美しく強い日本・・・
ウクライナ紛争中だからこそ、このショット。
東西問わずに自ら外交努力をされた数少ない首相でした。
昨日の7月8日、安倍さんが凶弾に倒れられた。一夜明けてもどのTV局も凶弾に倒られる瞬間のビデオの垂れ流しの繰り返しが嫌になりました。
どの局も安倍さんの意志、業績、されていこうとしていたことは何なのかを報じない。
残念というかこれが今の日本のマスコミのレベルなのでしょう。
山口といえば、吉田松陰が居ました。
彼の辞世の句が
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留とどめ置かまし大和魂」
大和の地で凶弾に倒れられたけど、彼の「美しい日本」を思う大和魂を継ぐことが一番大事なことなのではないかと思う一人です。そういえば、靖国で会おうと国や家族を思って遠く日本を離れた戦地で亡くなられた方々を偲び、感謝や反省などするために靖国神社に参拝するのに何で他国にとやかくいわれないといけないのか?
吉田松陰はこうも言い残しています。
「国家とともにという志がないならば、人ではないのである」
幕末同様にこの低迷した30年の日本を見て、国家としての危機にあるということを感じる人が少ないとすれば、その方々は「茹でガエル」の如く、死に往くのでしょうか?
往生・・・死を迎えるまで積極的に生き抜く。そう思うと安倍さんは無念だったに違いない。
あるニュース記事で、安倍さんの夢は「映画監督」と知って驚きました。勇退後、どんな映画を作られたか・・・それが観れないのも残念。
なんだかこれからの数日は心がざわついて落ち着かない日々になりそうです。
TAPS
さてこの映画Taps(1981年)の右端は誰でしょう?
そう話題の映画「トップガン」の主役トムクルーズのデビュー作(?)
右端の赤いベレー帽が若かりし頃のトムです。
SDSUに交換留学中に寮で娯楽で上映された映画がこの「Taps」で鮮明に覚えています。ショーン・ペン以上にトムが印象的でした。まだ観たことのない方はTapsのトムもお薦めです。
で、今晩観てきました。Top Gun Maverick!
最初のTop Gun上映からすでに30年以上経過していたのですね。最初のTop Gunは20代後半、独身でテキサス州フォートワース市に駐在していた時に観た映画でした。かっこいいトムに憧れて、原付も乗ったことのない僕がいきなりKAWASAKI NINJA550ccの中古バイクを新聞でみつけて買い、古着屋で同じようなパイロットジャケットを購入してワッペンつけて乗り回していました。今から考えるとミーハーな20代後半だったような。
映画のストーリーもさることながら、オリジナルからの歳月経過にもちょっと感慨深いものがありました。そして、映画のワンシーンでトムが言ったセリフがとても印象に残りました。
This is NOT what I am.
This is who I am.
出世とはほと遠く、大佐(キャプテン)のまま生涯現役パイロットにこだわった彼。私も企業名や肩書きでなく、who I am にこだわって未だに現役を貫いてこんな風になっているのですが、Maverickとなんとなく被ってしまいました・・なんていうとカッコつけかな?
行ってきました。音恵(ONKEI)2022。
天気にも恵まれ、護国神社境内の中での野外コンサート。
出演者の選曲も、今世界で起こっているコロナ災禍やウクライナ紛争から世界平和や鎮魂を願う曲やコメント。
舞台に登場してまず正面の拝殿に深々と一礼をする姿にも普通のコンサートとは違う厳かな雰囲気も感じました。
16:00-20:00までの4時間に及ぶコンサートもあっと言う間。出演者は8名。清水ミチコ以外は葉加瀬太朗が一緒に一曲は演奏という演出も良かったですね・・
オープニングは、
新妻聖子
https://www.seikoniizuma.com/
天使の歌声。
続く、押尾コータロー
https://www.kotaro-oshio.com/
とても1人が1本のギターで演奏しているとは思えない・・・大好きな教授のセンメリを演奏してくれたのは嬉しかった!葉加瀬とは同じ大阪出身で同じ年の掛け合いは笑えた。
大竹しのぶ
女優だけど別の一面をちょっと垣間見れました。
感情移入され涙浮かべながら熱唱する彼女の姿も素敵。
羽毛田丈史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E6%AF%9B%E7%94%B0%E4%B8%88%E5%8F%B2
プロデューサーかつ作曲家、ピアニスト。同年の活躍には励まさせれますね。
清水ミチコ
ものまね連発で笑いで盛り上げ一挙に会場を盛り上げ雰囲気を変えたのはさすが芸人。
森山良子
すごい!あのバイタリティと歌で全員の心を惹きつける。
「サトウキビ畑」の独唱・・・ジーンときました。
藤井フミヤ
彼もすでに還暦。それを感じさせない歌唱力は森山良子同様に凄かった。
彼の最初の曲名が判らない・・・護国神社舞台の今だからこその選曲だと思いました。
弟が出てきてのチェッカーズヒット曲には盛り上がりましたね。会場に来ている聴衆のほとんどが我々の年代でしたから。
葉加瀬太郎
最後は会場総立ちの手拍子での「情熱大陸」で終了。
6月25日RKGでは今日のコンサート模様が放送されるそうなのでご覧になってみてください。
地元企業の茅乃舎ブランドで有名な久原本家がメインスポンサー。こうした地元企業のサポートは嬉しいですね(感謝)
ANAもスポンサーだったけどこれも青組が好きな理由の一つ。
「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)
行ってきました。北斎展。
葛飾北斎といえば富嶽三十六景が有名ですね。北斎は実際にそこを訪れたわけではなく、想像の世界で再構築した風景画がこの三十六景。売れ行き好調で実際には四十六景描かれています。現在会期中の北斎展に行って驚愕したのが彼が三十六景を描き始めたのが
なんと63歳!
