新約聖書が「奥義」と言う言葉を使うときに
これは聖書独特の概念を示す専門用語です。
一般的には通常、人には隠されているもの、長年秘められてきたものと言う意味です。
ところが聖書においてはそのベクトルは逆であり
「長年秘められていたことが明らかとされ、時至って開陳されたこと」
を指す言葉となっています。
新約聖書のコロサイ書には、
3つの奥義が出て来ます。
①教会の奥義(コロサイ1:24〜26)
「キリストの体とは教会のことです。……私は神から委ねられた務めに従って、教会に使えるものとなりました。これは多くの世代にわたって隠されていて、今や神の聖徒たちに現された奥義なのです。」
②内住のキリストの奥義(同1:27)
「この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」
③神の奥義なるキリスト(同2:1)
「豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。」
……………………………………………
これら3つのものは旧約時代には私たち人間に知らされておらず、
従ってその時代の誰も体験できないことでした。
主イエスが地上に来られた事で神の経綸(英語でエコノミー、またはディスペンセイション)
大きく動き、
私たち人間がこれら豊かな神のギフトを手に出来る道が開かれたのです。
忘年会のシーズンとなりました。
ところでこの「忘年会」の字を見るたびにある種の疑問が湧き上がってきました。
なぜ過ぎ行く年を忘れるための会合なのか?
忘れる必要があるのか?
おそらくその「忘」には我が身に起こったネガティヴなことが想定されているのでしょう。
だからそれをネガティブな感情とともに忘れ去り、水に流してしまおうとのベクトルが働いているのではないでしょうか?
実は人生に起こる全ての事はネガティブもポジティブないのです。
そこにあるのはネガティブであると解釈する自分がいるだけで、出来事自体は是非のない中立のものです。
そうであるならばたとえどんなにネガティブと思える事であったとしても忘れる必要はないどころか忘れてはならない貴重な経験となり得るものです。
心ない人の言葉や冷たい仕打ち、仕事上のトラブルや家族との不和、事故や災害などの不慮のトラブル、、、
これらトラウマとなるような悲劇であっても私たちを成長させる起爆剤へと変換させることも出来ます。
自分自身の過去振り返ってみて自分が成長したと思える瞬間は、
うまくいったことよりも辛い思いをしたなかから生まれ出たものではなかったでしょうか。
忘れなくてはならない辛い思い出なんてものは一切なく、そこにあるのは今までの己を築きあげた貴重な経験です。
そこで私はこの時期の会合を忘年会ではなく謝恩会と呼ることにしています。
そんな謝恩会の第1回目はFactoriaの東京レストランにて。
長年、親しくしている友人と語り合いました。
今年のクリスマスは日曜日。
家族で共にクリスマスを過ごすご家庭が多く日曜礼拝への参加者は限られる。
この日、カークランドにある栄光キリスト教会でご奉仕。
David先生が私の日本語メッセージを英語に通訳してくださいました。
礼拝前に二人だけでお会いして説教の内容をあらかじめお伝えしていました。
ところがいざ話し始めてみると準備したものとは異なるものを話し出すこともあります。
その日の会衆の顔ぶれや説教の反応を見ながら
同時に話す内容やその話し方も調整していきます。
いつもより半数ほどの出席者だったこともあって
この日は事前に準備したものから大きく離れました。
大まかな構成は変えられませんが、
例話や聖句引用箇所を大胆に変更しました。
それが可能だったのはDavid 先生が完璧な同時通訳をして下さったから。
神戸に宣教師の師弟として生まれて以来、学業を終えてからも
東京や北海道で宣教師として40年以上を奉仕してこられました。
現在はノースウエスト大学の旧約学の教授をされていらっしゃいます。
見た感じが完全な西洋人であるのに、
ネイティヴの完璧な日本語を使いこなす方には不思議な感覚を覚えてしまいます。
まとまりの欠ける私の表現がブラッシュアップした英語に即座に変換されて行くのを隣で聞きながら、なんだか大説教者になった錯覚を感じましたよ〜。
錯覚ですよ、あくまでも。
クリスマス・イブの今宵、
イブのパーティに家族で行って来ました。
毎年の恒例となっている家族・親類でのパーティ。
年に一度しかお会いしない方々がほとんど。
子供らは背丈が伸びて成長ぶりに驚き、
変わらない壮年世代の元気さ、その成熟ぶりにお互い安堵する。
私よりも1世代上の叔父叔母の中には今年から老人ホームに入居したり、
ガン手術後のキモセラピーのため来られなかったりした方々が3名ほどいらっしゃた。
恒例の聖書朗読では最高齢のノームおじさんから
同世代の壮年にバトンタッチがなされていた。
月日と共に肉体は衰え
今まで出来たことが剥ぎ取られていく。
生きるというのは時に残酷である。
その現実社会に人となって来られたのが主イエスであられた。
神ご自身が肉体をともなって、しかも無力な赤子の姿をとりこの世に降誕された。
この事実は、病、死、罪という人の克服できない現実を凌駕するものがある。
それゆえ私たちは御子イエスのご生誕を喜び、
子供らにはプレゼントが贈られた。
ケント中心街のバスターミナル
メリークリスマス!
