカシダレ) 学名;Cerasus × yedoensis ‘Morioka-pendula’
枝垂桜とオオシマザクラ系の雑種と推定されます。
この名は岩手県盛岡市やその周辺に植えられている枝垂れ性の桜に由来し、
市内・竜谷寺境内の桜は国の天然記念物に指定されています。
**以上の解説・画像は、日本花の会HPより拝借しました。**
「令和伍年(皇紀2683年)4月5日、記」
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各地でお花見と称して観賞したり宴会に、今年は盛り上がって。。。
ここ数年、コロナ禍で観賞自粛だった、が今年は解禁になった。
扨てさて、今年は観れるとほくそ笑んでいたのだが体調不良で✖。
全国には、種々の桜がある。旅を兼ねて訪ねてみたい桜もある。
未だ実現できていない夢描く桜の花々。手足を怪我さえなければ!!
ドジこの上ないが、来年こそは、と思ってやまない。
自室からでは桜が見れないが、メモ書きを取り出し遠きを夢見てた。
ふと思ったのは、歳で撮影機材を考えないといけない、ってこと。
三脚・雲台は、旅でも帯同しないといけない、と痛感している。
記録として緻密な植物撮影には欠かせなくなった三脚。
そして、好みの三脚に是非につけたいと思っていた自由雲台。
生産を再開したとHPに載っていた。素人にはもったいないと思うが。
是非に使ってみたい、と撮影機材も準備しなければ。。!
機材もさることながら、訪れてみたい、長年思い続けてきた場所。
東北地方北部、好みの自然環境地も点在している懐かしい地。
植物で言えば、桜と紫陽花の花を見たい場所。盛岡周辺である。
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早すぎるが、来年の花見を想って探訪したい桜をメモしておきたい。
奥州里桜(オウシュウサトザクラ)学名;Cerasus serrulata ‘Oshusatozakura’
オオヤマザクラと里桜が交雑してできたものといわれています。
岩手県盛岡市内でみられる品種で、
原敬記念館にある「戴き桜」と呼ばれている桜もこの品種で、
南部藩の殿様から原敬の父に賜ったものといわれています。
水晶(スイショウ) 学名;Cerasus serrulata ‘Suishō’
岩手県盛岡市下米内・杉本邸にあり、
すこぶる気品があり水晶のようだということから、
1920年三好学によって名付けられました。
カスミザクラ系と推定される品種です。
※三好学博士は、自然保護を提唱した植物学者・桜研究の第一人者※
盛岡枝垂(モリオカシダレ) 学名;Cerasus × yedoensis ‘Morioka-pendula’
枝垂桜とオオシマザクラ系の雑種と推定されます。
この名は岩手県盛岡市やその周辺に植えられている枝垂れ性の桜に由来し、
市内・竜谷寺境内の桜は国の天然記念物に指定されています。
**以上の解説・画像は、日本花の会HPより拝借しました。**
「令和伍年(皇紀2683年)4月5日、記」