北斎が亡くなったのが卒寿を迎えた90歳。その臨終の間際に言ったという言葉が
(北斎)翁は大きく息をして「天が私の命をあと10年伸ばしてくれたら」と言い、しばらくしてさらに言うことには「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」と言ったそうです。そう言った彼ですが、今回の北斎展では、彼が1年間毎日描いた「獅子」の絵が全て展示してあったのも興味深いものでした。毎日描き続けたのもすごいですが、1月から12月までの作風を見比べるとやはり変わっていっています。
彼が描き始めた年齢と同じになる自分にとっては衝撃でした。生涯現役と思いつつも会社勤めだった周囲の同級生の多くは退職しはじめ将来の自分の姿に不安が横切り始めることもあった矢先だったので、それこそ「喝!」と言われたようでハッとした自分が居ました。
ところで藍はJapan Blueとも言われますが、彼の浮世絵にもあるBlueはベロ藍と言われ実は当時にドイツで作られた青顔料が輸入されたものと知ったのも衝撃でした。文化発展の背景にはこうした技術貢献度も大きいのは間違いないですね。昨今のデジタル社会への変革もその一面だと思います。
浮世絵は北斎はじめ歌麿など当時のヨーロッパの美術世界にも大きな影響を与え、ジャポニズムという19世紀後半に日本趣味の流行を起こしました。
展示会で初めて知ったアンリ・リヴィエールが描いた「エッフェル塔三十六景」。ゴッホも浮世絵を模写したりして影響を強く受けたひとりですが、それまで暗い画風だった彼の絵が一挙に明るい画風・作風に変わり、有名なひまわりは浮世絵の影響が大きいと言われているそうです。
鉄道、車、飛行機からインターネットのなかった200年近く前の当時に垣間見る文化交流と影響。ネット社会の昨今だとこうした影響変化はもっとグローバルにもっとダイナミックに起きてもおかしくないだろうなと思う一方、大事なのはそれを受け止める「感性」と自分のものに昇華できる「自己」を持っていないと単なるコピーでは新しい文化は起こりませんね。
伝統とは守るだけでなく、新しいものも取り入れて昇華することの連続で継承されるのだろうと色々と想像が広がる北斎展でした。GW中で刺激あるひと時でした。
桃の花
1月は行く、2月は逃げる・・・早いもので立春も過ぎ桃の花を街角の花屋さんでチラホラと見かけるようになりました。お雛様も間近ですが、今年の旧暦の桃の節句は4月3日になります。今月第1週に旧正月が終わりましたが、アジア諸国で旧暦を捨てたのは日本だけ。独自文化・生活慣習の暦を捨てる=自国文化の誇りを無意識のうちに放棄しているのではないかと心配します。古典との季節感にズレが生じるのも致し方ないと思います。
ところで今月1日に石原慎太郎氏が亡くなられました。ご冥福をお祈りします。彼は本質を捉えた実行、警鐘、提言など様々なことに挑戦を続けれ来られた憂国の志のおひとりであったと理解しています。不徳にも彼の著書を手にすることもなく何かに導かれるままに週末買った2冊の著書うちの1冊がタイトルにある「日本よ、完全自立を」です。
私が今まで感じたり思っていたことがそのままストレートに入ってきました。怒りや危機感を持ちながらの警鐘。その怒りという感情は、愛国心からくる憂国だと思います。そこには先達に対する感謝の念もあれば、次世代に渡す世代の責任もあったと思います。
一言で言えば、今このブログを読んでいる方々は、是非下記をポチッとしてこの本を手にしてすぐにでも読んで欲しいと願います。
思い出すのが高校三年生の政治経済の時間。
恩師と尊敬できる竹田先生は、憲法九条の是非について意見を問われ、改憲派と護憲派に別れて議論する機会を設けられたのを鮮明に今でも覚えています。当時の私はガチガチの護憲派でした。この九条を守らずしてどうやって平和が守れる!という立場でした。それから時間が経過し、世界情勢、史実など色々なことを学び認識して今では改憲の立場です。でも憲法改正ではありません。そこは石原さんと同じ意見で「新憲法制定」派です。
著書のなかで彼は毛沢東の「矛盾論」にも触れられています。
本質を変えない限り問題の解決になりません。
日本人が読んでも難解な文語体の条項は、正しく理解しづらく時代に合わないものになっていると思います。しかも米国が作った押しつけ憲法という出発点も間違っています。昨今ニュースを賑わしているみずほ銀行のシステム障害。銀行合併の経緯のなかで、各銀行時代にシステムを受注していた別々のメーカーシステムを継ぎ接ぎした結果が今の障害になっているのではないかと想像します。現行憲法の改正はそれと同じレベルの小手先のその場凌ぎになるのではないかと思います。