日本ではクリスチャンで無い人でも誰もがそのように言うことができる。
いわばこの時期の挨拶ことばとなっている。
ところが米国ではもっとシリアスにこの言葉が吟味されている。
キリスト教国といってもクリスチャンばかりの人ではない。
中には仏教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒もおられて、彼らがクリスマスを祝うことはない。
それで万人が受け入れられる挨拶ことばが広く使われている。
それが、
Happy Holidays!
というもの。
顧客のお店を去る際に私はたいていの場合、メリークリスマスを使う。
だが相手がクリスチャンで無いと思えたりする場合、Happy Holidayと言って別れをする。
どちらかわからず、どちらが相応しいのだろう??
そう考えてモジモジしながら言葉に窮することもある。
思い切ってメリークリスマスと言ってみると、
相手からHappy Holidaysと返されることも度々ある。
そんな事どうでもいい、と思われる輩もいらっしゃるかもわからない。
しかしこれは言葉に対するセンスの現れと言えないか。
無思慮に言葉を使っているのではなく、
一つの定型挨拶ことばであっても大切にしよう、その意味するところに責任を負おうとする営みではないか。
本日は遠くオリンピアまで行ってきた。
ほとんどの顧客には「メリークリスマス」とお互いこの言葉の意味する喜びを分かち合うことが出来て嬉しかった。
この夜は息子と妻とのチャンネル争奪戦に勝利してリモコンを手中に収めた。
我が家には1台しかTVはなく、日本語放送を皆の居並ぶところで見るのには一苦労する。
クローズアップ・プラスとか言う番組で最近話題となっている長時間労働を取り上げていた。
中小企業であるその建設業の会社には残業がないという。
さらに必ず有給休暇を取得するよう社長からの執拗な催促があるという変わった会社。
残業が当たり前で、しかも3kと見なされる建設業界ゆえに当初は従業員確保に苦労したと社長。
ところが今では若者の志願は増え続け、入社競争率はなんと100倍❗️
残業を無くすためにはそれを強いられる仕事の受注を受け付けてはならない。
番組取材中に翌日の仕事を依頼してきた電話相手にスケジュール変更は出来ないとして断っていた。
そのためには受注先を数社のお得意さんから数多くの顧客に広げ、
小さな受注規模で数をこなしていく戦略へと変更したのだという。
それなら顧客のわがままを受け入れる必要なく
当社の業務時間内に計画的に仕事を割り振りできる。
「お客様は神様です」という神話を崩壊させ
売上・利益優先主義から日本はメタノイア(悔い改め・方向転換)する時期に来ている。
Federal way にある「コハル」レストラン
ランチスペシャル、これにミニうどんが付いて$9.95は破格。
「thank you! 今年一年間もありがとう。
良いクリスマスを過ごして下さいよ」
10年以上のお得意さんからそのお店を出るときに握手を求められた。
彼はその地域で業界では最も成功しているビジネスのオーナー。
今回もビジネスだけに関わらず家族の動向や年末休暇の予定などを話し合った。
すでに友人である。
「日本社会だったら、こうは行かないよ」
ベンダーを低く扱うその日本社会にある傾向性を簡潔に紹介する。
すると、「へェ〜 変なの〜、俺たちはどのベンダーにも自分たちの客にもこうして同様に接しているけれど」と驚きの表情。
私よりも10ほど年上なのに米国の単一社会しかご存知なさそうだった。
お金を払う客が神様で、お金をもらう側はヘイコラする奴隷でなきゃいけない、
そんな不文律が日本社会にはかまり通ってますよね。
するっていうとサンタクロースはこの時期日本流に考えたら最も偉そうにしていられるはずなのに、いつもニコニコで幸せなのはどうしてなのでしょう?
