《時節・_・襍囈⇔鎌倉・・長谷寺》
毎度ながら思う!!
過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果をみよ
未来の果を知らんと欲でば、其の現在の因を見よ
反観合一・・・に然り。
紫陽花行脚を始めるきっかけ、両親の植物日記。
梅雨期の植物に地元周辺の自生紫陽花の項目があった。
昭和30年代後半から昭和40年代半ば頃の鎌倉の社寺。
紫陽花ある社寺は、少なかった。
どことなく、未だ素朴な雰囲気があった鎌倉の社寺。
そんな鎌倉に、荒廃した寺もあった。瓦礫の山って感じの仏像群。
今では想像出来ない荒れた姿、寺住の老師は復興に尽力されていた。
観光的を排除した境内、鎌倉で最も鎌倉らしい寺であった。
そんな寺もいつしか代が変わると足が遠のく寺になってしまった(私的)。
どこの寺とは申さないが、昭和が遠のき時代はゆっくりと流れ行く。
自然・緑が共存する鎌倉。中世鎌倉、野武士的風土でもあってほしい。
昭和(第二次大戦後)の環境保全に尽力された偉人、當に野武士であった。
”歴史的風土”そんな雰囲気を大事にしたく思うのだ。
今の鎌倉、観光的に境内を植物で一杯にしている。その一つが紫陽花だ。
文化的・・筋が通っているのが、明月院の姫紫陽花。
他方、観光的なのが長谷寺の紫陽花群(一例・代表的)と思う。
長谷寺さんには、個人的にお世話になっているが???
どちらがいいというものではないが、昨今の寺社に一寸首を傾げる。
「令和伍年(皇紀2683年)6月25日、記」
毎度ながら思う!!
過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果をみよ
未来の果を知らんと欲でば、其の現在の因を見よ
反観合一・・・に然り。
紫陽花行脚を始めるきっかけ、両親の植物日記。
梅雨期の植物に地元周辺の自生紫陽花の項目があった。
昭和30年代後半から昭和40年代半ば頃の鎌倉の社寺。
紫陽花ある社寺は、少なかった。
どことなく、未だ素朴な雰囲気があった鎌倉の社寺。
そんな鎌倉に、荒廃した寺もあった。瓦礫の山って感じの仏像群。
今では想像出来ない荒れた姿、寺住の老師は復興に尽力されていた。
観光的を排除した境内、鎌倉で最も鎌倉らしい寺であった。
そんな寺もいつしか代が変わると足が遠のく寺になってしまった(私的)。
どこの寺とは申さないが、昭和が遠のき時代はゆっくりと流れ行く。
自然・緑が共存する鎌倉。中世鎌倉、野武士的風土でもあってほしい。
昭和(第二次大戦後)の環境保全に尽力された偉人、當に野武士であった。
”歴史的風土”そんな雰囲気を大事にしたく思うのだ。
今の鎌倉、観光的に境内を植物で一杯にしている。その一つが紫陽花だ。
文化的・・筋が通っているのが、明月院の姫紫陽花。
他方、観光的なのが長谷寺の紫陽花群(一例・代表的)と思う。
長谷寺さんには、個人的にお世話になっているが???
どちらがいいというものではないが、昨今の寺社に一寸首を傾げる。
「令和伍年(皇紀2683年)6月25日、記」