従属矛盾的に個々の問題を小手先でいじっても何の解決にもならないどころか、新たな矛盾を作る危険性があります。この令和時代にスクラッチからデジタル社会の将来にも対応できる憲法を日本人の手で作り直す「新憲法制定」が日本の本当の意味での自立の大きな一歩になると思います。
我々が知らなかった色々な裏話にも触れることもできます。是非手にして読んでみられることをお勧めすると同時にこの国が長いトンネルから抜け出せるキッカケを作る啓蒙というかひとりひとりの自立という目覚めになれば幸いです。
正月3日間で初めて神社⛩を5宮ほど新春参拝させて頂きました。元旦に福岡護国神社、2日が鳥飼神社と光雲(テルモ)神社、そして今日が住吉神社と博多と言えば、櫛田神社❗️
神社で神様に願い事するのではなく、自分の決意を名前と住所も述べながら伝えることが本来だそうです。という事で今年の決意を全ての神社であげて来ました。
今日の道すがら、すれ違う車のナンバーのゾロ目が目に飛び込んできていたのですが、交差点で、111の車が並んだ時にはちょっと驚きました。そして、住吉神社から櫛田神社に向かう途中の道端の駐車場から車が出てきたので立ち止まると1111。そして、その駐車場に停まっていた3台全部が、1111だった時には鳥肌もの〜
ネットで調べると1111のエンジェルナンバーが伝えるメッセージが、こちら❣️
https://jingukan.co.jp/fortune-lab/angel-no-1111/
こいつは春から縁起が良い〜で願い事を現実化する1年にしたいと思った元旦3日目の午後の昼下りでした。
12月8日は、日米開戦というか大東亜戦争がはじまった時になります。
最近TVは、ほとんど観ることがないというか観たい番組がなかなかないというほうが正しいかもしれません。TV番組表を開いてみると、NHKはじめ民放どこも80年の節目この昭和史のなかでも大事な出来事をどこも振り返る番組がないのには驚いています。それだけ平和ボケなのでしょうか?
温故知新。
正しい史実、特に昭和史の理解は国をあげての大切な使命かと思います。
個人レベルでも歴史を紐解く勉強というか好奇心は持ち続けたいなと考えています。
Don't chase the times. Chase a dream!
高杉晋作辞世の句
2年ぶり?
緊急事態宣言が解除され、久しぶりに映画館で司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」を観てきました。
司馬作品は、「花神」、「峠」、「竜馬がゆく」と高校生時代の出会いが始まりでした。一挙に幕末に興味が沸いたのは、長州、三田尻(現防府市)出身で幕末を身近に感じたこともあったのは確かです。2冊目に手にした「峠」を読み始めた時に思わず、背筋が伸びて正座して上下二巻を高二の真夏に読んだ記憶が鮮明に残っています。
大学受験の在り方に疑問を持ち始め、勉強に身が入らず、人の一生とは? 自分の生き方とは何だろう?と多感な時代であったことが、幕末の志士の生き方に憧れを重ねみていたのかもしれません。この年になって冷静に考えると司馬遼太郎の世界といったほうが正しいのかもしれませんが。
続いて封切られる司馬遼太郎作品。
来年に封切られる「峠」が、今から待ち遠しい限りです。
今回「燃えよ剣」を観てずっと氷解していない心の棘をまた思い出しました。
江戸城無血開城、上野寛永寺で恭順を示した徳川慶喜。
なぜ官軍は、上野から会津若松を経て、函館まで攻めたのか?
武士の情けという日本人の感覚としては、江戸城明け渡しで終わり。
敵ながら最後まで徳川に忠誠を示した松平容保など敵ながら見事ということで会津攻めは不要だったはず。なぜ函館まで攻めたのか?得をしたのは武器を売りつけていた英仏だけだったのでは?
会津の「什の掟」は、薩摩の郷中の教育方と似ていますね。
掟の中には現代の世の中には合わないものがありますが、
「ならぬことはならぬものです」
が好きです。歴史は勝者が残したものですが、敗者の立場からの歴史史観も大事だと思います。そういう意味では、大東亜戦争で負けた日本は、勝者の米国昭和史より、日本の立場からの歴史史観をきちんと見直す必要があると思います。
話は飛びましたが、新撰組が人気なのは、筋を通す、損得で判断しない美学を垣間みれるのが理由のひとつではないでしょうか?
一生は一度しかない。時代という大衆の波に流されるのではなく、自分自身の生き方を貫いて息を引き取るときに「面白いのう」といえる人生にしたいなと思います。
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