レンタカーセンターから空港ターミナルビルまでトレインを使う
ペニンスラホープ教会でのクリスマス愛餐会を終えて
サンフランシスコ空港まで慌てながら車を走らせる。
レンタカーを返却し、保安検査ではpriorityラインに選ばれて
ことごとく順調に搭乗口まで進む。
すでに搭乗は始まっていてそのまま機内の人となった。
2:30発のフライトで予定通りに4:30にシアトルに到着すれば6時からのホサナ教会の礼拝に充分に間に合う手はず。
ところが、飛行機は駐機したまま一向に滑走路に向かおうとはしない。
気を揉んでもどうにもならないことなのでそのまま眠りについた。
エンジンの音で目覚めてみるとすでに飛行機は離陸体勢に入っていて高速で滑走路を走っている。
時計を見たら3:20.
霧のためかシーズンの混雑ゆえか、とにかく毎回サンフランシスコ空港では時間通りに離陸してくれない。
次回からは対岸のオークランド空港を利用しようと思う。
姉家族一家
Golden Creek Pond へ行きました
カリフォルニアのサンフランシスコから姉ご一家がクリスマス休暇で来ています。
クリスマスにシアトルに里帰りするのは5年ぶりほどになる様です。
三人の娘さん達の大きく成長した様には驚きです。
長女のサマンサは高校4年生。
すっかり大人びていて、
家内が毎朝1人を選んで朝食に連れて行きます。
彼らが小学校低学年からのお決まりの朝食会。
サンフランシスコのマーケット通り
どんよりとした曇り空の続くシアトルの12月。
これは冬の典型的なノースウェストの天候で来年3月頃までこのような重たい空模様となる。
今日は雨が降らないだけそれでもまし。
先週のように氷点下にならないだけまだマシ。
しかも今年はどうした事か
師走だというのに道路は渋滞に犯されてない様子。
…………どうも天候やら道路状況に私の気分まで左右されているようだ。
紀元66年の使徒パウロは殉教を目前にして生涯の最後期に
その心情を吐露している手紙を書いている。
テモテへの手紙。
「しかし主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。
………………
主は私を全ての悪から救い出し、天の御国に救い入れて下さいます。」
(Ⅱテモテへの手紙4:17-18)
パウロにとっては環境が全てではなかった。
環境を超えたものを持っていた。
環境で恩寵の大小を計らずに
現実を超越したところにある恩寵を知っていた人物であった。
パウロの最期は実にひっそりとした寂しいものであったが
その心中には凱旋的勝利への歓喜が沸き起こっていたのである。
ホテルのダイニングエリアは宿泊練に囲まれた内側にある。
一度くらいここを利用すれば良かった。
サンフランシスコにやって来た。
今年最後のフライトによる遠出。
クリスマスまでまだ2週間あるためか、
空港もホテルもそれほど混雑は感じない。
道路もしかり。
空港からサンホセ方面へは
高速101号線と280号線の選択が出来る。
グーグルマップは便利で
それぞれの混み具合と目的地までの所要時間を瞬時にして教えてくれる。
自動運転が開発されているというが
これ以上の便利さの追求は必要に感じない。
少し前までは地図が必携アイテムであり
細かな路線をにらめっこしては近道を探していたけれど、
複数の路線図を候補に上げてくれるスマホ、
しかもこのデータ使用料金は無制限で月額一定なのだから安心。
これ以上ITに頼ってしまったら
いよいよ我々人間は劣化しそう。
私なぞすでに物覚えがガクンと落ちているのだから。
完成したクリスマス・ツリー。
はやりプラスチックツリーよりも臨場感があります。
緑の枝枝から放出される新鮮な芳香がいい。
オーナメントは最盛期の半分ほどしか飾られていないけれど
シンプルでいい感じ。
と、一人で納得。
美しい目が欲しいなら、人の良いところを探しなさい。
美しい唇が欲しいなら、優しいことだけを話しなさい。
落ち着きが欲しいなら、自分はひとりではないということを胸に歩きなさい。
For beautiful eyes, look for the good in others;
for beautiful lips, speak only words of kindness;
and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.
(オードリーヘップバーン)
シアトル地区で日本人伝道に携わっているリーダー達による
クリスマス会に行ってきました。
会場は Rock of Ages Lutheran Church.
ラジャー先生ご夫妻、お世話になりました。
クリスマス・キャロルを数曲賛美した後、
「これまでに最も印象に残っているクリスマスの思い出」
についてそれぞれが語り合いました。
印象に残るってことは
それだけ大きく感情が動いたこと。
その感情の動きはそれぞれの性格や人生がリンクされています。
どんな価値観を抱いているかがシェア出来ました。ー
誰もがミニストリー(伝道の働き)でのクリスマス経験を話されました。
寒かったこと、成功したこと、失敗したこと、、、、、
そんな個人経験を他者と比較して
そこに優劣はありません。
主がご存知です。
主が隠れた働きの真価をやがて明らかにして評価してくださる瞬間がやって来ます。
このクリスマスシーズンもそれぞれに与えられたチャンスを大いに使ってミニストリーに励めばそれでいい。
失敗でも、成功でも、確かな評価と報いは主がしてくださるものです。
❷徳川300年間の屈折
毛利家は関ヶ原で敗れ、36万9千石の約3分の1の石高の領地に押し込まれた。
殿様を慕う家臣たちはそれでも新しい領地について行き、家禄なくリストラされた彼らは百姓に身をやつして家を守ったという。
破産集団でありながらこうして能動性に富んだ毛利家のは、
共通のものがあった。
〜常に飢えと隣り合わせと言う、恐怖観念である〜
これこそがこの藩に大きなエネルギーをもたらし、
さらに経済観念を研ぎ澄ましていく原動力となったと言っていい。
①絶えざる開墾。
干拓し、開墾し、灌漑しては田地を広げて行き、
幕末では100万石を超えるようになったと言う。
②長州の3白。
蝋、塩、紙の商品を生産し、これによる現金収入は米中心の幕藩経済が行き詰まる天保年間になっても藩収入の主軸として支え続けた。
③商港・下関の隆盛。
商品経済に目覚め、流通により国内の物産が下関を通じて大量に出回るようになると、そこに目をつけた者に幕末の坂本龍馬がいる。
慶応2年11月、龍馬の斡旋で薩長の要人が下関で会合し、
「商社示談箇条書」という定款を作り上げている。
要は独立経済圏を作り上げて幕府を圧倒しようと言う協定である。
一方で幕府はでくのぼうといってもいいほどの鈍感さで米中心経済の体制から動こうとしない。
長州が幕末、維新改革の一大勢力となりえた大きな理由には、
この銭と言う裏づけがあった事は確かだった。
サクラメント中心部から車で50号線を西に進むこと20分ほどで
FairOaksに至る。
十数年来の友人であるDさん。
翌日から両足の手術とのことでその前日にお会いした。
彼女の留守電メッセージにはBGMがある。
甲高いソプラノとテナー(だと思う)の荘厳な二重奏。
歌声の主は、、、、
主は、、、、、、、
(引っ張ってすみません)
主は、、、、、、、、
鶏、ニワトリ、のわとり
です!
それもそのはず、この町のダウンタウンと目星き一帯には
鶏が放し飼いしてあるのです。
それもだいぶ前からのようで、
いまや町のシンボルとなり、町の案内板には必ず鶏の図柄があるのです。
この日も鶏さんの出迎えを受けて
Dさんとの面会に臨みました。
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